やさしいベッドで半分死にたい【完】
けれどせかいは、だれかのうそで
秋の海は気まぐれなのだと言う。
ここは坂を登れば山があって、下っていけば海にたどり着くような、自然の狭間でこっそりと呼吸している町だ。花岡との文通の記憶をたどるように、毎日、たった二人きりで時間を浪費している。
どれくらいの時間が経ってしまったのだろう。
考えることをやめてしまった。一日のどの時間もピアノに触れないで生きる人生が、私に用意されているとは思いもしなかった。夜に脅されて、震えながら紙とペンを探す頻度が減っている。間違いなく、たっぷりと朝まで眠れる日ができていた。
音のない世界というものに、体が徐々に慣れている気がする。まるでつめたい真水にひたした指先が、感覚を失っていくみたいに、あるいは薬の耐性ができてしまうみたいに。
花岡は必ず私の耳元で声をかけてくるようにしているし、不便に感じることなどそう多くない。だから、このまま、花岡以外のすべての音が聞こえないまま、二人でそっと、この町で息を潜めるように生活していけばいいのかもしれない。
さて、果たしてこれは、誰に対する言い訳なのだろうか。
花岡の叔母の家で朝食を摂り、昼食と夕食は二人で料理をすることが多くなった。
指先の怪我の可能性を考えてあまり作ることもなかったから、どちらかというと私よりも花岡のほうが、包丁さばきが丁寧なような気がした。気にしているのは私だけなのかもしれない。