マリオネットは君と人間になる
下駄箱で靴を履き替えていると、ふいに日野川先輩が口を開く。
「そういえば、そろそろ進路とか急かされる時期じゃない? お人形さんはどんな方向に進むか決めたの?」
「まだきちんとは決めていませんが……最近は少し、音楽大学に興味があって」
「うーわ、酷い。演劇部を裏切るんだ」
「そうじゃないですよ。ただ、吹奏楽部でクラリネットを演奏していたときも楽しかったなって」
演劇は好きだが、それを職業としてやっていけるかと聞かれると自信がない。それは音楽でも同じだが、私の中でまだ音楽を諦めきれていない自分がいるような気がするのだ。
このことは近々お母さんにも相談して、早いうちにオープンキャンパスに行ってみようと思っている。
「……まぁ、時間をかけて決めていけばいいよ」
日野川先輩と雑談を交わしながら、バス停へと向かう。
日野川先輩は今日の夜、直斗と一緒に外食に行くらしい。日野川先輩と直斗は今ではもうすっかり仲良しで、電気会社に就職した直斗も、休みの日はよく日野川先輩と出かけている。
——VD祭の日の夜。
私とお母さんは、初めて直斗の泣き顔を見た。
直斗は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、必死に今まで堪えてきた本音を吐き出した。
自分の顔が憎かったこと。
そのせいで、私とお母さんから距離を置かれていることが辛かったこと。
演劇部という居場所さえも失ったこと……。
直斗が全てを包み隠さずに吐き出すと、私とお母さんは直斗に謝罪し、最後にお母さんは私と直斗を抱きしめた。
冬季合宿から帰ってきた私を抱きしめたときのように、何度も何度も『愛している』と唱えながら。
あれから少しずつではあるが、家族での会話が増えていった。お母さんは早めに帰って来るようになり、直斗も家で夕食を食べるようになった。
周りは当たり前のように思う、ごく普通の家族の形。
それはどうしようもないほど嬉しくて、今では家に帰ることを億劫に感じることはなくなった。
そんな幸せな日常を与えてくれたのも、今私の隣にいてくれる日野川先輩だった。
日野川先輩には、本当に感謝してもしきれない。
その恩返しになるかはわからないが、いつか、日野川先輩に飛び切りの笑顔を見せられるようになりたい。
そしてもう一度、日野川先輩に——。
「あ、猫だ」
普段利用しているバス停でバスを待っていると、ふいに日野川先輩がそう呟いた。
日野川先輩の視線の先を見ると、住宅街の塀の家に黒猫がバランスよく立っていた。
黒猫は「みゃあ」と鳴き声を上げて、塀の奥へと走っていく。
その後ろ姿を見つめていると、突然、日野川先輩が私の右手に自分の左手を絡める。
「日野川先輩?」
私が日野川先輩の顔を覗き込むと、日野川先輩が何処か遠くを見つめて、儚げに言う。
「……大丈夫。もう、君を羨ましいなんて思わないよ」
誰に向けてでもない独り言。
私は何も言わずに、日野川先輩の手を握り返した。
大切な人が傷ついたり、悲しんだりしているときに、側に寄り添ってあげられる。
そんな素敵な人間に、私はなりたい。
「そういえば、そろそろ進路とか急かされる時期じゃない? お人形さんはどんな方向に進むか決めたの?」
「まだきちんとは決めていませんが……最近は少し、音楽大学に興味があって」
「うーわ、酷い。演劇部を裏切るんだ」
「そうじゃないですよ。ただ、吹奏楽部でクラリネットを演奏していたときも楽しかったなって」
演劇は好きだが、それを職業としてやっていけるかと聞かれると自信がない。それは音楽でも同じだが、私の中でまだ音楽を諦めきれていない自分がいるような気がするのだ。
このことは近々お母さんにも相談して、早いうちにオープンキャンパスに行ってみようと思っている。
「……まぁ、時間をかけて決めていけばいいよ」
日野川先輩と雑談を交わしながら、バス停へと向かう。
日野川先輩は今日の夜、直斗と一緒に外食に行くらしい。日野川先輩と直斗は今ではもうすっかり仲良しで、電気会社に就職した直斗も、休みの日はよく日野川先輩と出かけている。
——VD祭の日の夜。
私とお母さんは、初めて直斗の泣き顔を見た。
直斗は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、必死に今まで堪えてきた本音を吐き出した。
自分の顔が憎かったこと。
そのせいで、私とお母さんから距離を置かれていることが辛かったこと。
演劇部という居場所さえも失ったこと……。
直斗が全てを包み隠さずに吐き出すと、私とお母さんは直斗に謝罪し、最後にお母さんは私と直斗を抱きしめた。
冬季合宿から帰ってきた私を抱きしめたときのように、何度も何度も『愛している』と唱えながら。
あれから少しずつではあるが、家族での会話が増えていった。お母さんは早めに帰って来るようになり、直斗も家で夕食を食べるようになった。
周りは当たり前のように思う、ごく普通の家族の形。
それはどうしようもないほど嬉しくて、今では家に帰ることを億劫に感じることはなくなった。
そんな幸せな日常を与えてくれたのも、今私の隣にいてくれる日野川先輩だった。
日野川先輩には、本当に感謝してもしきれない。
その恩返しになるかはわからないが、いつか、日野川先輩に飛び切りの笑顔を見せられるようになりたい。
そしてもう一度、日野川先輩に——。
「あ、猫だ」
普段利用しているバス停でバスを待っていると、ふいに日野川先輩がそう呟いた。
日野川先輩の視線の先を見ると、住宅街の塀の家に黒猫がバランスよく立っていた。
黒猫は「みゃあ」と鳴き声を上げて、塀の奥へと走っていく。
その後ろ姿を見つめていると、突然、日野川先輩が私の右手に自分の左手を絡める。
「日野川先輩?」
私が日野川先輩の顔を覗き込むと、日野川先輩が何処か遠くを見つめて、儚げに言う。
「……大丈夫。もう、君を羨ましいなんて思わないよ」
誰に向けてでもない独り言。
私は何も言わずに、日野川先輩の手を握り返した。
大切な人が傷ついたり、悲しんだりしているときに、側に寄り添ってあげられる。
そんな素敵な人間に、私はなりたい。