転生公女はバルコニー菜園に勤しむ
(うう。思っていたより、クラウス長官の手伝いは過酷だわ……。まだ数字が目の裏に焼き付いて離れない……)

 たまには疲れた上司を労おうと、手伝いを申し出たのが間違いだったのかもしれない。彼が手に抱えていた仕事はシャーリィの手に余るほどだった。
 細かい数字の集計作業が明け方まで続いたせいで、気を抜くと、あくびが出てしまいそうだ。

(でも一応、頼まれた仕事は終わらせたし……あとは自分の仕事のみ)

 自室のミニトマトの水やりを終え、バインダーに挟んだ用紙を手に温泉宿へ向かう。ミュゼにも心配されてしまったし、気を引き締めなければならない。
 なぜなら、自分の代わりはいないのだから。
 いつもよりゆっくりとした足並みで坂道をくだっていると、前方に藍色と赤髪の二人組が見えた。異国の服をまとった装いは遠目からでも目を引く。

「おはようございます。朝のお散歩ですか?」

 シャーリィが声をかけると、話し込んでいた二人の視線がこちらを向く。

「……シャーリィか。おはよう」

 アークロイドはまぶしいのか、灰色の目を細める。ルースはいつもの無表情で、主人の後ろに静かに控えた。

「あ、そうだ。アークロイド様、聞いてください。もう少しで収穫できそうなんですよ!」
「……順調そうで何よりだ。そのときが楽しみだな」
「ええ、それはもう! 美味しくできていたら、おすそわけしますね!」
「ああ」

 ふっと口元を緩ます様子にシャーリィはつかの間、視線を奪われた。

(見た目が整っているだけに、何気ない素振りでも、うっかりときめきそうになる……これは危険だわ)

 従業員の中で「アークロイド皇子の笑った顔を見た日はいいことがある」と噂されるようになったのもわかる気がする。これは確かに拝みたくなる。
 だけど、自分は一国の公女。皆と同じようにはしゃいではいられない。ふるふると首を横に振っていると、たしなめるように低い声がした。

「……おい」
「は、はい! どうかされました?」
「ところで、その顔はどうした」
「顔……ですか? 何かついてます?……あっ」
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