翡翠の森
「何かあったら、遠慮なく言って」
「それこそ、十分すぎるくらいしてもらっているわ」
当然といえば当然ながら、重くなった雰囲気を振り払うようにその声は明るい。
ロイを見送りながら、自然とジェイダの声のトーンも上がる。
「本当はもっと、ゆっくりしていきたいけど。僕がいない時は、必ずジンを頼るんだよ」
キャシディの名前を出して、自分で心配になったのかもしれない。
何度もそう言う彼に、苦笑して平気だと告げる。
連れられて来た時の不安を思えば、不便なことは何もない。
からかったり冗談を言うロイからは想像しにくいけれど、彼だって忙しいはずだ。
きっと、知らないところで公務に追われているに違いない。
「まだ、本調子じゃないんでしょ。もう、あんなふうに暴れないでね、お姫様」
何を思い出したのか、笑いを必死で堪えている。
からかう為でも、お姫様扱いするには相応しくない顔だ。
「暴れたりなんて……っ?……」
その表情に気が緩んでいたのか、もう一歩ロイが踏み込んだのに気づくのが遅れた。
それもそうだろう。
それだけ込み上げてくる笑いを堪えながら、ほんの数歩扉から体を出しただけの距離を、戻って来るとは思わなかったのだ。それに――。
――まさか、その手が頬に触れて。こちらへ屈んだまま、額に唇が降りてくるなんて。
「んなっ……!? 」
王子様からのキスなんて、幸せすぎて一瞬のように感じられるだろう――もしかしたら、子供の頃はそう夢見ていたかもしれないけれど。
アルフレッドやジン、それに廊下を歩いていた城の人たちの視線が集中する中では、今のジェイダにはとても長く感じる。
気のせいでなければ、ロイもまるで何かを念じるように口づけているみたい。
――頼むから、いい子にしてて。
だとしたら、きっとこうだろう。
それでも、やっぱりドキドキして石のように固まるしかできないけれど。
わざとらしく、ちゅっと音を立てて唇が離れると、ジェイダは勢いよく扉を閉めた。