ぽんこつ魔女は社畜騎士さまの添い寝役をつとめたい
 クロの声音は、とても固いものでした。

「僕は一人の男として、ずっと姉さんのことを幸せにしたいと思っていたんだ。なに不自由しない、何にも不安のない暮らしを一緒に、ずっと二人きりで過ごして行きたかったんだけど……最近ほら、邪魔者が増えたじゃない? その邪魔者にも負けないくらいのお金や、地位や、名誉を……これ以上姉さんが汚されないために、少しでも早く手に入れる手段が皇子になることだと思ったんだ」

 汚される……? その物言いに不思議と思っても、クロの目があまりに真剣だったから、私は口を挟むことが出来ません。クロは私を真っ直ぐ見て、

「ねぇ、サナ(・・)。僕がずっと守ってあげる」

 ハッキリと言います。

「僕の全てを捧げるから、ずっと僕だけを見て。これからも、ずっと僕だけの女性でいて。僕だけの隣で笑っていてほしい。僕の力で幸せになってもらいたいんだ」

 全く迷いのない目で、もう一度言います。

「僕と結婚してほしい」

 私を見つめて、私の手に口付けして。

「愛してる。誰よりも、ずっと。僕はサナのことを愛している」

 それは、私に向けた愛の告白。

 ――呼ばないで。

 ねぇ、クロ……私は、喜べばいいのでしょうか? 大好きなクロにこんなにも想ってもらえて、私は喜べばいいのでしょうか?

 喜んだら……クロもきっと、喜んでもらえるのでしょうか?

「サナ……」

 ――私を……クロがサナと呼ばないで!

 だけど、私の目からは涙が落ちました。

 私はクロのためなら何だってする覚悟だったんです。ただでさえ本当の親に捨てられて。育ての親まで失って。とても可哀想な想いをした弟のためなら……人生も、命も、全てを懸けているつもりでした。それが私が生きている理由なのだと思っていました。

 ――私は『姉さん』じゃなかったの?

 そんなクロから、『サナ』と呼ばれました。そして告白されました。可愛い弟からではなく、一人の男性として告白されました。

 了承しなけば、クロは悲しむでしょう。だったら私の答えは決まっています。決まっている……はずなのに……。

 ――カミュさま……。

 あの方の御姿が頭から離れません。それは、叶わぬ恋だとわかっていたのに……あんな人と出会えただけで、私には過ぎた幸運だったというのに。

 あぁ、私はいつからこんなに強欲になってしまったのでしょう。私なんて、何もできないのに。なんのお役に立てないのに、もっとおそばにいたかっただなんて。

 でも、あの人は昨日『俺のそばから離れるな』と言いました。当然、それは違う意味だということもわかっています。

 それでも……嬉しかったのです。私なんかでも側にいていいのだと……あんな大変な場だったのに、私は嬉しく思ってしまったのです……。

「クロ……私は……」

 どうしましょう。どうしましょう。
 頭の中がゴチャゴチャです。目の奥がユラユラします。喉がどんどん乾いてきます。身体はどんどん熱くなるのに、心はとても冷たいです。

 あぁ……どうして、私はこんなにも愚かなの?

「あはは……」

 気がつけば、笑っていました。涙をボロボロと溢し。掠れた声で。

「あはははははは」

 こんなに馬鹿でどうしようもない私なんて、どうして生まれてしまったの?

 家事もろくにできない。魔法もまともに使えない。
 こんなにお膳立てしてもらったのに。こんなにもクロは私のことを想ってくれているのに。

 どうして私はこの手を取れないのでしょう。この手を取れば、クロは喜んでくれるのに。また可愛い顔で、笑ってくれるのに。

 どうして。どうして。

「あははははははははははははははははははは」

 ――どうして、私は何もできないの?

 クロが必死な顔で叫んでいます。だけど何を言っているのかわかりません。
 私が聞こえるのは、私の笑い声だけ。

 暗い空。雨が降っているようです。それなのに私の体は燃えるように熱くて。いくら雨に打たれても、全然冷めてくれません。

 私はただ笑うだけ。何も面白くないのに、ただただ私は笑うだけ。

 ボンヤリと、獣が踊っているのが見えました。ゆらゆら揺らめく様子に、炎のような熱さも色も感じません。透明で、だけど可愛らしい耳の長い獣が、あちこち飛び跳ねています。

 屋根からベンチに降りました。すると、そこに座っていていた人が崩れ落ちるように倒れました。次にその獣は露天の中に飛び込みました。すると商人さんが商品の上で寝始めます。

 獣が戯れるように色んな人に飛びつきます。すると、みんな雨に濡れるのも厭わずねむりだすのです。

「リィーリ……」

 私は、私の魔物に手を伸ばします。

 ねぇ、リィーリ。どうか私をねむらせてください。
 もう寝たいんです。何も考えたくない。夢の中ならきっと、みんな一緒で笑っていられるから。

 クロがいて。お母さんがいて。お父さんがいて。カミュさまもいて。
 みんなで一緒に。何も考えず、幸せに。

 ふふ。なんか少しだけ楽しくなってきました。そうですよね。ねむりましょう。

 夢の中でくらい、私もきっと幸せに――――

 私はリィーリに手をのばします。

 どうか、どうか私をねむらせて。
 ずっと覚めることのない夢の世界に連れて行って。

 それなのに――全てがボンヤリしていたはずなのに、その声だけはシンと私の中に響きました。

「サナ、大丈夫ですよ」

 そして、その人は私の手を取って。
 いつの間にか、私は抱きしめられていました。

 長い黒髪。大きな手。いつも敬語で話す、私の大好きな――――

「おと……さん……」

 あの時から、ずっといなかったお父さん。
 生きていたの? なんで今まで側にいてくれなかったの? どこに行っていたの? 

 たくさん疑問に思うことはあるはずなのに、私はその胸の中でただただ泣くことしか出来ません。

「お父さん……お父さん……!」
「えぇ、サナ。あとは私に任せておけば大丈夫ですから。今までよく頑張りましたね。だから――ねむりなさい」

 温かい手で、私の頭をゆっくりと撫でてくれます。その手がとても心地よくて――私はゆっくりと目を閉じていきました。



< 33 / 47 >

この作品をシェア

pagetop