やさしいベッドで半分死にたい【完】
5歳で日本から連れ出されたから、ほとんど日本に住んでいた記憶はない。そのまま音楽学校に入学して、ただひたすらピアノと向き合うばかりの日々だった。
正確に言うと、その前に、日本にいたころから、すべての時間をピアノに捧げていたのは言うまでもないけれど、昔のことはかなりあいまいな記憶だ。
ずっと向き合い続けていた。それだけが確かだ。
弾けば弾くほどに次があって、コンクールに出て、グランプリをとればとるほどに、目まぐるしく世界が変わっていく。
つねに振り落とされないように、必死になっていたかもしれない。
ただ、ピアノに向き合い続けていただけなのかもしれない。世界の各地で演奏をして、まるで自分のことだとは思えないくらいの脚光を浴びた。
取材も何もかも、すべてが日常だった。
感覚が麻痺して、徐々にすべてのものに心を動かされなくなっていた気がする。
そんな時だった。その人から、エアーメールが届けられたのは。
私の13歳は、間違いなく多感な時期だった。
拙い英語で書かれた文字を必死に読み解いて、それがファンレターであることを知った。私がすべての取材に日本語以外の言語で答えていることを知っていたのか、決して慣れているとは思えない文法を使って、送ってくれていた。
一番下にだけ、日本語で文字が書き込まれていた。