すみ
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『取り付け位置はこちらでよろしいですか? 奥さん』
不自然なまでに真っ白な靴下を履いてやってきた家電量販店の配達員は、ダンボール箱から結構な重量のある食洗機をたった一人で取り出し、流し台の脇に置くと当然のように彼女に聞いた。
『奥さん、って言われちゃったァ』
そう報告してきた桐島真帆は、あの時、本当に石川には可愛らしく見えた。
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三十を過ぎた男が、年相応の女性と交際していて結婚を全く意識しない、ということはまず無い。石川も、口にこそ出さなかったが、いずれはそういう話もふたりでする時があるだろうと思っていた。
だからこそ、一人暮らしの部屋に家庭の象徴とも言えるような電化製品が設置されるのにも賛成したし、食器洗い乾燥機などという、家事の負担を軽減するマシンの導入は、機会あればジェンダーフリー論を唱える彼女なだけに、結婚後も仕事を続けるであろうと意識しているからこそ。
結婚相手として自分は見ているんだ、と、無言のアピールをしているつもりだった。
便利な道具でテレビボードの下も一気に掃除すると、埃が付着しやすいように柔らかな素材の紙には、かなりの量のゴミが先端に集められている。
そもそも、この部屋にしてもそうだ。
学校に近からず遠からずな距離の沿線駅近くの2LDK。
男の一人暮らしには広すぎる理由は、食器洗い乾燥機を買ったのと同じ理由だった。
部屋が変わる。家事に便利な物を購入する。周りを固められる。いつか、そのうち、結婚するつもりでいた。
だが……。
「口に出さなかったからいけなかったのか……?」
今にして思えば、それが最大の別れの原因だったのかもしれない。
石川はぐずぐずと煮え切らず、榎本の分析のとおり、真帆に押されっぱなしで言いなりに結婚を意識したかのような環境を整えられ、それなのに、ハッキリとその言葉を口にするでもなく……。
使い捨ての紙を裏返して装着しなおすと、リビングから廊下、寝室へと範囲を広げて掃除し続けるが、立ったままの姿勢で棒を操作するだけの作業は疲れるようなものではない。
つくづく、たったこれだけの事を怠っていた自分が情けなくなる。
一通りの掃除が終わると、もともと物を多く置かない部屋はサッパリと一応は片付いているように見える。
「部屋の乱れは心の乱れ……?」
生活指導教諭が言いそうな言葉を少しアレンジして言えば、あながち間違っていないような気持ちにもなる。
風呂場の前で全裸になり、斜めドラムの洗濯機に籠の中身と一緒に脱いだ衣類も放り投げ、無造作に洗剤を振り撒いてから二重の扉を閉め自動ボタンを押すと、これまた食洗機と同じように投入された洗濯物の重量を計測して全自動で動き出す。
洗濯、すすぎ、脱水、乾燥。畳む作業以外の全てを勝手に終えてくれる洗濯乾燥機は二重に閉じた扉の外まで注水の水音を立て、そのボディーに手をつく石川に鈍い振動を与え始めた。
心の乱れ……、とまでは言わなくも、本心を曝した事のない相手と交際、結婚など出来るはずがない。別れて当然の別れだったのだ。
「そういうこと、だったのか……」
この部屋にひとりになって初めて聞いた食洗機と洗濯機が発する台風の雨音のような水音が、石川にひとつの答えをもたらした。