地味で根暗で残念ですが、直視できないくらいイケメンで高スペックな憧れの先輩に溺愛されそうなので……

「石ちゃん。フランスパン好き?」
「大好きです。スライスして焼いたのにバターを塗る派です」
「何それ、他にどんな派があるの?」
「先にバターを塗ってグラニュー糖をまぶして焼く派とか、焼いた後にバターと蜂蜜をのせて混ぜながら塗る派とか……」


パンナイフでフランスパンを斜め切りする冬野さんの横で私は小鍋で紅茶を煮出してチャイを作っていた。
砂糖を入れて、濃ゆ目に煮出した紅茶に牛乳を加えて、茶こしでこしたものをガラスポッドに入れてテーブルに運んでいると、ひろき君が起きて来た。

「おはよう。ひろき、朝ご飯はパンだけど、どうやって食べる」
「うんと、僕、フレンチトーストが良い。フランスパン硬いからやだ」

ひろき君の言葉に冬野さんはショックを受けた。

「えっ、苦手」
「フレンチトーストにして」
「えっ、フレンチトーストって…、石ちゃん作り方分かる」
「あ、良いですよ。私作りますから」

私は台所に戻ってボールに卵と牛乳、白砂糖に蜂蜜をたっぷり入れて液を作りそれをビニール袋に入れた。


「え、どうしてビニールに入れるの?」
「そのままパンに浸してたら全体に液が馴染むのに時間がかかるんです。こうやってビニールに入れてからパンに浸してパンを潰して話すと潰れたパンが広がる時に一気にたまご液を吸い込んで早く全体にたまご液が染みるんで時短になるんです」

私は手早くフレンチトーストを焼く下準備を済ませ、フライパンを弱火にかけて、バターを溶かしてじっくりフレンチトースト焼き上げた。

「ひろき君。牛乳はあったかいのが良い?」
「朝は冷たいのが飲みたい」
「了解」

私と冬野さんはフランスパンを焼いて食べ、ひろき君はフレンチトーストを食べて、冬野さんと朝ご飯の片づけをした。

「じゃぁ、私はこれで」

片づけを終えて、時計を見るともう10時だった。
二人はこれから、アクアパレスに行くんだし、長居は無用だと思った。

「あ、送って行くよ」
「いや、大丈夫です。これから水族館に行くんですよね。お気になさらず」
「いや、どうせだから、先に石ちゃんを送るよ」

何から何まで申し訳ないのだが、と思った矢先、ひろき君が冬野さんに言った。

「お姉ちゃんも水族館行きたいって、ねえ、一緒に行こう」

え、そんな事言ってない。
確かに、またイルカのショー見たり、リニュアルしたばっかだからそのうちまた行きたいとは言ったけど、二人について今日行きたいとは行ってない!!

「いやいや、邪魔しちゃ悪いから、気にしないで」
「え、石ちゃんが良かったら一緒に行こう。色々お礼しなきゃだし、俺が奢るから」

AQUAPALACEの入館料って、3千円以上するし。交通費だって公共の交通機関で行けば、往復で同じ位お金がかかるし、滅多な事じゃ行けない。
でも、いくら何でも。

「ねぇ、お姉ちゃん。あそこのお昼のバイキング、一度で良いから食べてみたいって言ってたじゃん。チョコレートマウンテンでマシュマロとバナナといちごをお腹一杯食べたいって」

それも話したけど、今冬野さんの前で言わないで。
ちなみにメインディッシュのローストビーフも、食べて見たければ、焼き立てのパンビュッフェも食べて見たかったけど、それもランチなのに3千円もするんだから。

「石ちゃん気にしないで。大丈夫、お昼もごちそうしてあげるから」

マジですかい!!
ええ、そんな、水族館&交通費&豪華なランチ。
私は喉から手が出そうなぐらい行きたいけれど、いくら何でも厚かましくて、うん、行きましょうなんて。


「行こう。お姉ちゃん。僕、今日誕生日だから、イルカと握手しながら記念写真撮って貰えるんだ。イルカと一緒に写真撮ろうよ」


イルカと写真撮影!!
やばい。
でも、どうしよう。

私は、遠慮と欲望に苛まれつつ、結局は二人の好意に甘える事にしてしまった。





こんなの会社の人たちにバレたらきっと、どんな嫌がらせを受けるかしれない。





前も、冬野さんが会社に居た頃、毎日私の席に話に来るもんだから、マキさんの部署の人たちにたびたび嫌がらせを受けてた。
今となっては懐かしいことだが、トイレで居合わせたらこれ見よがしに大声でかけ口を叩かれ、身だしなみを揶揄され、身の程知らずとか調子に乗るなとかあやつけられたり嫌だ。

わざわざ雑用押し付けて来たり、嫌みを言いに来たり、大変だった。



冬野さんが居なくなって、ぱったり止んだけど、私、正直ホッとしたのは、嫌がらせがなくなった事より、冬野さんの気持ちがいつか自分から離れてしまって、いつか見向きもされなくなってしまうのを恐れる心配がなくなった事だった。



こんなに楽しい思い出もうお腹一杯だ。
臨時のバイトの約束は後1週間あるけれど、その後の私って。




いや、違う。



また離れてしまえば、また元の日常に戻るだけだ。



まるで夢の後の様に、私の生活のすべてからきっと冬野さんは消えてしまって、元通りになるだけだ。



楽しいのも苦しいのも、きっと逃れ様がない事なら、いっそ大事に心にしまってしまえば良い事なんだ。


全てが終わった後で楽しむ、思い出作りをしてしまおう。




今は。
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