やさしいベッドで半分死にたい【完】
“親愛なる藤堂周さまへ”からつづくメールは、もう何年も前から、私の目に触れる場所に届けられていた。
ひどくけだるいまま、返信を選択している。
どうしてこんなにも、生きづらいのか。
“親愛なる、貴女へ”
“今日、驚くようなことがありました。私の耳は、突然音を拾うことを諦めてしまったようです。いつも待ってくださっていた貴女には、本当に申し訳のない気持ちでいっぱいです。ごめんなさい。どんな私でも待ってくれている、と、何度でも言ってくださったのに、私はどうやらここまでのようです。思えば、ピアニストとしての人生が終わってしまったときに、音と関わる生き方を捨ててしまえばよかったのかもしれません。今はただ、誰かが耳元で囁きかけてくれるような細やかな音だけが胸に残ります。聞こえない世界というのは、案外幸せだったりするのでしょうか。貴女の明日が、いつまでも輝きますように。もう、お返事は必要ありません。今まで応援していただき、ありがとうございました”
まるで遺書のようなものを、ただただ改行することもなく並べ続けていた。
いつ何時でも誤字脱字のチェックには余念がないのに、それすらもどうでもいい。
はやくこの事実を伝えて、見限られたかったのだろう。何度追いかけられても、応援されていても、もう無理だ。