DOLCE VITA ~ コワモテな彼との甘い日々
「から……」
一郎おじさんが去るのを待って口を開こうとしたわたしに、辛島さんは「しーっ」と唇の前に指を立てる。
手招きされて近づけば、そっとガラス戸を開けた。
「コオロギか?」
「だと思うけれど……」
どこから聞こえるのかわからないが、涼やかな鳴き声が闇の中に響いている。
「予想以上に田舎で、驚いた」
くすりと笑った辛島さんは、わたしの腰を引き寄せるとつむじに顎を載せてくる。
「なんか、もかのイメージが百八十度変わった」
「どういう意味ですか?」
「本当のアンタは、あけっぴろげで、大口開けて笑うような人間だな」
「田舎の人間を馬鹿にしてます?」
「ちっぽけなプライドにしがみついて人を蹴落としたり。くだらない悪口を言って優越感に浸ったり。妬んでひとのものを盗んだり。そんなことする人間なんか、周りにひとりもいなかったんだろ」
「子どもだったから、いてもわからなかったと思います」
「子どもだからわかるんだろ。周りの人間の善良さや、無償の優しさが。そうでなきゃ、縁のなくなった場所を故郷だなんて思わねぇよ」
ポン、と軽くわたしの頭を叩いて離れた辛島さんは、用意されていた浴衣を見てちょっと顔をしかめた。
「んー、丈が足りなさそうだが、しかたねぇな」
「背が大きいのもいろいろ大変そうですね」
「日本やアジア以外じゃ、そんなに不便を感じないんだけどな」
「それ以外の国にも行くことがあるんですか?」
「ん? ああ、まぁ……これからは、多くなるかもなぁ」
憂鬱そうな溜息を吐いたが、すぐに気を取り直した彼は、わたしの分の浴衣と、いつの間に買っていたのか、コンビニの袋ごと女性用下着や化粧水などのお泊まりセットを押し付けてきた。
「うしっ! 風呂だ、風呂!」
人気のない廊下を再びフロントまで戻り、布団を用意してほしい旨を告げ、大浴場へ。
細々したリニューアルはしているのだろうが、御影石の浴槽や天然石を埋め込んだ床は記憶にあるそのままだ。
女風呂に先客はなく、貸し切りだった。
男風呂とは隣り合わせになっており、遮る壁は天井まで届かない。
豪快な笑い声や水音が聞こえてくるから、あちらには数名の利用客がいるのだろう。
久しぶりに足を延ばし、ゆったりと湯船につかると、いろんなものが柔らかく解れ、緩んでいく気がした。