はじまりはステレオタイプの告白
「市原(いちはら)」
1日の仕事を片付けて、お先に失礼しますと廊下に出たところで呼び止められた声。
誰よりも聞いてきたその声で、聞き慣れない私の名前を呼ぶから、一瞬、私を呼んだことに気がつかなかった。
ただ、昴の声がすると振り向いた先で、昴が迷わずに私をみていたから、状況は飲み込めたけど。
「どうしたの?珍しい」
経理部の昴と総務部の私は、基本的に上司を通してのやり取りが多い。
付き合う時に公私混同はしないと決めて、会社で必要なときは名字で呼ぶようにしてはいたけど、できるだけ避けていた。お互いに言い間違えそうで。
だからこんな風に、定時終わりに声を掛けてくることなんて、付き合ってからは一度だってなかった。
「いや…」
なのに理由をきくと、煮え切らない反応。
昴にしては珍しい反応に、気になりはするけれど、ロビーで七星と北斗を待たせてる分、ゆっくりと話をしてる時間もない。
「少し急いでて。夜でもいい?」
仕事のことだったら上司を通すし、直接やり取りできるものは全て片付けてあるから、急ぎの用ではないはず。
そう思ってエレベーターのボタンを押すと、近づいてきた昴が、私の手にふれる。
「…職場だよ?」
本当に、どうしたんだろう。
「わるい。急いでるのに引き止めて」
ハッとしたように一言告げると、すぐに昴は離れて。迎えにきたエレベーターへ乗っていく私を見送ってくれたけど、明らかに変だった。
最後まで私をみていたグレーがかった瞳が、頭から消えない。
ロビーにつくと、もう七星も北斗もそこにいて。
内容までは聞こえないけど、なんだか楽しそうに話をしている。…切り替えなくちゃ。