拾った宰相閣下に溺愛されまして。~残念イケメンの執着愛が重すぎます!~
30.二人の溝を飛び越えまして。
勝ち誇ったように得意げにエリアスを見下ろすフィアナと、なぜか後ろで両手を縛られソファに座らされたエリアス。黒いドレスにうさ耳姿の少女が、縛られた青年を前にふんぞり返る姿は、最早怪しげな雰囲気すら漂わせる。
エリアスは困ったように視線を泳がすと、ぽっと顔を赤らめた。
「えっと……フィアナさん。こういうご褒美は実に『ご褒美』なのですけれど……。私たちには少々、時期尚早ではありませんか?」
「そういうんじゃないわよ、バカ!」
エリアスを縛った張本人、キュリオがふたりの間に割って入る。そして、小さな小瓶を取り出して栓をきゅぽっと抜くと、有無を言わさずエリアスに突き出した。
「もう。エリアスちゃんったら、手がかかるんだから。まずはコレ! 全部飲み干しなさい」
「なんです、これは。苦い匂いが……むぐっ」
「媚薬の解毒!」
キュリオの説明に、エリアスがぎょっとしたように目を見開く。キュリオに流し込まれたそれをごくりと飲み込むと、エリアスは改めて目を白黒させた。
「は? 媚薬?」
「シャルツ陛下が見ていたのよ。エリアスちゃんのグラスに、一緒にいたかわいこちゃんが何かを盛るのを。あの子が何を混ぜたのか正確にはわからないけど……、まあ、手に入るレベルの媚薬ならこれで解毒できるし、眠り薬なら寝れば治るでしょ」
キュリオは手早く小瓶をしまうと、念のためエリアスの額に触れて熱を測ったり、目を覗き込んで充血がないか確かめたりする。そうやって目に見える異変がないことを確かめると、ぱんぱんと手を払った。
「おーけー、処置完了! 後から症状が出てくるかもしれないし、念のためここで休んでなさい。私はシャルツ陛下に報告してくるから。いい? 縛ったから滅多なことはできないでしょうけど、くれぐれもフィアナちゃんに変な気を起こすんじゃないわよ」
そう言い残すと、キュリオはぷりぷりと部屋を出ていく。フィアナは、唖然と見送るエリアスの隣にちょこんと座ると、ぷいとそっぽを向く。そんな彼女に、エリアスは戸惑いつつ尋ねた。
「薬って本当ですか? アリスさんが私に?」
「…………」
「フィアナさん?」
「本当みたいですよ。私もその瞬間を見たわけじゃないので、なんとも言えませんけど」
少々とげのある返しに、エリアスはぱちくりと瞬きをする。そして、控えめにフィアナの顔を覗き込んだ。
「あの、何か怒ってます?」
「怒ってません」
「ですが、可愛い眉間に皺が……そんな顔も、すごく愛らしいですが」
「勝手に顔覗くの禁止です」
にべもないフィアナの返事に、エリアスがしゅんと項垂れる。それはまるで、叱られて落ち込む大型犬のようだ。その憐憫の情を誘う姿に、フィアナはため息を吐いた。
そして、フィアナはぽんぽんと自身の膝を叩くと、照れくさそうにエリアスを睨んだ。
「顔を覗くのは禁止ですが、膝は特別に貸してあげます。一応エリアスさんは、変な薬を飲んじゃったかもしれないわけです。少し、横になってはどうですか」
「それは……」
驚いたように息を呑んで、エリアスがきれいな目を瞠る。彼は少々迷うように目を逸らしてから、「では、お言葉に甘えて」と言い訳のように答え、もぞもぞと横になる。
ぽふりと、エリアスの頭がフィアナの膝に乗った。
「…………」
「…………」
二人の間に、長い沈黙が落ちる。フィアナはぴんと背筋を伸ばした姿勢のまま微動だにしないし、エリアスはエリアスで、横になったまま身じろぎひとつしない。ややあって、エリアスはこほんと咳払いすると、滔々と語り始める。
「頬にあたる柔らかさ、温かさ、絶妙な高さといい、たとえ枕職人が総力を尽くしても実現し得ないこの寝心地は極上であり、なおかつ心を溶かす安心感は何物にも代えがたく……」
「ス、ストップ! なんですか、それ。膝枕のレビューとかいりませんから!」
「だって! この空気どうすればいいんですか! 照れくさいじゃないですか!」
「はあ!? エリアスさん、大人でしょ!? こんなことで動揺しないでくださいよ!」
「しますよ、動揺くらい!」
やけっぱちのように叫んで、エリアスが膝の上からフィアナを睨み上げる。だが、すぐ朱の差した頬を隠すように顔をそむけると、拗ねたようにぼそぼそ続けた。
「好きな人の、膝枕なんです。大人だって浮かれますし、それ以上だって期待します」
フィアナは目を丸くした。そして、おかしくなって噴き出した。
パーティのゲストに混ざるエリアスは、あんなにも気品に満ち、美しかったのに。――まるで見えない壁で阻まれたように、彼をどこか遠くに感じたのに。
恐る恐る、フィアナはエリアスの細い白銀の髪に触れる。びくりと彼の肩が跳ねるなか、フィアナは壊れものを扱うように優しく髪を撫でた。
「そうですか、そうですか。いつも余裕そうに見えて、案外エリアスさんも私と変わりませんね」
「……すみませんね、大人げがなくて」
「いえいえ。お可愛くて、とても良いと思います」
くすくす笑いながら、フィアナはエリアスの髪で遊ぶ。それはまるで絹のように滑らかで、ずっと触れていたくなる。
だからだろうか。フィアナはちょっぴり、素直になることができた。
「さっき会場で一緒にいた人。アリスさん、っていいましたっけ。すごく可愛い人でしたね。あと胸が大きかったです」
「っ、フィアナさん、見ていたんですか?」
「見ていましたとも。エリアスさんが美女に美乳を押し付けられて注意力が散漫になっているところを、じろじろ見てやりました」
「それは違います」
思いのほか強い口調で、エリアスが遮る。彼は少しの間だけ逡巡し、それから何かを思いついたようにぱっと表情を明るくすると、フィアナを見上げた。
「私の上衣の胸ポケット。その中にあるものを、出していただけませんか」
「ポケットの中、ですか?」
自ずとエリアスの体に触れなくてはならず、フィアナはわずかに赤面する。それでも意を決してポケットに手をそろそろと入れると、指先に覚えのある何かが触れた。
取り出したそれを見て、フィアナはあっと声を漏らした。