男嫌いな侍女は女装獣人に溺愛されている
 ノージーの指が、血を拭うように唇をゆっくりと撫でていく。
 唇の端をムニムニと指で押しているのは、なぜなのか。
 名残惜しげにしているようにも見えるが、いかんせん、彼の顔がこわすぎる。
 このしぐさにはどういった意図があるのだろうと思いつつもピケがおとなしくしていると、信じられない言葉が降ってきた。

「これじゃあ、キスできないじゃないですか」

「……ん?」

 なんだか聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。
 いや、聞き捨てた方が良い言葉だったかもしれない。
 とにかく、聞いちゃいけない言葉だ。少なくとも、今のピケには。

「小首をかしげないでください。かわいらしくて、困ります」

「はいぃ?」

 流そうと思った矢先に、またしても聞き捨てならない言葉が降ってきて、ピケは目を剥いた。

「おやおや。楔石(スフェーン)のような目がこぼれ落ちそうですよ? 落ちる前に食べちゃいましょうか」

 すっと身を屈めたノージーの唇が、ピケの目もとへ降りてくる。
 慌てて目を閉じたピケに、ノージーの忍び笑いが聞こえてきた。

「残念」

 ちっともそうは聞こえない声に、ピケは恐る恐る目を開けた。
 今にも鼻と鼻がくっついてしまいそうなくらいの至近距離に、ノージーの顔がある。
 さっきまでのこわい顔がうそのように、彼は意地悪な顔をしていた。
 ネズミを狩る前の、ちょっと遊んでやろうかと思っている時の顔だ。
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