マリオネットは君と人間になる
「お前、厄介な奴に捕まったな」

 二年生の教室がある階の階段を降りていると、ふいに森くんが前を向いたまま口を開いた。

「厄介な人?」

「センパイのことだよ。あの人、自分の気に入った奴のことはとことん調べる性格してるからさ。教師達と仲いいから、全校生徒の中から一人の生徒探し出すのも訳ないんだと。疑問に思わなかったのか? 昨日の渡り廊下で、なんで俺がお前のクラスと名前を知っていたのかって」

 言われてみれば……遺書に名前は書いていたから、日野川先輩が私の名前を知っていたのは納得できる。でも、クラスまでは……。

 日野川先輩は、私のことをいろんな人に聞き回っていたってこと?

 たかが弁償代と座長決めのために、そこまでするの……?

 少し寒気がして、知らないままのほうがよかったと後悔する。それと同時に、改めて日野川先輩が持つ底が知れない恐怖を再確認する。

 ……私、とんでもない人に目をつけられたのかもしれない。

 私は森くんの後ろを歩きながら、一つ気になったことを質問する。

「そ、それじゃあ昨日……森くんが渡り廊下にいたのも、私を演劇部に連れていくための待ち伏せ……だったの?」

「ふはっ。さすがにお前の行動範囲まで全部把握してるわけじゃねーって。単純に、あそこは俺の気に入ってる場所なんだよ。そこにたまたまお前が来たってだけ。あの場所、風も気持ちいいし、授業サボって教師に追いかけられてもすぐに反対の校舎に逃げられるしな」

 びっくりした。日野川先輩に、私が渡り廊下に行って自殺しようとしていたことも見透かされていたのかと思った。

 ……というか今森くん、授業サボって先生に追いかけられるって言った?

 不良っぽいじゃなくて、正真正銘の不良じゃん……。

 この現代で、そんな漫画みたいに先生とリアル鬼ごっこしてる生徒がいるなんて、聞いたことがない。

 まさか本当に、しかもこんな身近にそんな人がいたとは……。

 悪い意味で森くんに感心していると、彼は何かを思い出したかのように「あ」と声を上げて振り返る。

「そういえば、お前はどうしてあそこに来たわけ?」

「えっ」

「俺からしたらラッキーだったけどさ、渡り廊下に来たってことは、第二校舎に何か用があったんだろ?」

 ううん。渡り廊下で、飛び降りるつもりだったの。

 なんて正直に答えられるはずもなく、必死に言い訳を探す。

 墓穴を掘った。こんなこと聞かれるなら、なんで渡り廊下にいたかなんて聞かなければよかった。

「……う、うん。第二校舎の、図書室に行こうとしてたの」

「図書室?」

「そう。借りていた本の返却日が昨日だったから、それで……」

「マジで? なら、今から先に図書室寄ってくか?」

 そう言って渡り廊下に向かおうとした森くんを慌てて止める。

 そんなことしたら、私が本当は本を借りていないことがバレてしまう。

 本だって滅多に読むことがないため、私の鞄には森くんを誤魔化すために使える本一冊入っていない。

「だ、大丈夫! 昨日、あの後に返しに行ったから!」

 声を張り上げて言うと、森くんは少しだけ顔を横に傾ける。

「そうか? それならいいけど」

 そう言って森くんは、再び前を向いて階段を降り始めた。

 視聴覚室のある一階まで降りてくると、森くんは小さな声で呟く。

「……なんか、悪かったな」

「え? な、何が?」

「昨日、お前を無理矢理つき合わせたことだよ。少し……てか、かなりビビッてただろ?」

 森くんは先程とは違い、今度は振り返って目を合わせるようなことはしなかった。

こちらに背中を向けたまま、森くんは続ける。

「センパイはさ。人の迷惑は考えないわ、自己中だわで、結構めちゃくちゃな人だけど、悪い人じゃねーんだ。そこのところ、わかってやってくれねー?」

 森くんの顔は見えないが、その声はとても優しかった。

 その声色だけで、森くんが日野川先輩のことをどれだけ慕っているかが伝わってくる。

 照れくさそうに首裏をかく森くんの耳は、鮮やかな金髪が対照してより赤く見えた。

 見た目も口調もやっていることも、全てが完璧に不良な森くんだけど。

 ——思っていたよりは、怖い人じゃないのかもしれない。

「……うん」
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