転生公女はバルコニー菜園に勤しむ
 言葉の重みを感じ、シャーリィは自然と背筋を伸ばす。冷めた紅茶を飲み干し、ティーカップをソーサーに置く。

「指名権は現皇帝にあるのですよね?」
「そうだ。父上がすべての命運を握っている。そして、兄弟同士の競争で、勝利した者が次期皇帝に就く」
「……その競争は絶対参加というわけではないのですよね?」
「ああ。前もって辞退を申し出ていれば、それが受理される。それでも自分の陣営に取り込もうとする連中も少なくない。……だから俺は国を出た」

 人はそれを逃げとも呼ぶ。けれど、シャーリィは逃げてもいいと思う。どうにもならないことがあったら、逃げるのも一つの手段だ。戦うことだけが戦いだけではない。離れた場所から戦うやり方もあると思うから。

「アークロイド様は、誰が次期皇帝に就いてほしいとお考えなのですか?」
「……そうだな、一番親しいという意味ではシリル兄上か。カミーユ兄上とはそりが合わなくてな。いろいろ苦労させられた」
「兄弟でも何かと大変なのですね」

 ただの兄弟であれば、幸せだったかもしれない。なんでもないように装っているが、心中はきっと複雑だろう。
 励ましの言葉が思いつかず口を閉ざすシャーリィを見て、アークロイドは会話を続けた。

「だが、カミーユ兄上は強敵だ。シリル兄上が裏をかけるかは運との勝負になるだろう。本当はそばで応援しなければならないところを、逃げるように国を出た俺を兄上は許してくれるだろうか」
「……推測はいくらでもできますが、肝心の心は直接聞くしかわからないですね」

 言葉に出さなければ、わからないこともある。自分の考えは相手に伝わっていると決めつける行為は、思わぬすれ違いを生むこともある。
 アークロイドは目を細め、カップのふちを指先で弾いた。

「俺が逆の立場だったら、裏切りだと思っただろうな……」
「裏切り……ですか?」
「唯一の味方だと思った者が国外逃亡したんだ。ひどい裏切りだろう?」

 自虐の言葉に、後ろでルースが顔をしかめた。その様子を一瞥し、シャーリィは光り輝く魔木に視線を移した。

「…………逆かもしれませんよ」
「逆? どういうことだ」

 目を合わせると、アークロイドは眉根を寄せて困惑した表情を浮かべた。
 シャーリィはティーポットから紅茶を注ぎながら、突き放すような口調にならないように気をつけて言葉を選ぶ。

「国にいれば、何かしら被害を受ける可能性はあります。ですが、他国にいれば、その心配をする必要はないでしょう?」
「……なるほどな。だが、それを知る術は今の俺にはないな」

 目元を伏せて落ち込んだ様子にシャーリィは迷った末、言葉をかける。

「手紙は書かれないのですか?」
「……今は本当に大変な時期なのだ。手紙ひとつで神経をすり減らすような状態で、暢気に手紙を送れるものか」
「それは……お互いつらいですね」

 正直なところ、近況報告も気軽にできない状態までとは思わなかった。このぶんだと、トルヴァータ帝国の宮城は、どこもピリピリとした雰囲気にあるのだろう。

(私だったら息苦しく感じるでしょうね……)

 自分にできることは何があるだろう。このまま情勢が安定しなければ、宿泊延長という流れもあり得る。

(せめて、この国にいる間は心安らかにしていてほしい)

 どうか、彼らの平穏が続きますように。シャーリィは空を見上げ、心の中で強く祈った。
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