明日、雪うさぎが泣いたら


結局、ここに戻ってくるのか。
忌々しいと思っていた、この裏庭に。
ここに未練があるのは、自分の方だった。
大事なものを仕舞いこみ、大切なものから遠く隠して。

だから、進めない。
そんな必要はないのだと、二人でいられるなら、どんな形であろうと幸せだと。
彼女に告げずにそう決めつけるのは、あまりに勝手だと知っていながら。


「……さ……」

《……医師殿》


ともかく、小雪を連れて帰らなければ。
まだ、雪の深いこの季節。
幼い頃の記憶がもう何度目か蘇り、彼女の名前を呼ぼうとした瞬間に遮られた。


《どうするおつもりですか》

「お前こそ、どういうつもりでここにいる。後を追ったのなら、どうして止めない」


小雪は、きっとこの先にいる。
あの大樹の下、風雪に身体を冷やしながら。
あの扉が開くのを待つだけではいられず――泣きながら祈っているのかもしれない。


《私には、姫を見守る義務も責任もあります。何より、私がそうしていたい。……けれど、姫の想いを踏み潰す権利は持ちませぬ》


長閑と似たようなことを言い、辛そうに冷たい土へ目を落とした。
だが、これではいけないと言うようにすぐさま顔を上げると、こちらを鋭く睨んでくる。


《いつまで、ここに踞っているつもりですか。貴方の病は治らないかもしれない。それでも、可能性とも言えない仄かな光を信じて、懸命に探している人がいるのです。……昔の貴方は、それをあれほど求めたというのに》


可能性――そんなものは、無いに等しい。
しかし、小雪はここに賭けたのだ。
おかしな夢や、神隠し。
それに、この前久しぶりに二人で訪れた時、確かにここは光り輝いていた。
小雪が期待し、信じてみたくなるのも無理はない。


《聡い貴方のことです。ほぼすべて承知のうえで、姫を優先する選択をしてきたことでしょう。……けれど、何にせよ、残された時間は少ない。扉が開こうと開くまいと……何ぞ、費えようと。酷なようですが、そろそろ向き合うべきです。本当に、あの姫を想うのならば》

酷い言い方だが、腹は立たなかった。
雪狐の言うように、この命が費えるのにもうそれほど長くはかからない。


《恭一郎殿》


彼にその名を呼ばれたのは、いつが最後だっただろうか。
驚きのあまり、せっかく彼女の方へ向かった足が止まってしまう。


《貴方の姫への愛情は、ずっと見てきた私が一番よく知っています。こう言うと、貴方は心外かもしれませんけれどね。あまりに危うすぎて目が離せないほど、貴方の想いはある意味真っ直ぐすぎる。……でもね、貴方はもう少し、夢を見たっていいのですよ》

狐の優しい細目から目を逸らす。
――行かなくては。
甘い夢なら、もう十分味わったのだから。


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