マリオネットは君と人間になる
日野川先輩の予想は大外れで、広い体育館の中は外と同じくらい冷え切っていた。冷たいフローリングの床を靴下の履いた足でペタペタと歩き、ステージまでやってくる。日野川先輩と共に二階の照明ブースに行き、舞台の真上のライト——サスペンションライトを二つつける。それだけで、暗闇に包まれていた体育館がぼんやりと明るくなった。
ステージまで戻ってくると、日野川先輩は懐中電灯を消して指示を出す。
「お人形さんは上手側のライトの中に入って。時間ないから、場面Dのノアとルーカスの会話からいくよ」
日野川先輩に言われた通り、ステージ上の上手側の丸い光の中に入る。顔を上げると天井のスポットライトが眩しくて、右手で目元の上に屋根を作る。
日野川先輩は下手側のライトの中に入ると、私の方に体を向ける。
「お人形さん、準備はいい?」
「……はい」
「それじゃあ、場面Dの最初から——」
日野川先輩はパンッと両手を叩き、目を閉じて大きく息を吸い込む。その僅かな音は、誰もいない体育館によく響いた。
そして日野川先輩は目を開き、真っ直ぐにこちらを見て、いつもより低い声色で言った。
「ノア。最近どうしたんだ? 本番であんなミスをするなんて、お前らしくないだろ」
「……ごめん」
ノアはオリビアの正体を知ったあの夜から、全てのことにおいて集中力が欠けていった。それは仕事でも同じで、その日はサーカスの本番中に些細なミスを犯してしまった。ルーカスのフォローによって大事にはならなかったが、団長からはきつく注意された。
ルーカスはそんなノアを不審に思い、夕食前の時間にノアを問い詰める。
「俺は謝罪が欲しいわけじゃない。何か悩みごとがあるなら、俺にも話してくれないか?」
「大丈夫だよ。そんな大したことじゃないから……」
「嘘つき。……ノア。俺達、たった二人だけの家族だろ? 家族に、嘘をつかれ続けるこっちの身にもなってくれよ。ノアが苦しんでいるとき、何も力になれないで、ただ見ているだけだなんて……辛いんだよ」
「……ルーカス」
辛そうに顔を歪めるルーカスを見て、ノアはぽつり、ぽつりと消えそうな声で語り出す。
毎晩会いに行っていたオリビアのこと。あの夜に路地裏で見た光景。オリビアの正体。そして……今日が、オリビアの誕生日だということ。
ルーカスはとても驚いていたが、一言一言、ノアの言葉を真剣に聞いてくれた。ノアが全てのことを説明し終えると、ルーカスは重たい息をついて言う。
「……俺は、行かない方がいいと思う。彼女がノアに別れを告げたなら、ノアが彼女の誕生日会に行く必要もない。種族の壁は、そう簡単に乗り越えられるものではないからな」
「そう、だよね」
「ただ、」
ルーカスは張りのある声でノアの言葉を遮る。そして……柔らかい、ルーカスらしい笑みを浮かべて言った。