すてきな気持ち
その東京から来ている医師は生まれも育ちも東京らしく、都会的で、今も東京の大学病院で勤めているが、週に2回、金土に診療にあたってくれる。
最新の研究についての情報共有だとか都心と地域医療の現状など、互いに得るものがありますようにと、いかにもきちんとした社会人らしいことを言っていた。
ぱっと見て、同い年くらいかなと由香は思ったが、5歳年上だったので少し意外だった。
「三十代後半にしては若く見えますね」
「独身だから。東京にいるとこういうのはたくさんいるよ」
「そうかもしれませんね」
休憩中に話す機会があったので、そんな話をしていた。
「桜井さんは?大学が東京だったって聞いたけど」
「ええ、学生時代の6年だけ。あとはもうずっとこっちです」
「彼氏は、置いてきたの?」
プライベートな事情を知るはずのない彼がいきなりそういったので変な人、と思いながらも、由香は一瞬だけじっと顔を見て、視線を手元のコーヒーに移して言った。
「彼は東京の人でしたから。彼の実家も病院だったし」
「まあ、よくある話、と言ったら失礼かもしれないけど、僕の友達でもあったよ。そういう話は」
仕方ないよね、と軽い口調で言われたので、同じトーンで由香は「そうですね」と返した。
本当は少しも軽い気持ちではなかったけど。でもたぶん、自分のほうがこの人より誰かを好きな気持ちをきちんと知っていると思った。
「そうだ。今度、このあたりでおいしいお店があったら連れて行って欲しいな。」
丁寧な彼の言葉遣い。下心のうっすら見える微笑み。由香は一瞬だけ間をおいて、同じように微笑んで言った。
「私、外食ってほとんどしないのでわからないんです。でも、何かいいお店がありましたら、ご紹介しますね」
「そう。そのときはよろしくお願いします」
そう言って、期待と違えばさっと引く身のこなし方。
慣れている、と思う。特別執着するわけでもなく、彼は愛想よく返したので、由香も同じように微笑んで、じゃあ、と彼は医局を出て行った。
別に悪い人でもないだろうけど、彼と二人で食事に出かけるような気分にはならなかった。単にこのあたりの案内をして欲しいだけなら、他にも適任の子たちがいるだろうし、仮に下心があったとしても地方の女にされるのはごめんだ。
おいしいお店なんてあったかなと思って、ふと先日のホテルのフレンチを思い出す。同時に、そのお見合いのときの前田くんと呼ばれていた彼を思い出す。
この人よりはその前田くんのほうが親しみやすい感じがした。うまく言えないけれど、なんとなく。
でもそれは博樹と出会ったときの気持ちとは全然違った。
その違いは、どこからくるのだろう。
誰かが誰かに惹かれるって、結局どういうことなのだろう。
そのあと、残された医局で一人スマートフォンを眺める。次の東京出張に合わせて、同級生と連絡を取っていたのだ。
いくつかの学会や研修が重なっているその土曜日は、思いがけず何人かの同級生たちと会うことができそうで、そんな話から小さな同窓会をやろうという話になった。
それなら日帰りにしないで参加する、と返事をしていた。少し久しぶりの東京だったし、たまには街を歩いたり買い物をしたりしてもいいだろう。同窓会の前に女友達とお茶をする約束もしたので、仕事のついでとはいえ楽しみだった。
そして何より、博樹とも会えると思うと、落ち着かなかった。その話が出たときから、もうずっと心は騒がしかった。
「子どもだけ欲しいの」
博樹は、この話を覚えてくれているだろうか。
最新の研究についての情報共有だとか都心と地域医療の現状など、互いに得るものがありますようにと、いかにもきちんとした社会人らしいことを言っていた。
ぱっと見て、同い年くらいかなと由香は思ったが、5歳年上だったので少し意外だった。
「三十代後半にしては若く見えますね」
「独身だから。東京にいるとこういうのはたくさんいるよ」
「そうかもしれませんね」
休憩中に話す機会があったので、そんな話をしていた。
「桜井さんは?大学が東京だったって聞いたけど」
「ええ、学生時代の6年だけ。あとはもうずっとこっちです」
「彼氏は、置いてきたの?」
プライベートな事情を知るはずのない彼がいきなりそういったので変な人、と思いながらも、由香は一瞬だけじっと顔を見て、視線を手元のコーヒーに移して言った。
「彼は東京の人でしたから。彼の実家も病院だったし」
「まあ、よくある話、と言ったら失礼かもしれないけど、僕の友達でもあったよ。そういう話は」
仕方ないよね、と軽い口調で言われたので、同じトーンで由香は「そうですね」と返した。
本当は少しも軽い気持ちではなかったけど。でもたぶん、自分のほうがこの人より誰かを好きな気持ちをきちんと知っていると思った。
「そうだ。今度、このあたりでおいしいお店があったら連れて行って欲しいな。」
丁寧な彼の言葉遣い。下心のうっすら見える微笑み。由香は一瞬だけ間をおいて、同じように微笑んで言った。
「私、外食ってほとんどしないのでわからないんです。でも、何かいいお店がありましたら、ご紹介しますね」
「そう。そのときはよろしくお願いします」
そう言って、期待と違えばさっと引く身のこなし方。
慣れている、と思う。特別執着するわけでもなく、彼は愛想よく返したので、由香も同じように微笑んで、じゃあ、と彼は医局を出て行った。
別に悪い人でもないだろうけど、彼と二人で食事に出かけるような気分にはならなかった。単にこのあたりの案内をして欲しいだけなら、他にも適任の子たちがいるだろうし、仮に下心があったとしても地方の女にされるのはごめんだ。
おいしいお店なんてあったかなと思って、ふと先日のホテルのフレンチを思い出す。同時に、そのお見合いのときの前田くんと呼ばれていた彼を思い出す。
この人よりはその前田くんのほうが親しみやすい感じがした。うまく言えないけれど、なんとなく。
でもそれは博樹と出会ったときの気持ちとは全然違った。
その違いは、どこからくるのだろう。
誰かが誰かに惹かれるって、結局どういうことなのだろう。
そのあと、残された医局で一人スマートフォンを眺める。次の東京出張に合わせて、同級生と連絡を取っていたのだ。
いくつかの学会や研修が重なっているその土曜日は、思いがけず何人かの同級生たちと会うことができそうで、そんな話から小さな同窓会をやろうという話になった。
それなら日帰りにしないで参加する、と返事をしていた。少し久しぶりの東京だったし、たまには街を歩いたり買い物をしたりしてもいいだろう。同窓会の前に女友達とお茶をする約束もしたので、仕事のついでとはいえ楽しみだった。
そして何より、博樹とも会えると思うと、落ち着かなかった。その話が出たときから、もうずっと心は騒がしかった。
「子どもだけ欲しいの」
博樹は、この話を覚えてくれているだろうか。