拾った宰相閣下に溺愛されまして。~残念イケメンの執着愛が重すぎます!~
50.初遠征に繰り出しまして。
時は少々遡る。
それは、エリアスがフィアナを週末デートに誘う数日前の、とある昼下がりのこと。
ちょうど買い出しに出かけてフィアナが店をあけていたその時間。グレダの酒場には、異様な緊張感が満ちていた。
仕事の途中で抜け出してきたのだろう。フィアナの留守を狙い澄ましたように、エリアスが突如店を訪ねてきた。宰相服を纏い、いつになく真剣な面持ちで現れたエリアスに、フィアナの両親の顔も自然と険しくなる。
ゴゴゴゴゴと、重苦しい空気が流れる。まるで、今から法廷でも開幕しそうな勢いだ。
そんな中、エリアスがバンッと両手をテーブルについた。
「ベクターさん。カーラさん」
吹き荒ぶブリザードのごときオーラに、ベクターとカーラは同時にごくりと息を飲み込む。グレダの酒場の店主たちが身構えていると、エリアスは額がテーブルについてしまいそうなほど深く、きっちりと頭を下げた。
「今日はお二人に、お願いがあって参りました……!」
――そんなことがあったとは露知らず。
エリアスに誘われた約束の朝。どことなく浮き足だった心地で扉を開けると、すでに到着していたらしいエリアスがぶんぶんと手を振った。
「フィアナさーん! おはようございまーす!」
「見えてます。そんな、ぶんぶん手を振らなくたって、見えてますから」
早朝からハイテンションなエリアスに、思わずフィアナは苦笑する。けれども今朝ばかりは、そんなエリアスの気持ちもわからないでもない。
忠犬よろしく、これから乗る馬車の前で嬉しそうに自分を待つ彼のもとに駆け寄ると、エリアスはにぱっと笑み崩れた。
「素敵な朝ですね。昨晩はよく眠れました? クッションはたくさん積んでいますので、眠くなっても枕には困りませんよ。あ、朝食は食べました? まだでしたら、オレンジかクロワッサンか、ほかにもクッキーがありますよ。そうだ、荷物を貸してください! 馬車に積みますね、すみません気が利かなくて」
「ストップ、ストップです、エリアスさん!」
ぶんぶんと見えないしっぽを振りつつ、ずらずらと続けるエリアス。それをいったん宥めながらも、フィアナ自身、自然と緩んでしまう表情を隠しきれずはにかんだ。
「これから二日間、一緒にいるんです。焦らなくても、時間はたくさんありますよ」
「フィアナさん……!」
感動を噛みしめるように、エリアスが天を仰ぐ。いや、もしかしたら彼のことだから、また天の神だか女神だかに、感謝の祈りを捧げているのかもしれない。
次にフィアナを見たとき、エリアスは満面の笑みで声を弾ませた。
「では、参りましょうっ。私たちの初めての旅行、出発です!」
そうなのだ。なんとこれから、一泊二日の旅行デートなのである。
〝スカイリークに別荘があるんです。最近は行けていませんでしたが、川や湖も近く、とても涼やかな良い場所ですよ。よかったら、ご一緒しませんか?〟
そうエリアスに誘われたとき、フィアナは驚いた。次いで、目を輝かせた。
スカイリークは、メイス国の中でも有数の景勝地だ。豊かな緑と美しく涼やかな湖、奥に臨める切り立つ山脈。そんな絶景ポイントでありながら王都から馬車で半日ほどで行けるというお手軽さで、大人気の観光スポットである。
もとは山越をする旅人向けの宿場町だったらしいが、いまは余暇のために訪れる人がほとんど。お金持ちのひとたちの中には、ルーヴェルト家のように別荘を持ち、避暑のため夏のほとんどの時間をスカイリークで過ごす人もいる。
「フィアナさんは、スカイリークは初めてでしたっけ?」
かたことと馬車が走り出したところで、エリアスにそう聞かれる。フィアナは首を振りつつも、頬を掻いて苦笑をした。
「小さい頃に家族旅行で行っているみたいなんですけど、あんまり覚えてなくて。エリアスさんはしょっちゅう行くんですか? 別荘もあるくらいですし」
「しょっちゅう、とまではいきませんね。近場とはいえ、二日以上のお休みがなければ行けませんし。けれども思い入れのある場所ではあります。私も、昔は両親と行きましたよ」
「ご両親と?」
なんとなく気になって、フィアナはエリアスを見上げた。そういえば、彼の口から家族のことを聞くのは初めてだ。
前にシャルツ王が言っていた。エリアスの母はシャルツの乳母で、父は前宰相だと。だから少年時代の彼は、あの広い屋敷でほとんどの時間をひとりで過ごしていた、と。
「ん? どうしました?」
小首をかしげて、エリアスが優しい声で問いかける。そのアイスブルーの瞳を見つめて、フィアナは迷った。
聞いてもいいのだろうか。エリアスのこれまでの話。彼の家族の話。どんな風に暮らし、どんな風に過ごし、今の彼へとつながったのか。
悩んで。迷って。逡巡した挙句――フィアナは、話を逸らした。
「い、いえ。それより! 今回の旅行のこと、うちの両親が許してくれてよかったです。てっきり、お父さんあたりは反対するかなって思ったんですが」
「それはもちろん、私たちはグレダの酒場の公認カップルですから。ベクターさんとカーラさんも、フィアナさんと私のラブラブ具合をご存知なわけですしっ」
「ラブラブ具合って……。ていうか、よく考えたら私たち、これまでの過程のほとんどが両親に筒抜けなわけですよね。今更ですけど恥ずかしくなってきた……」
「いいじゃないですか。なんなら私は、全国民に我々のラブストーリーを惚気たいです!」
「本気でやめてください、やめて」
ジト目で睨むフィアナに、エリアスが楽しげに笑う。
なお、彼がフィアナを誘うより先に両親を攻略していたことは、フィアナのあずかり知らぬこと。その中で父・ベクターと娘の彼氏・エリアスという、ベタにもほどがある男同士の熱い語り合いがあったりなかったりしたのだが……それもまあ、余談であろう。
「大丈夫ですよ、私の可愛い天使さま」
ちゅっと音を立てて、ふいにエリアスがフィアナの頬に口付ける。突然のことに頬を押さえて驚くフィアナに、エリアスは甘く、幸せそうに微笑んだ。
「今日と明日は、私と貴女のふたりだけ。普段できない分も、フィアナさんをたくさん独り占めすると胸に誓っているんです。だから貴女も、心行くまま私を独占してくださいね」
「…………っ」
本当に、この人は。そう、フィアナは真っ赤になって顔を覆った。
「エリアスさん。明日まで、そういう不意打ちみたいなの禁止です。心臓が持ちません」
「ダメですよ、天使さまっ。この二日間は、フィアナさんをデロデロのドロドロに甘やかすって、神に誓っているんですから」
「そんなしょうもないこと、神様と約束しないでください!」
こんな、普段通りのやりとりさえも、特別に思えてしまうような
二人の甘く楽しい旅は、こうして始まったのだった。