翡翠の森

(聞こえた? ロイが心配なの)


だったら、何ができる?
こんなふうに、誰の眼中にもない自分に。


《……雨は降るよ》


雨が降る? クルルに?


《ジェイダが、二つの国を平和に導こうと祈るなら。雨は降るよ》


それだけ言うと、マロは再びポケットの中に隠れてしまった。


(待って……! それって、どうやったら……!! )


町長から告げられた時も思ったが、自分にそんな力があるとは到底思えない。
けれど、何度呼びかけても、マロは姿を現してはくれなかった。


(どういうことなの……)


「……やはり話にならないな。北の勢力は確かに強いが、かと言って長年くすぶっているものを忘れ、トスティータと和解するなど。第一、国民が心情的に納得できないだろう」


一応は検討してみたとばかりに言い、キャシディが席を立つ。


「それくらいなら、いっそ北と協力して……などと、言い出す輩が出て来かねない。ならば、現状維持の方がましではないか? 」


初めて、キャシディの笑顔らしい顔を見た。
美しい弧を描く唇は、この先が容易に想像できるほど好戦的で背筋が凍る。


(……だめ……始まってしまう! )


《雨は降るよ、ジェイダ》


「……っ、雨は降ります……!! 」


気がつけば、そう大声で叫んでいた。
今まで視界に入っていながら、誰もが無視していた存在に視線が集中する。


「ジェイダ……!? 」

「……なに……? 」


もちろん、この二人も。


「それは、お前が降らせるということか? 」


ジェイダにも、何が何だか分からなかった。
マロの話だって、極度の緊張による幻聴であると言われた方がしっくりくる。
いや、それ以外の何だというのだ。
子リスが喋って教えてくれたなどと、誰が信じてくれる?


「……雨は降りますと。そう申し上げました」

「予言か。いつだ」


ロイの体を押し退け、今初めて興味が沸いたと近寄ってくる。


「キャシディ。やめてくれ」


が、ロイもそれを許さない。
ジェイダを庇うように、間に身を滑り込ませた。

「言いだしたのはそこの女だ。いや、クルルの乙女よ。雨はいつ降る? 」


その呼びかけもわざとらしい。
芝居がかった口調は、まるで遊びだと言わんばかりだ。


「……分かりません。でも、降ります」

「それは困る。残念だが、いつとも知れぬものをのんびり待つほど、私は気が長くない。だが」


再度帰りかけた足を止め、何かを揶揄するようにジェイダとロイを交互に見た。


「三日やろう。その間に雨が降れば、トスティータとの友好条約を考える」

「……っ、三日!? 」


悲鳴にも似た声を、ロイが張り上げた。


「無茶だ、ジェイダ! 取り消して!! 」

「何だ。それほど愛しい女を信じられないのか? アルバート」


ブルブルと震える手で、ぎゅっと拳を握る。


「……恐れながら、“考える”だけではだめです。もしも雨が降れば、直ちに国交の正常化へ向けた準備を。これまでのような考えを捨て、更なる同盟の強化を。……それなら三日でも構いません」


これは、本当に自分の口から出た言葉なのか。
体は震えて仕方がないのに、声だけは何故かよく通る。
まるで、何かが乗り移ったかのようだった。


「……いいだろう。ただし、それだけの大口を叩いておいて、降らなかったらただでは済まんぞ」

「……その時は、裏切り者と

「……ジェイダ!! 」


ロイの怒号が飛ぶ。
こんなロイは初めてだ。
それくらい怖い顔と声で止めてくるのに、なぜかほっとしてしまう。


「ふざけるな。そんなこと、僕がさせない」

「どうして怒る? “仮に”雨が降らずとも、犠牲は祈り子一人。トスティータにとっても、割のいい賭けだ。クルルにしてみても、祈り子が偽物だったことが証明される。本物を探せばいいだけだ。……悪くはない」


賭け――。

そんなことで、民の生活が決まる?

目の前にいる、母国の王子。
誇らしいはずの漆黒の瞳を、ジェイダは隠すことなく睨みつけた。



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