令嬢と婚約者、そして恋を知る

遠ざかりゆく私



「これからしばらく、リックが遊びに来るわよ」


 母上がそんなことを言い出したのは、ある日のこと。
 学園卒業後は嫡男として領地に戻るつもりで、父上の仕事ぶりを改めて見ながら与えられた仕事をひとつひとつ覚えていた長期休みでの帰省中のことだった。
 書類仕事が一段落ついて、休憩しようかと椅子から立ち上がりかけたところに突然やって来た母上は、

「クラリッサがアンちゃんの教育係を探してるって言うから、セイラなんてどう、って提案しておいたのよ。だからあの子たちが来るからね、あなたのお友達だし一応伝えておくわ」

 と一方的に告げた。そして言うだけ言うと部屋を出て行ってしまうのだから、なんとも慌ただしい。
 母上の言葉が足りていないのはもういつものことで、つまりどういうことかと先ほどの言葉を脳内で反芻する。クラリッサとはエンリックの母親の名前であり、アンとはアンヌ嬢、奴の想い人のことだ。

「教育係、か」

 アンヌ嬢は庶民だ。私と同じく伯爵家の嫡男であるエンリックとは身分的に釣り合わない。釣り合わないからと、随分と長い間アプローチを拒否されてきたと聞いている。出会いから十年以上も口説き続けたと言うのだからいっそ執念を感じるが、それも今では婚約間近と――奴の妄言でなければ――言っていたのだから、アンヌ嬢はいよいよ貴族社会に踏み込む決心をしたのだろう。

 つまり、だ。教育係とは、貴族としてのあれこれを叩き込む教師を指すに違いない。我が家には元男爵令嬢という訳ありの使用人がいる、貴族社会入りする予定の庶民と、貴族社会を飛び出して庶民となった元令嬢と、適任といえばそうなのかもしれない。

 かといって私にとっては他人事で、ただ、エヴェリンは彼らの馴れ初めをことのほか気に入っていたなと、つい彼女の姿に思い馳せ自然と浮かぶ笑みの心地良さに目を閉じる。
 彼女との話の種になるなら、まあ何でも構わない。そう思っただけだった。

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