ぽんこつ魔女は社畜騎士さまの添い寝役をつとめたい
お仕事全うするまで帰りません!
◆ ◆ ◆
いけません……私は働かなければいけません……。
クロのために、可哀想な、また親を亡くしてしまったクロのために、私が――
「本当、姉さんは僕がいないとダメなんだから。ねぇ、ギギ?」
「みゃ!」
あれ? なんだか、ぬくぬくします。
「姉さんは、何もしないでいいんだよ。いいこだから、ね?」
心地よいぬくもりの中、誰かが頭を撫でてくれています。えへへ、褒められちゃいました。そして私の大好きな歌が聞こえます。お母さんが私を寝かしつける時に歌ってくれていた曲です。
お母さん、サナ頑張るからね……。だけどお母さん、サナは少しお腹が空きました。お腹も思わずキューッと鳴いてしまいます。
「ふふ、お腹すいた? ご飯できてるよ」
その声に、私はパチリと目を開けました。金髪の美少年です。だけど見慣れた落ち着く顔です。
「クロ!」
私は思わず抱きつきます。なんかすごく久々な気がしたのです。きっと夢でも見ていたのでしょう。まさか私がクロと離れ離れになって、殿方の添い寝役になんか――
「姉さん、一日ぶりなのに大袈裟だよ?」
「え?」
どういうことでしょう。私はクロが弟になってから一日たりとも離れたことがありません。それなのに――いつの間にか、クロがとっても立派な人に見えます。
紺色のピシッとした洋服を着ているからでしょうか。お貴族の坊ちゃまのようです。だけど、ギギは当たり前のように彼に抱っこされています。気持ちよさそうに目を細めて。
夢……じゃないんですよね?
この眩しい美少年が……私の大好きな弟なんですよね?
「ど、どうしましょう……クロが素敵すぎます……」
「ふふ、ありがとう」
私が目を白黒させていると、クロが恥ずかしそうにはにかみました。
「これね、明日から通う学校の制服なんだ」
「あ、明日から、ですか?」
「うん。陛下……あの面接官がスタイナー陛下だったんだけど、陛下も昔、通っていた学校なんだって。だからお貴族様ばかりで緊張するけど……明日から僕、がんばるから」
そ、そうですか……クロが、とても頭がいいのに、ずっと森で私と一緒だったクロが、学校……
「え、あの……クロ?」
「ん? なあに?」
「おめでとう……ございます……」
クロが、学校に通えることになりました。
クロはできるだけ隠していたようですが……私はずっと知っていたのです。クロが、暇さえあればいつも本を読んでいたことを。
お母さんの本、私は全然わからなかったけど。クロは小さい頃から、ずっと読んでいましたもんね。
お母さんがいなくなってから、ずっと私と二人っきりだったクロ。ずっと私のそばにいてくれたクロ。
良かった……クロ、ようやく勉強できるようになったんですね。
ようやく……お友達ができるようになるんですね。
「クロぉ……」
私はベッドに座ったまま、クロの腰に抱きつきます。クロは私の頭を優しく撫でてくれました。
「もう、姉さん泣かないでよ」
すんすん泣く私と、それを慰めるクロ。
「うぅ……これじゃあ、どっちがお姉ちゃんだかわからないです……」
情けないですけど、クロの手があたたかくて、私はなかなか顔を上げられません。すると「仕方ないなぁ」と嘆息したクロが、私の肩をそっと押しました。ギギを床に置いて、ベッドに腰掛けてきます。
そして、横から私の顔を覗き込んできました。
「それじゃあ……いっそのこと、僕を大人の男だと思ってみるのはどう?」
クロの顔が……とても近いです。まつげが長くて。青い瞳が宝石みたいで。鼻筋もすっと伸びていて。薄い唇が私よりも綺麗で。
そのきれいな顔はクロのものなのに……私の頭には、違う人のお顔が浮かびます。
ここは、私たちの家ではありません。
フカフカのベッドです。毎日私達が使っていた硬く軋むベッドとは違います。本棚と書類に囲まれた、私がさっき掃除したお部屋――掃除したはずなのに、昨晩よりも散らかっているお部屋。
ともあれ、ここはカミュさまの寝室です。
あの眉間にシワを寄せて、不器用に一緒に横になった騎士さま。
そのことを思い出して、私は顔を覆い隠します。
「ね、姉さん?」
クロが心配そうに首を傾げてきます。
こ、これじゃあダメです! せっかくのめでたい日なのに、心配させるなんて! 本当にお姉ちゃん失格です!
「な、なんでもありませんよ! そ、それよりもおなか! お腹すきませんか⁉」
「……そうだね。姉さんのおなかずっと鳴っているもんね」
「そ、そんなこと……あるかも」
意識しだすと、またタイミングよくキューッと鳴って……。
うぅ。私は二十歳。クロは十七歳。
本当にどっちがお姉ちゃんなのかわかりません……。
私が項垂れていると、クロが声をあげて笑いました。
「あははっ、本当に姉さんは可愛いなぁ!」
「もうっ、可愛いのはクロの方です!」
「それはどうだろう?」
立ち上がったクロが私に手を差し出してきます。
私より大きな手。私の手を重ねると、クロが優しく握ってくれました。
なんやかんや、もう夜もけっこう遅い時間だったみたいです。
「そういえば、どうして私をあの部屋で寝かせてくれたんですか?」
「あー、ギギに誘導されたんだよね。けっこう無理やり」
「なるほど?」
ギギはカミュさまの部屋を気に入ったんですかね?
そんなギギは床に置かれたシチューのお皿を必死に舐めてます。ギギはお魚じゃなくとも、何でも食べるいい子なのです。
だけど本当に美味しいシチューです。私もあっという間に平らげてしまいました。
「姉さん、本当に何も食べてなかったんだね。倒れちゃうくらい……」
「クロが助けてくれたんですか?」
はしたないですが、二人して台所でご飯を食べています。簡易的な机も椅子もありますし、むしろ食堂らしき場所は広すぎて落ち着かないね、ということになりました。
私がもう少し食べたいなぁ、なんて思っていると、クロが「おかわりあるよ」と私の食器を取ります。
「ビックリしたよ。屋敷に入ってみるやいなや、姉さんが階段から落ちそうになっているんだから」
「す、すみません……」
申し訳ないやら、恥ずかしいやらで俯いていると、目の前にホカホカのシチューが置かれました。白くて野菜がゴツゴツたくさん入っているシチューです。それに「ありがとう」とお礼を言ってから、私は話します。
「多分、睡眠不足も重なっちゃったのかもしれませんね。でも、もう大丈夫です! たくさん寝ましたし、クロのシチューでお腹も――」
「寝る時間も貰えなかったの?」
「カミュさまも寝てませんから仕方ないかと――」
その時、玄関の方で物音がしました。カミュさまが帰ってきたのでしょうか?
「姉さんはここで待ってて」
私が立ち上がるよりも前に、怖い顔をしたクロがこの場を後にしてしまいます。
「クロ、待ってください!」
私も急いで後を追いますが、早足のクロは私が走るよりもなぜか速いのです。
私が玄関についた頃には、疲れた顔をしているカミュさまの前でクロが険しい顔をしていました。
「はじめまして。姉がすでに世話になっております。弟のクロ=ウィスタリアです」
「あぁ、話は聞いている。この屋敷から学校に通い、空いた時間に家事をしてくれるのだったな」
「はい、どうぞ宜しくしたいところなのですが――」
正直なところ、とても近寄り難いです。とても和やかな挨拶とは言えない雰囲気です。
おずおず私が手を伸ばそうとした時でした。
「あなたは、姉さんを殺すつもりだったんですかっ!」
その声は、お屋敷中に響いたように思えました。家が燃えても動じなかったクロが、見たことないくらいに怒っています。
「睡眠時間も与えず! 食事も与えず! 姉を飼い殺しにする理由を教えてください!」
「は? 睡眠も食事も好きに取れる時間はたくさんあっただろう? 部屋も食材も十分あったと思うが」
「なら、どうして姉さんは倒れたんですか⁉」
「……知らんな」
そう言うと、カミュさまはクロの横を通り過ぎて。
「待ってください、まだ話が――」
「そんなことより、この屋敷の惨状の説明をすべきではないのか?」
その言葉に、クロが奥歯を噛みしめたようです。
お屋敷は昨日案内された時より少々様子が変わっています。絨毯がずれていたり、花瓶が割れていたり、埃が散らばっていたり――そうです。私は、まだお掃除に途中だったのです。あ、あとで片付けようと思っていたのですよ? でもその前に倒れてしまって……。
クロが悪いんじゃありません。私のせいです。
それを言おうと口を開こうとする前に、カミュさまは深々ため息を吐きました。
「まぁいい。あんたたちは早く寝ろ」
そう言い捨てて、カミュさまは寝室の方へ歩いて行ってしまいました。その背中を、私は慌てて追いかけます。
きちんと説明をしなくては。そして何より、寝室に行くということはこれから寝るということです。つまり、添い寝のお仕事の時間です。
「姉さん! どこ行くの?」
「お仕事してきます。大丈夫、きちんとクロが悪くないことも説明してきますから!」
カミュさまは足が長いせいか、あっという間に見えなくなってしまいます。
私も準備を急がなくては。せっかく頂いた制服にも着替えなければなりません。
「姉さん……」
その不安げな声に、私は思わず振り返ります。すると、クロは今にも泣きそうな顔をしていました。うぅ、今すぐにでも抱きしめてあげたいです。でも、本当に心配はいらないんですよ!
だから、
「あとは姉さんに任せておいてください!」
私は満面の笑みを浮かべ、胸を叩いてみせます。
クロ――私、全力でがんばりますっ!
姉さん、今日こそはしっかりお勤め果たしてきますからね!