愛で壊れる世界なら、


「レイチェルさま!!」と、その声だけを覚えている。すでに耳に馴染んだユーニの、聞いたことのない切羽詰まった叫び。

「…………ッ、あの子……は、…………」
「ああ! あの威勢のいいお嬢ちゃんなら、屋敷の人間に回収されてんじゃないのー?」

 どうにか絞り出した声で投げた問い、返ってきたあっさりとした答えに唇を噛む。
 威勢のいい、とは。響きから察するには殺されてはいなさそうだが、歯向かったのかと肝が冷える。
 彼女の他、近くに誰かいなかったのか。人目を避けていたのは事実だが、人払いは特にしていなかった。別荘とはいえアルトラ伯爵の管理下にある敷地内でこのような蛮行、まさかという事態ではあっただろうけれど。

「大丈夫、大丈夫。おとなしくしてくれてたら殺すつもりはないからねえ」

 低く笑う男は、心底から怯えている様子に満足したのか、身体を離す。そうして訪れた静寂に、レイチェルは震える吐息を落とした。
 寒い時期ではないというのに、凍える心地で目を閉じる。

 どうやら侯爵家の娘として拐かされたらしい。まだ縁組みが進んでいる段階だというのに気の早い。この手の輩はどこからそんな情報を得ているのか。


 ――来るはずがない。誰も。


 いっそ笑いが込み上げるのに、唇から漏れたのは嗚咽だ。噛み殺そうとしても喉が引き攣って苦しくて、独りになった今、気丈に振る舞うことなどもう無理だ。

 レイチェルは伯爵家からはすでにほとんど離れた身、かといって侯爵家ともまだ縁づいていない。引き取られる約束になっているとのことで確定事項ではあるようだったが、それでも正式にはまだその予定というだけ。当主どころか関係者にすら顔を合わせてもいない。

 いったい誰が要求に応えるというのか。こんな、どこにも属していないちっぽけな娘の存在、悪漢に幾らかでも支払われる値打ちなんてありはしない。
 たびたび災厄を呼ぶようなこんな娘など、捨て置かれるに違いない。
 弟か姉が代わりを務めれば済む話なのだ、養子となるのがレイチェルでいいというなら、きっと誰でもよかったのだろうから。

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