あなたに呪いを差し上げましょう
あの夜以降、襲われることもなく、毎日をのろのろと過ごした。


刺繍をし、写本をし、掃除をし、いちごバターをつくり、紅茶を淹れ、擦りきれた本を取り出しては眺め、ふたりで覚えた星の名をなぞり、よい夜を祈る。


草花が移ろうのを数え、鳥のさえずりが少しずつ変わるのを聞きながら、風の強さに髪が閃くようになったころ、英雄が帰還した。


帰還したという知らせをどこかで聞けたらいいのだけれど。まだお帰りにならないのかしら……と思っていたら、直接来た。完全に予想外だった。


空が白んでいる時間に、馬蹄の音と、どたばたと駆け寄る音、強く扉を叩く音がして、思わず飛び起きた。


「アンジェリカ!」


一応窓の向こうを確認してから扉を開けた途端に肩を引き寄せられて、きつく抱きしめられる。


「ルークさま」


アンジーなんてやさしげな呼び方はかなぐり捨てているあたり、焦りがうかがえた。


このひとなら、普段は「こんな時間に申し訳ない」とか朝の挨拶とかくらいは言うはずだし、こんなふうにこちらを起こすような訪問はしないはずだし。

そもそも、勝手に触れない。


「あなたが襲われたと聞いた。無事でよかった……!」


戦場で知らせを聞いたのか帰還途中で聞いたのかはわからないけれど、どこで聞いても、知らせを聞くような場所にいる時点でルークさまが間に合うわけがない。


ああ。このひとは、危ない場面に間に合わないだけでこれほど焦ってくれるのかと、思った。


すまない、と慌てて離したルークさまに笑って、扉を閉めてかんぬきをかけ、椅子をすすめる。


柑橘の香り高い紅茶を淹れ、いちごバターをたっぷり落としたパンと、豆のポタージュをあたため直して出すと、なつかしいな、と空色の瞳がやわらかくほどけた。


「怪我はなかったかい、夜は眠れている?」

「ええ、大丈夫です」


矢継ぎ早の質問と、いまだに上がったままの息に少し笑う。


大丈夫ですよ。大丈夫。


「わたくしは、はじめから。生まれ落ちたそのときから、死ぬはずでした」
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