ぽんこつ魔女は社畜騎士さまの添い寝役をつとめたい
私、綺麗になれましたか?
日が暮れても、眠れるわけがありません。涙が枯れ果てた頃、朝を迎えました。だけど朝食にも早い時間。それでも打ち付けたれた板の隙間から、眩しい光が溢れています。
「サナさん……起きてます?」
「はい……」
私も身支度は全て整えてあります。水色のドレスを着て、化粧をして、耳の上の髪も簪でまとめました。鏡の中の私は、昔とはまるで違います。
ねぇ、カミュさま。私、綺麗になりましたか?
私は飲みかけのカップを置き、叩かれた扉を開けました。迎えにきてくれたレスターさんの目の下にも影ができてます。
「……見える場所をね、陛下が用意してくれたから。一緒に見送ろう」
「ずいぶんと早いご出立なのですね」
「人手が少ないうちに、てことらしいっすよ。国内では、小隊長の件を民には公表しないらしいし。人気があったからね、小隊長」
「なるほど……」
お貴族様の圧政を糾弾した一族の見目麗しい嫡男。そして没落後も身一つで騎士街道を歩み、陛下の御身まで救ったことのある英雄。そんな御人が、また国のために命を捧げ、隣国へ処刑されに行くという。
――どうして……?
私は再び流れそうになった涙を、奥歯を噛みしめることで堪えました。
騎士とは、国のために身体を張るお仕事。だからこそ、名誉ある称号。
それはわかってます……わかってますが。一晩ずっと考えて。考えて。どうして思ってしまうのです。
――本当に、そこまでする必要があるのですか?
足元にはいつも通りギギが連れ添ってくれますが、廊下を淡々と歩く私たちにこれ以上の会話はありません。
レスターさんも、ずっと苦虫を噛み締めたようなお顔をしています。以前カミュさまから頂いたギギの首輪の鈴の音が、やたら響いているような気がしました。
部下にもこんな顔をさせて。友達である陛下も憔悴させて。そうしてお仕事のために懸ける命とは何なのでしょう。もちろん動物を軽んじるわけではありませんが……カミュさまは畜生ではありません。常に周りの人に気を配り、恩義を大切にする、甘い物が大好きな素敵な人です。
そんな人を犠牲にした上に、平和が成り立つのですか? 誰かを犠牲にしないと、安寧は保てないのですか?
私が馬鹿だから、政治の難しいことはわかりません。私がわかるのは、自分のことだけ。カミュさまに死んでほしくないということだけ。
「サナさん、ここ」
案内されたのは、応接間でした。初めて城に訪れた時、クロと一緒に面談したあのお部屋です。
この場所に来たことから、全てが始まりました。姉弟二人きりだけの慎ましい生活から、色々なことが変わりました。
クロが学校へ通い、いつしか皇子様になって。
私も毎日騎士の屯所へお弁当を運び。不器用ながらも化粧を覚え、お茶の淹れ方を学び。魔女として城で飼われることになって。
そして今日、クロが本当の祖国である隣国へ渡ろうとしています。私が初めてお側にいたいと思った人を手土産に――――
レスターさんがバルコニーを開けてくれます。一迅の風が私の髪を大きく靡かせ、私の髪に付けた簪飾りがシャラッと音を立てました。
今日はとても良い天気です。雲ひとつない、青い空。朝の空気は少し冷たく、一呼吸するだけで身体にわからせてきます――これは、現実なのだと。
「ちょうどだったみたい」
レスターさんに促され、私もバルコニーに出ます。
眼下には、平氏さんたちが道の両側に列を成し、その真ん中を通る人たちがいました。
「陛下がいないっすね。やっぱり友人の最期を見送るのは辛いか……立場上、なおさら」
確かにレスターさんの言う通り、赤髪の姿はありません。
先頭を歩く人物は、たとえ遠目でもわかります。皇族らしい立派な衣服に身を包んでいようとも、私の弟だった子なんですから。姉さん、姉さんと私のあとをついて来て、寝かしつけていた可愛い弟が――たとえ面影が金髪しかなくても――立派になって歩いて行きます。
その後ろには、繋がれた鎖を兵士さんに持たれている人がいらっしゃいました。短い褐色の髪のその御人は、もう鎧やマントを身に纏ってきません。まるで捕虜のような簡易な服を着て、下を向いて歩いています。
「やめて……」
私は涙と共に拒絶の言葉を溢すことしかできません。私は魔女です。災厄をもたらす悪い魔女なのです。そんな私なんかはここで大人しく飼われるだけ。カミュさまに守られて、陛下の言う通りに従うことしかできないのです。
――本当に?
だって、私は何にもできない子なんですよ? 寝かしつけが得意だからって、何になるというんですか。お料理もできない。お掃除もできない。魔女なのにろくに魔法すら使えない。こんな私は偉い人に言われるがまま大人しくしているのが、世のため人のためだというものです。
――本当に?
そもそも、カミュさま本人がこれを望まれたのですよ? スタイナー帝国に魔女を保有させつつ、平和的にミュラー皇国と平和条約を継続させる。ミュラーの次期国王はクロですし、恩を売って悪いことはないのでしょう。たとえ私が魔女でなくとも、スタイナー帝国に義姉の身柄があれば、いざという時に使い道もありそうですよね。騎士一つの首でクロに親帝国派として国を導くことを約束させることができるなら……割りの良い条件だということは、一般庶民でもある私にだってわかる話です。
――本当に?
当然です。だって私は――――
「レスターさん……私、綺麗になりましたか?」
「え? そりゃ最初の頃に比べたら……」
ふふ。レスターさん顔に出てますよ。それ、今聞くことですか? て。そうですよね、大切な人とお別れする時に、聞くことではありませんよね。
だけど、
「ありがとうございます」
おかげさまで、勇気が出ました。
今日はカミュさまが気に入ってくださっていると思われる水色のワンピースに近いものを選ばせていただきました。洋服はお城の方に用意してもらったものですが――お化粧も簪も、自分で施したんです。レスターさんが迎えに来るまで飲んでいたお茶も、自分で淹れたんですよ。
私にだって、出来ることが増えたんです。少しずつだけど……カミュさまや皆様の手を借りながら、もう何にも出来ない私じゃないんです。
だから――
「ごめんなさい。今からすごく迷惑かけます」
「サナさん……?」
私はやっぱり悪い子みたいです。国のためにより、カミュさまが大切なんです。
売国奴と言われても否定できません。何千何万の人の平和より、大切な一つの命があるみたいです。
「カミュさまに告白することにします」