転生公女はバルコニー菜園に勤しむ
 料理長のところで、ひたすら芋の皮むきを手伝った後。
 絨毯が敷き詰められた廊下を歩いていると、銀髪の美女がお膳を運んでいるのが見えた。隙のない身のこなしに、計算し尽くされた化粧が施された横顔は遠目からも目立つ。

「オリーヴィアさん。お疲れさまです」
「……まあ、シャーリィ。今日もどこかのお手伝い?」
「料理長のお手伝いをしてきた帰りです」

 オリーヴィアの横に並ぶと、彼女の手にあるお皿はすべて空になっており、片付けの途中だったらしい。

「ところで、オリーヴィアさん。何かあったんですか?」
「……あらやだ、私、顔に出ていた?」
「いえ、いつも通りの隙のない美貌ですが、少しだけ元気がないように見えました」

 指摘すると、オリーヴィアは瞼を伏せた。青い瞳が長い睫毛で隠される。けれど、それは数秒のことで、すぐに両目が開かれる。
 彼女はふっと肩の力を抜き、仕方がないというように口を開く。

「シャーリィには隠し事はできないようね」
「何か悩みですか?」

 従業員の悩みを聞くのも、珍しいことではない。自分で抱えきれない悩みは、誰かに話すことで楽になることもある。もちろん、聞かれたくない悩みもあるだろう。
 オリーヴィアは逡巡するように視線をさまよわせていたが、心を決めたのか、シャーリィに視線を戻す。

「……実は娘が昨夜から高熱を出していて。私の母が看病してくれているんだけど、やっぱり不安で……」
「なるほど、それは心配ですね」
「解熱剤で熱は一時的に下がるのだけど、四時間経ったらまた熱が出るのよ。母からは子どもはよく熱が出るから大丈夫と言われたの。でも、初めての子どもだし、つらそうにしているのを見ているとこっちも気が気でなくて……」

 子どもは熱が出やすい。そういうものだと思っていても、親としては心配だろう。

「もしかして、夜もほとんど寝ていないんじゃないですか?」
「そうなのよ。娘の様子が気になって、頻繁に目が覚めるの。別にそれはいいんだけど、娘の熱がどこまで上がるかと思うと心臓が縮みそうだったわ」
「……早く熱が下がるといいですね」

 オリーヴィアの夫は他界しているはずだ。今は彼女の母と娘の三人で暮らしていたように思う。いくら親と同居しているとはいえ、父親のぶんも母親として役割を背負っているなら、その負荷は想像以上だろう。
 シャーリィは腕時計で時間を確認し、関係各所の調整を頭の中で割り振る。

(……うん。この人数なら宿泊客はさばけるはず。大丈夫)

 幸い、今は急ぎの仕事はない。彼女の代わりを完璧にやるのは不可能だが、皆の手を借りればある程度まではなんとか回るはずだ。

「オリーヴィアさん。今日はもう上がってください。残りの仕事は皆でやりますから」
「え……でも、そんなの悪いわ」
「何を言っているんです。困っているときに助け合うのが仲間ってもんですよ。娘さんが待っているのはお母さんでしょう。お母さんの代わりは誰にもできません。早く帰って、娘さんを安心させてあげてください」

 真面目な顔で答えると、オリーヴィアは驚いたように固まったが、すぐに困ったように笑った。

「わかったわ。じゃあ、シャーリィはこれをお願いできる? 私は皆に引き継ぎをしてから帰るから」
「ええ。もちろん。どんと頼ってください」
「……頼もしいわ。ありがとうね」
「いえいえ」

 細長い盆を受け取ったシャーリィは厨房へ、オリーヴィアはテオがいるフロントへ足を向けた。きっと皆に遠慮していたのだろう。去り際の彼女は優しそうな母親の顔をしていた。

「さーて。忙しくなるわよ。オリーヴィアさんの抜けた穴は三人分だものね。いっちょ気合いを入れますか!」

 シャーリィは並々なる決意を胸に、廊下を早足で戻っていった。
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