マリオネットは君と人間になる


 合宿二日目の朝。

 私の目は真っ赤に腫れていて、真っ先に同室の室谷さんと竹市さんにとても心配された。

 二人に昨日のことを話すわけにもいかないので、私は咄嗟に思いついた「花粉症で目を擦り過ぎてしまった」という言い訳をした。室谷さんはすんなりと信じてくれたが、竹市さんには嘘だと見抜かれたようで、訝しげな視線を向けられた。

 私の目よりも大きな問題があったのは隣の和室で、岡本先生が二日酔いで物凄く顔色を悪くしていた。岡本先生が土気色の顔で「気持ち悪くて練習に参加できない」と言うので、顧問がいないと部活もできないため、急遽その日の練習は中止となった。

 私としては助かったが、岡本先生にはこれから校内での飲酒喫煙は控えてほしいと思う。そもそも最初から禁止されているのだけれど。

 帰り際、日野川先輩から「終わったら電話ちょうだい」と耳打ちされた。

 そして、私の顔を見て一気に険しい顔をした森くんにバス停まで送られ、演劇部の冬季合宿は終わった。

「本当に大丈夫か?」

「うん。ただの花粉症だから」

「……あんまり目、擦り過ぎるなよ。それじゃ、また明日」

 森くんと別れ、バスに乗り込む。

 ……あの様子じゃ、森くんにも嘘だってバレてたな。

 内心で苦笑しながら、空いていた席に腰をかけ、二日分の衣服などが入ったリュックを膝の上で抱きかかえた。


 アパート三階のドアの前で立ち止まり、鍵穴に家の鍵をさし込む。すると、その鍵は何の突っかかりもなくあっさりと回った。

 ……あれ、鍵が開いてる?

 直斗は先日の「演劇なんてくだらない」と言ったあの日から、友達の家に泊まりに行くといって、しばらく帰っていない。

 お母さんが締め忘れたのかなと思いながらドアを開ける。

 見慣れた玄関に、一足の黒いパンプスが並んでいる。

 こんな時間にあるはずのないパンプスの存在に驚いていると、廊下奥のリビングの扉が開く。その奥から、お母さんがひょっこりと顔を覗かせた。

「おかえりなさい。思ったより早かったわね」

「お母さん……? なんで……」

「昨日上司の人に言われてね、今日の出勤が午後からになったのよ」

 エプロンをつけたお母さんはそう言ってこちらに歩いてくる。

 「おかえりなさい」。普段なら私が言う立場だった言葉を、お母さんから言われる。たったそれだけのことなのに、それがとても嬉しくて……。

 涙腺がまだ緩んだままなのか、私の目からはぽろぽろと涙が零れ落ちる。
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