かりそめの関係でしたが、独占欲強めな彼の愛妻に指名されました
「相沢さん。印鑑票はここにはないから、部署に戻るようにって」
間にいる酒井部長を避けるように顔を傾けた桐島さんが私を見て言う。
「そうなんですね。長井部長、今、企業リサーチにいるんですか?」
「そう。四年前くらいに異動してきたんだけど、俺もさっき話を聞いて驚いた」
預金部から融資部や為替部はよくあるけれど、企業リサーチ部に異動なんて聞いたことがない。
よほど優秀なんだろうなぁと考えていると、居心地が悪そうに笑った酒井部長が後ろ頭をかきながら歩き出す。
「じゃあ、俺は戻るかな」
「そうですか」と笑顔で言った桐島さんだったけれど、酒井部長とすれ違うタイミングで「そうだ」と思い出したように言った。
「恋人のいる女性にばかり手を出しているって噂になって、人事部から注意されたらしいですね。イエローカードがあと一枚で退場ってところまできてるなんて話も聞いています。実際のところは知りませんが、定年まで働きたいなら、せめて職場では控えた方がいいかと」
笑みを浮かべて言う桐島さんに、酒井部長は足を止め、面倒くさそうにため息を落とした。
「今後、相沢さんにちょっかいをかけたら桐島くんが人事に告げ口する……って脅しだと捉えればいいのかな」
「酒井部長の判断に任せます」
あくまでも穏やかな微笑みを浮かべて話す桐島さんに、根負けしたのは酒井部長の方だった。
「わかったよ。今後、彼女にこの類の話はしない。口説かないし、仕事以外では近づかない。これでいいだろ?」
諦めたようなため息を落とした酒井部長が書庫を出て行く。
その後ろ姿を眺めていると、桐島さんがひとつ息をついたのが音でわかった。