愛で壊れる世界なら、
だけど、これだけは覚えている。
「あなたがレイチェルね。会いたかったわ」
抱き起こしてくれた侯爵の、大きくあたたかな腕の中。初めて会うはずの新しい母親から感じたのは、切ないくらいの懐かしさ。
「レイチェル。私の可愛い娘……」
「……おかあ、さま……」
途方もない旅路から、ようやく帰ってこられたような気がした――。
「レイチェル。起きていて大丈夫なの?」
軽いノックを合図に顔を覗かせた侯爵が、上半身を起こしている養女の姿にベッドへと歩み寄り、心配げな顔でレイチェルの額に、頬に、手を当てる。
「むしろ寝すぎてしまってだるいくらいです」
「あんなことがあったのだから、今はそれくらいでいいの」
新しい母親となった侯爵は、女性の身で男社会を生き抜いてきただけあり男性以上に凛々しく強く見えるのに、やけに心配性で甲斐甲斐しい。
事故に遭い、事件に遭い、生まれ育った環境を捨ててきたようなものなのだから、不憫に思うのも仕方のないことかもしれない。
「まあそれなら庭を案内しようか、今日はとても晴れているから」
侯爵が微笑む。窓から吹き込むそよ風が二人の髪を撫でていく。
与えられた部屋は、目を覚ました時にはすでにレイチェルの好みに揃えられ、初めて訪れた屋敷だというのに知らない場所ではないようだった。すべて侯爵の気遣いなのだろう。
新しい環境でも付いてきてくれたらと思った世話係はそばにいない。
侯爵の家族となるべき人間を探す役目を与えられて、アルトラ伯爵家へとやって来ていたのだということも、レイチェルはほんの少し前に聞いたばかり。
レイチェルが不思議な悪夢を見ていたように、ユーニもまた、不思議なものが見える性質だったという。侯爵と近しい魂を持つ者として、見出されたのがレイチェルだったのだとか。
だけどそんなことはどうでもよかった。
使用人として微笑みかけてくれただけだとしても、侯爵のために優しくしてくれたのだとしても、……彼女にはどれほど救われたことか。
「あなたは青い空が好きなのでしょう?」
「――――うん!」
いつか、ユーニと再会出来たらと願った。
侯爵と三人、青い空の下でお茶でも飲んで、この日々の話を懐かしんで笑えたらと、願った。