頑固な私が退職する理由
「うん、うまいうまい」
 青木さんは満足げに咀嚼している。
 一応間接キスになるのだけれど、そんなことは微塵も気にしていない様子だ。
「紅茶もうまいなぁ」
「当たり前でしょ。私のとっておきなんだからね」
 私もタルトをもうひと口。ふたたびの間接キスだ。
「どうりで。給湯室のやつとは香りが違うって思ってたんだよ」
「青木さん、紅茶の味なんてわかるの?」
「あ、おまえ今バカにしただろ。俺だって“いつもと違う”くらいはわかるぞ」
「ほんとかなぁ」
 彼との会話は楽しい。自然体でいられる。
 入社当時はあざとくて計算高い腹黒ぶりっ子だった私に、自然体でいることのよさと大切さを教えてくれたのは青木さんだった。
「このタルト、ほんとうめぇな。俺ももうちょっと食べたい」
 彼との距離は近いままだ。
「じゃあ、ひと口ずつ、半分こね」
 こんなところをほかの誰かに見られたら、きっと誤解されるだろう。
 ふつうの同僚だったらこんなに近づいたりしない。
 ひとつのタルトを間接キスしながら分け合ったりしない。
 私が残業していることを知ったからって、直帰をやめて好物を買って戻ってきたりしない。
 ねぇ、そうでしょう?
 私たちはきっと両想いだ。
 これが勘違いなら、私はなにを信じていいかわからなくなる。
 私たちの関係はいつまで“同僚”のままなのだろう。
 もし私が退職するまでなにもなかったら、この気持ちを抱えたまま会えない日々に苦しむことになる。
「なぁ、沼田」
 不意にじっと見つめられ、胸が爆発しそうになる。
 力のある双眸。男声らしい形の鼻梁。
 血色のいい唇。シャープな輪郭。
 夕方になってセットされた前髪が少し崩れているのが無性に色っぽい。
 彼は日頃ヘラヘラしているから気づかれにくいけれど、まじめな顔をすると恐ろしいくらいに奇麗な顔をしている。
「……なによ」
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