ぽんこつ魔女は社畜騎士さまの添い寝役をつとめたい
イケる口だねぇ
そんな素敵な始まりをした朝だったのですが――――
「カミュさまのお茶が冷めちゃいましたね……」
夜です。カミュさまの私室で、カミュさまの湯殿が終わるのをギギと待っていました。やはりこの時間だとギギは眠いのか、話しかけても私の膝の上で欠伸をしています。
カミュさまが帰ってきません。
いつもは私が身支度するよりも早くお部屋に戻ってくるくらいなのに、今日は本を半分くらい読んでも音沙汰なしです。夜湯冷めしないように、お疲れの身体を温かいお茶で癒やしてもらおうと思ったのです。いつもなら、とっくに戻ってきてもおかしくない時間です。それに合わせて、私は準備していたのですが……。
そうです! なんと、私はお茶を淹れられるようになったのです!
相変わらず髪が上手く纏められないので、火を起こすことは厳禁です。なので今日も寝る前にクロにお湯を沸かしてもらいました。「魔法を使えばあっという間なのに」とこぼしたら、クロがとても怖い顔で笑っていました。もうっ、私だってカミュさまや他の人の前で使う気はないですよ! バレちゃいけないことだってわかってます。
でも……このお茶淹れだって、最初はひどいものでした。薄かったり、渋かったり、酷い有様だったのですが――カミュさまに何度も叱責を飛ばされているうちに、この一月で美味しく淹れられるようになったのです。だから魔法もきっと……。
「寝かしつけの魔法だけは、昔から得意なんですけどねぇ」
本を読みながら、私はつぶやきます。
森で暮らしていた頃は、人の目もありませんでしたので、他の魔法もそれなりに使っていました。もちろん、クロにはよく怒られていたのですが……それでも、結果失敗したとしても、事あるごとに魔法を使っていたのです。
だって、使わないと上手くなりませんから。
お茶淹れだって、何度も練習したら上手くなりました。
だから魔法も……と思うのですが、街に来てから、使う機会がめっきりなくなってしまいました。
もちろん、私が魔女だとバレてはいけない理由くらい、わかるんです。
今まさに読んでいる本に書いてあります。これは近年のこども向けの歴史書なのですが――二十一年前、私が生まれる少し前からこのスタイナー帝国と隣のミュラー皇国は戦争を始めました。
発端は、国境にあるアルクハンドル大河周辺土地の利権争いとのこと。その戦争は三年間も続きました。騎士はもちろん近隣の農民、そして魔女も巻き込んでのそれはひどいものだったようです。
魔女とは、私のように魔法の使える人のこと。その素養を持つ人のほとんどが女性のことから魔女と呼ばれています。そして魔女は存在がバレれば、この戦争のように国に利用されてしまいます。
このアルクハンドル大戦で、利用されたのは炎の魔女でした。私のお母さんです。
一向に収まらない戦火を、炎の魔女は一晩で収めました。その力で瞬く間にスタイナー帝国に勝利をもたらしたのです。本ではその後、消息を絶ったと書かれています。
……私だって、戦争の道具にされたくありません。この力で人を殺めるなど、もってのほかです。
それでも、私は魔法が使いたい。だって私は魔女なんですから。大好きなお母さんの娘なのですから。魔法は、その証なのですから。
この本は、勉強が苦手がわたしの暇つぶしにと、カミュさまが貸してくださったものです。本を読んでいると、お母さんを思い出します。
「ねぇ、ギギ。カミュさまや陛下は私のこと、どこまでご存知なのでしょうね?」
私がそんなことを言ってしまったからでしょう。ギギはペロペロと私を舐めてきます。ふふっ、くすぐったい。
「ギギ、そのくらいで。あまりベタベタになったらカミュさまになんて言われるか……」
どうやらカミュさまも猫がお嫌いではない様子。でも、さすがによだれでベタベタな女とベッドに入るのは嫌ですよね。
だからぐーっとギギを離して……ふと呟きます。
「でもカミュさま、ここまで遅いと何かあったんですかね? お風呂で寝ちゃったとか……」
そこでハッと気が付きます。大変です! カミュさまは今日もお疲れのご様子でした。そして私は聞いたことがあります。お風呂に入ったまま寝てしまうと、溺れても気が付かずに二度と目覚ることが出来ないかもしれないのです!
「ギギ、行きましょう!」
私は慌てて部屋を飛び出します。やはりネグリジェのままだとだいぶ寒いですが、それどころではありません!
湯殿へ向かって走っていたその時――誰もいないはずの応接間から大きな笑い声が聞こえました。
「カミュ、さま……?」
男の人の声です。だけどカミュさまの笑い声は、そういえば今まで聞いたことがありません。だから私は恐る恐る、その扉を少しだけ開けることにします。
すると、
「よぉ、サナちゃん! 元気だった?」
その御方は、陽気に片手を上げて挨拶してくださいました。今日はまるで平民のように緩い格好とした赤い長髪の御人は、絨毯の上に胡座を搔いています。酒瓶を片手に持ったその顔は薄っすら赤らんでいるようです。
その御方に、私は当然見覚えがあります。忘れられるはずがありません!
でも、なんでここにいらっしゃるのですか⁉
「へへへ、陛下⁉ こ、今宵も大変麗しく……神々しく……?」
「はは、堅苦しい挨拶はいらないから。悪いな、起こしてしまったか?」
「いえ、そういうわけではっ!」
本当に寝ていたわけではないので必死に否定すると「あまり大声を出すな」と呆れ気味の声が聞こえます。思わず陛下を注視してしまっていましたが、その場にはカミュさまもおられました。
「カミュさま! 良かったです、溺れてなかったんですね!」
「え、何? カミュの今日の任務は海水浴だったんだっけ?」
「んなわけないでしょう……それよりも。あんたの声はよく響く。弟が起きてしまうぞ」
そうです、クロは早寝早起きなのです! 家事して、お弁当作って、また家事して。クロはとてもハードな毎日を過ごしています。そんなクロの睡眠を邪魔してはいけません。私は部屋に入り、ゆっくりと扉を閉めました。
「それにしても……どうして陛下がいらっしゃるのですか? 何か急事が――」
「そうだ。とても大事で急ぎの用事だ」
陛下の真剣なお顔に、私は固唾を呑みます。すると、陛下は私の腕を引きました。
「サナちゃんと酒が飲みたい~!」
「えぇっ⁉」
あっという間にグラスを持たされ、陛下に手酌までされてしまいます。お酒の匂いは、どうも苦手です。だけど飲むように促されてしまえば、私はその赤い液体を飲まざる得ません。
「し、失礼します」
一気に飲み込めば、喉が焼けるようでした。だけどその奥から葡萄の香りがします。全く甘くない濃厚葡萄ジュースです。
「お、イケる口だねぇ」
「どう……なんでしょう?」
正直お酒は初めてなので、何がイケるのかイケないのかわかりません。なので再び陛下に注がれ、私はもう一杯飲み干してみます。うん、甘くない分食事とは合いそうです。そうですね。慣れてくれば中々美味しいかもしれません。今までは食わず嫌いだったのでしょうか。
それが顔に出ていたのでしょうか、陛下はとてもご満悦の様子でした。
「それじゃあ、サナちゃんにはこの酒に合うつまみでも作ってもらおっかなぁ~」
「陛下、それだけはお止し下さい」
私が何か言うよりも早く、カミュさまがいつになく険しい顔で言います。
「死にたいんですか?」
「え、どういうこと?」
カミュさまひどいです……さすがにそんな大袈裟なことはないと思う――自分では思っているのですが――そうですか。カミュさまに料理を披露したことはないはずなのですが、そんなに信用ないですか……。まぁ、火を起こす許可もいただけていませんし。作れるものなんて……何があるんですかね?
とにかく、黙っていろとばかりにカミュさまに睨まれては、さすがの陛下の質問でも答えるわけにはいきません。居た堪れなく視線を逸らすと、嘆息したカミュさまが腰を上げました。
「俺が作ってきます」
陛下はとても不服そうに口を尖らせておりますが、私は正直楽しみです。カミュさまの手料理はどんなものなのでしょうか? ふふっ。何でも器用にこなす御人だから、やっぱり美味しいのでしょうね!
カミュさまはなぜか私の顔を見てため息を吐き、部屋から出ていかれました。
そして、私は気付いてしまいます。どうしましょう、陛下と二人っきりです!
失礼のないようにしなければ……だけど退屈させないようにお相手しなければ……どうしましょう、かなりの難題なのでは⁉