コイノヨカン
「俺は、栞奈が好きだ」
「うん」
知ってる。

「いつまでもずっと、一緒にいたいと思う」
「うん」
私もずっと、渉といたい。

「でも、不安なんだ」
「不安?」

「ああ。俺は子供のころに父親を亡くしただろう?」
「うん」

確か11歳の誕生日。
そのことは今でも渉のトラウマになっている。

「母さんにも祖父母にも大切にしてもらったし、幸い恵まれた家に育った自負はある。それでも、若くして突然死んでしまった父さんのことを思うと不安だった。俺だって明日いなくなるのかもしれない。いつもそんなことを思いながら生きてきた」

「・・・」
こんなに弱いところをさらけ出す渉は初めてで、返事に困った。

私の知っている渉はいつも凛として自分の足で立っている。
弱みなんて見せない男性。
ちょっと度が過ぎるくらいの俺様ぶりが渉の個性だと思っていた。

「今まで、どんなときにも後悔しない生き方をしてきたつもりだ。はっきり言って『死にたくない』と思ったことはなかった。今この時命が終わっても悔いはないと思って生きてきた。しかし、」

そこまで言って渉は私を見た。

「お前と結婚して、俺は栞奈と共に生きると誓った。その時初めて思ったんだ。死にたくないってな」

「渉?」

「正直不安なんだ。俺はもうじき父さんがなくなった年齢になる。もしかしたら俺だって」

「違うよ」
私は渉を遮った。

「そりゃあ誰だって、明日のことはわからない。でも、渉はいなくなったりしない」
何の根拠もないけれど、きっと大丈夫。

泣き出しそうな顔をごまかすように、私は渉を抱きしめた。

「栞奈」
名前を呼び、私の背に手を回す渉。

ぬくもりの中で香る渉の匂い。
この暖かさが緊張をほどいてくれる。

そっと唇が重なった。

私はここが居酒屋の個室だってことを忘れそうになっていった。
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