すてきな気持ち

駅近くの鉄板焼きの店で山形牛を食べることにした。
カウンターで並んで食べるというスタイルは正面で向かい合って食べるより気楽だ。

「換気扇しっかりしてるし大丈夫だと思うけど、服に匂いがついたらごめん」

席に座るなり前田くんが言った。博樹みたいな、いかにも都会育ちのお坊ちゃんという感じはしないが、こういうちょっとした気遣いをするのは育ちの良さや人柄だろうなと思って由香は笑った。

「安物だからお気になさらず」

通勤用の服なんてそんなものだ。色違いで持っている肌触りのいいシャツはそういう意味でもけっこう気に入っている。
その言葉に彼は声を出して笑った。

「おかしい?」

由香が聞くと彼は笑顔のまま言った。

「いや、飾らない人だなあと。」
「だって、見栄を張ったってしょうがないじゃない。嘘をついたりごまかしたりするのは嫌いだし」

はっきりとした口調で由香が言うと、ちょうど一杯目のビールが出された。大きなジョッキを傾けると前田くんもジョッキを傾けて、お疲れ様、と言った。
前菜に出されたまだ春の名残を感じさせるわけぎとホタルイカの酢味噌和えなどの盛り合わせをつまみながら、カウンターの向こうでシェフに野菜から少しずつ焼き始めてもらう。

「コース料理以外にも食べたいものがあれば遠慮なく頼んで」
「ありがとう。私、よく食べるから」
「いいと思う。食事は大事だからね」

彼のその言葉に思わず箸でつかんだままの小さなかわいいイカは口に入る前に止まる。
よく耳にしたセリフ。まるで博樹が言っているのかと思った。懐かしい面影が浮かぶだけで、この胸はわずかに締め付けられる。
そのことを知っているのかな、と思って由香は聞いた。

「私のこと、どういうふうに聞いていて、どんなつもりで今日誘ってくれたの?」

まだ一杯目のビールは半分も減っていないというのに、いきなり核心に迫る質問をした由香に彼はまた笑顔を見せた。何も聞かれて困ることはない、という顔だった。

「大沢先生の奥さんのお兄さんのお嬢さんで、産婦人科医、三十二歳。活発で明るくていい子だよって。」

まあ、そんなものか、と思って由香は口に入れたホタルイカをゆっくり咀嚼した。見合いを勧めるのに悪く言うということはないだろうし、大沢の叔父さんは昔から褒めるのが上手だ。

「今日誘ったのは、単純にもうちょっと話をしてみたいなと思っただけ。あの日は少しも由香さん自身と会話をした気がしなかったから」

そういわれて、金色の液体を流し込むと由香は顔を横に向けて、彼を見て言った。

「失礼だったわね、ごめんなさい」

前田くんは少しも気にしていないという様子で、まるで太陽の下にいるみたいな明るい笑顔だった。

「いや、無理やり連れてこられたんだろうなあって思って、面白かった。失礼な態度をとられたとは思っていないよ。おいしそうに食べるなあとか、いい飲みっぷりだなあとは思ったけど」

その言葉に、飲み干そうかなと思ったジョッキを持つ手が止まる。その様子を見た彼は笑って、「次は何を飲もうか」とドリンクメニューを手に取った。
メニュー一覧にさっと目を通し、焼きあがったばかりのアスパラガスやホタテに合わせて地元の白ワインをいただくことにする。いいセレクトだと思った。日本酒も合うし、鉄板焼きだとジャパニーズウィスキーのソーダ割なんてのもいいと思うが、まずはこの白ワインだろう。
ほんのそれだけで、何かわかりあえそうな気がして、嬉しくなって由香は新しいグラスを笑顔で受け取った。
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