頑固な私が退職する理由
「おまえは戻らねーの?」
彼がパソコンのキーボードをせわしなく打ちながら尋ねてきた。私もタブレットを操作しながら答える。
「時間まではいいかなって。ミーティングルームのほうが静かで仕事が進むでしょ?」
仕事の時は敬語を使っているけれど、彼とふたりきりになると、つい話し方を崩してしまう。
これは半分無意識で、半分わざとだ。
私たちは先輩後輩ではあるけれど、かしこまった話し方をしなければならないほど距離のある間柄でもない。
「わかる。ここなら電話も鳴らないしなぁ」
「そうそう。人に話しかけられて手を止めることもないし」
ここまで話して、お互いに口を閉じた。
端末を操作する音、そしてエアコンの唸りが間を埋める。
数分……いや、そう感じただけで実際は1分も経っていないのだろうが、しばらくして彼がおもむろに口を開いた。
「……会社、マジで辞めんの?」
ドキッと胸が高鳴る。その話題になることは覚悟していたけれど、いよいよ来たかと身構える。
「うん」
短く答える。自分から多くは語らない。
「京都に帰んの?」
「……その予定。実家の仕事、手伝うから」
「ふーん」
青木さんの気の抜けた返事に、胸がぎゅっと絞られるような感覚がした。
ねぇ、それだけ?
もっと言いたいこととか聞きたいことはないの?
私、いなくなっちゃうんだよ?
会えなくなるんだよ?
いいの?
捲し立てたくなるのをこらえ、歯を食い縛る。
彼のタイプ音が止まっていることに気づき、顔を上げる。彼と目が合い、私のタブレットを操作する手も止まった。
「……なによ」
「別に」
青木さんはパソコンを閉じ、立ち上がった。
「じゃ、俺戻るわ」
そしてそう告げ、ミーティングルームを出ていった。
「……もっとなんか言えよ、バカ」
なんて呟くが、バカは私だ。
この期に及んでなにを期待しているんだろう。
彼はこれまでだって気持ちを匂わせるだけで、再三のチャンスがあったにもかかわらず、私との関係を進展させるようなことはしなかった。
だから本当は、私が勝手に両想いだと思っているだけで、彼はただ私を振り回して楽しんでいるだけなのかもしれない。