拾った宰相閣下に溺愛されまして。~残念イケメンの執着愛が重すぎます!~
43.いじわる令嬢は画策しまして。
「……では、そのように」
恭しく頭を下げて、エリアスは王の執務室を後にする。
作り物めいたアイスブルーの瞳で前を見据え、颯爽と城内を歩くエリアスの姿はどこかピリピリと張りつめている。このところ、もっぱら丸くなったと言われていたエリアスであるが、冷気を纏って歩くいまの彼には誰も声を掛けようとはしない。
けれども、すれ違う文官たちが遠巻きに彼を見守るなか、エリアスを呼び止める男がいた。
「ルーヴェルト宰相閣下!」
足を止めたエリアスは、感情の読めない瞳を声がした方向へついと向ける。そこには、満面の笑みでもみ手をする男――街の豪商、チャールズ・クウィニーと、その娘のアリス・クウィニーがいた。
長い前髪を揺らし、エリアスは軽く二人に頭を下げる。
「これはこれは、お揃いで。今日はいかがされたのですか」
「少々、財務長官とご相談がありまして。そしたら、娘がどうしてもついてきたいと我儘を言うものですから。それより! 閣下、心配しましたぞ!」
そう言って、クウィニーは小太りの体を揺らして駆け寄る。その後ろに、同じく心配そうにエリアスを見上げるアリスも続いた。
「その頭。街で喧嘩に巻き込まれ、怪我を負われたと聞きましたぞ」
「ご心配ありがとうございます。ですが、すでに体に問題はありません」
「しかし、聞くところによりますと……」
さすがに口に出すの憚られたのか、クウィニーが口ひげを忙しなく撫でながら目を泳がす。そんな父の後を引き継いで、アリスが大きな瞳でエリアスを見上げた。
「エリアス様、記憶を無くされたというのは本当なのですか!?」
「こ、こら、アリス!」
すかさずクウィニーが娘をたしなめるが、目だけは興味津々にエリアスの返答を待っている。やはり、クウィニーとしても気になるところなのだろう。仕方なく、エリアスは首肯した。
「本当ですよ。といっても、記憶が欠けたのはこの半年分だけ。政務にしてみても、その間の書類はすべて目を通しましたから、差支えはありません。皆さんにご心配をおかけすることはないと、約束できるかと」
「さすがはルーヴェルト宰相閣下……! 記憶を無くすとなどという一大事にも、少しも動じず仕事を政務にあたるとは。私、感服いたしましたぞ」
丸い腹をさすさすと撫でて、クウィニーが大きく頷く。少々芝居がかった態度にエリアスは軽く顔をしかめるが、それをものともせず、クウィニーは大袈裟に嘆いた。
「しかし、この国を支える大事なお方に怪我を負わすなど、許しがたいですな! ルーヴェルト宰相閣下を失うことがどれほどメイス国の損失になるか、その悪漢はこれっぽちも理解しておらんのでしょう!」
「エリアスさま」
首を振るクウィニーの横で、アリスがぱっとエリアスの手を取る。無垢としか言いようのない瞳をうるうると潤ませ、アリスは真剣な声音で告げる。
「私でお力になれることでしたら、なんでもします! ですから、困ったことがあったら、すぐに仰ってくださいね?」
「アリスさん……」
切れ長の目を瞠り、エリアスがアリスを見下ろす。ややあって彼は、氷の大地に迷い込んだ春風のように柔らかく、微笑を洩らした。
「ありがとうございます。その時は、お言葉に甘えさせていただきましょう」
真っ赤になったアリスに、エリアスは美しく一礼。それから彼は「後がつかえておりますので」と詫びると、来た時と同じく颯爽と廊下を歩き去っていく。
――残されたクウィニー親子は、あたりに人目がないことを確かめると、どちらともなく大きく息を吐いた。
「いやはや! よかったなあ、アリス! すっかりお元気そうじゃないか、閣下は!」
「よかったなあ、じゃないわよ! バカ、パパ!!」
媚びる相手がいないためだろう。思い切り目を吊り上げて、アリスは父親を睨んだ。
「エリアスさまに怪我させるなんて、ほんと、パパの駄犬は使えない! いったい、どんな躾をしているわけ? エリアスさまにもしものことがあったら、どうしてくれるのよ!!」
「お、怒らないでおくれよ、可愛いアリス。だからこうして、お詫びに城まで連れてきただろう? 彼らにもきつく言っておいたし、もう許しておくれ」
おろおろと慌てるクウィニーに、アリスはつんとそっぽを向く。
「どうせだったら、もっと大暴れして、店ごと潰してくれちゃえばよかったのに。あんな店、エリアスさまにちっともふさわしくないもの」
「む、無茶言わないでおくれよ。ねえ、アリス。知っているだろう? 中央通りはいま、警備隊のパトロールが厳重なんだよ。あんまり目立っちゃうと、彼らが警備隊に捕まっちゃうんだよ。そしたら、パパや商会とのつながりが警備隊にわかっちゃうかもしれないし……」
「ほおら。あんな店ひとつ潰せないなんて、やっぱりパパなんか頼りにならないっ」
「アリス~~っ」
愛娘のご機嫌を取るのに、クウィニーは必死である。だが、そんな父親の様子など気にもかけず、アリスは長い髪をさっと払って腕を組んだ。
「まあ、いいわ。エリアスさまの記憶がないのは、好都合だし。あの、身の程知らずな町娘のことも忘れて、最近じゃ店に行くのもやめているみたいだもの」
「そうだろう、アリス! ようし、今がチャンスだよ。いまのうちに、閣下をお前の魅力でメロメロに魅了して……」
「甘いわよ、パパ。それだけじゃ、エリアスさまの記憶が戻ったらおしまいだもの」
すげなく一蹴して、アリスは鼻を鳴らす。
「この状況を利用しない手はないわ。記憶が戻ってもあの子のところに戻れなくなるほど、徹底的な溝を二人の間に作ってやるのよ」
「いよっ、すばらしい! さすがはパパの娘だ。それで、どんな手を使うんだい?」
娘の機嫌を少しでも取りたくて、クウィニーはここぞとばかりに持ち上げる。そんな父親に、アリスは意地の悪い笑みを浮かべてこう言った。
「もう一度、駄犬を借りるわ。いい? 今度こそ、上手に吠えてみせてよね」