『おばあちゃんの贈り物』-許嫁(いいなずけ)とか意味わかんない-
 夜7時半。
 ゾンビは夕飯ぎりぎりに帰ってきた。

「今日はごめんなさいね、(のぞみ)さん。この子、望さんのご本選びにあきちゃったんですって? パパが帰ってきたら(しか)ってもらうから、許してやってね」
 お母さんがゾンビの茶碗が空になるのも待たないで、手をさしだしている。
「いや。おれが悪いんです。先に帰っていいって言ったのも、おれだし」
 いつものとおり、あたしに向かってしゃべるときとは別人のゾンビが、ちょっと頭を下げて茶碗をお母さんにわたした。
 お父さんのご飯茶碗はそもそもあたしたちのより大きいから、お代わりはしないし、させてもらえない。
 お客様用のお上品な有田を使っているゾンビに、お母さんは甘々だ。
 放っておけば何杯だって『おかわりは? 望さん』と言いながらゾンビの茶碗を見ている。
 最初のころはあたしも、お代わりをする男の子の食欲がめずらしかったけど。
 遺言(ゆいごん)の件を小耳にはさんでからは、お母さんがわからない。
 こんなやつにお婿(むこ)にきてもらうのが、そんなに大事なの?

(なつ)かしいわぁ。わたしもねぇ、いっつも忘れられたのよ。本棚の前に立つと夢中なんですもの、パパったら。――望くんも、いっしょなのねぇ」
 それは聞いたことのない両親の恋バナだったけど。
 うっとりむかしを懐かしんでいる場合なの?
 それってしかも、最低男のエピソードじゃん。
「いいなぁ、おばさんたちはいつまでも仲が良くて」
「そうでもないわよぉ。富山にいたころは毎日ケンカだったわ」
「――恵子さんが跡を継ぐまえ、ですか?」
「ええ……」
「…………」「…………」
 やぁだぁ。
 なにをふたりで、しんみり黙るのよ。
「でも、おじさんは経営面で相談にのれるように銀行員になったって聞きました。仕事は杜氏(とうじ)さんに任せればいいって」
 へえ。そうだったんだ。
 初耳。
「それでいいって……。言ってくれないひとも、ね」
「うちの母ですね」
 うわ。
 やめてやめて。
 本家とか分家とか跡取りとか許嫁(いいなずけ)とか!
 それ人生のNGワードでしょ。
 あたしたちは知らないのよ。
 知らないことにするんでしょ?
 おばあちゃんの遺言のことは。
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