頑固な私が退職する理由
「あ~あ。青木さん、やっぱ森川社長といい感じなのかなぁ」
まりこが残念そうにため息をつく。
「同い年だし、大学も一緒だし、話は合うんじゃね?」
「そうですけど~」
3人でタクシーに乗り込み、会社へ戻る。
ふたりは彼らについてあれこれ妄想を話していたけれど、私は疲れたふりをして口を挟まなかった。
クラッチバッグからスマートフォンを取り出し、確認する。青木さんからのメッセージはひとつも来ていない。
バッグの中、ハンカチの奥に化粧水のスプレーが見えた。
あの時彼に誘われたと思ったのは、私の思い違いではないはずだ。
言葉にして約束したわけではない。でも、私たちだけにしかわからないであろう言外のサインが確かにあった。そして私は、それを受け入れる旨のサインを返した。
そうなった時は、必ず一緒に夜を過ごした。
短いスパンで誘ってくれたことが嬉しくて、楽しみにしていたのに。
私だって、彼のアスコットタイを解きたくて仕方なかったのに。
私に連絡のひとつもよこさず他の女とふたりで消えてしまうなんて、やるせなくて腹が立つ。
手に握っているスマートフォンのロックを解除して、トークアプリを立ち上げる。
トーク一覧をスクロール。【青木達也】をスルーして、【御園司】の名をタップ。
文字入力欄に、手早くメッセージを打ち込んだ。
【飲みたい】
数秒後には既読が付き、すぐにOKのスタンプが帰ってくる。
そっちがその気なら、こっちもそうしてやる。
会社に到着。インターネット事業部のオフィスには、当然ながらもう誰も残ってはいなかった。
私は着替えることなく、荷物だけ持ってオフィスを出る。
「愛華さん、着替えず帰るの、寒くないですか?」
私を心配するまりこに、私は満面の笑みで答える。
「大丈夫。迎えが来るから」
誰が、とは言わない。すべてを語らない方が、より都合よく捉えてくれるだろう。
ふたりに「お疲れさま」と告げ、エレベーターで1階へ。
ビルを出ると、見慣れたアストンマーチンはすでにそこにいた。