人気声優が激甘ボイスを囁くのは私だけ。
翌日。
天くんと別れたあと、彼の言葉が私の心の中でぐるぐると渦巻いて、家に帰ってからも放心状態だった。
(なんで天くんはあんなこと言ったんだろ……またいつもの冷やかし?それともその場のノリで、とか?うんうん、天くんならありえるよな…)
そうやって、何度も自分に「あれは本気で言われたわけじゃない」と言い聞かせた。
でも、あのとき、天くんの言葉にドキドキしたという事実はかき消せることはできなかった。
その後も私はずっと天くんのことを考えてしまい、夜になってもなかなか眠ることができず、おかけで今、とても眠い。
「あすか、大丈夫?」
なんとかしてあくびを噛み殺そうとしていると、横を歩く私のマネージャー・瀬尾さんが心配そうに私の顔を覗き込んできた。
ちなみにマネージャーといっても私専属の、なんてたいそうなものではなく、瀬尾さんは私の他にあと2人、マネージャーとしてついている。一人のタレントに一人のマネージャーがつくときは、専属でつかないととても仕事の処理ができない場合だけである。
「大丈夫、です…。昨日、作業してたら寝るのが遅くなっちゃって」
「そうなの?」
「はい」
疑り深そうにじっと私を見つめる瀬尾さん。私はそれにあいまいな笑みで返す。
「ま、いいわ。あんまり夜ふかししないように。いいわね?」
「分かりました」
私の返事を聞いて、瀬尾さんは満足そうにほほえんだ。
「くれぐれも、これからの打ち合わせであくびなんかしないように」
「はーいっ」
冗談まじりでそう言う瀬尾さん。その言葉に私も人一倍大きな返事で返す。
「ははっ、でけぇ返事ですね」
「!?」
後ろから、声がした。びっくりして振り向く。するとそこには白い歯を見せて笑う、天くんの姿があった。
「天くん…?」
「おはようございます。あすかさん、瀬尾さん」
かけていたメガネを外して、天くんはぺこっと礼をした。私も慌てて礼を返す。
「あすかさん、なんかの打ち合わせですか?」
「あ、うん…今度、『あにらんど』でインタビューがあって、その打ち合わせ」
『あにらんど』は旬なアニメや声優などを特集するアニメ専門雑誌だ。長年続く人気雑誌で、「流行りのアニメ知りたかったら『あにらんど』読んどけ」と言われるほど影響力がある。
「そうなんですね」
「うん。……天くんは?」
「俺は『エンタメStation』の方っす」
私たちが今いる場所は、主に雑誌の発行を行う出版会社だ。アニメ専門誌にとどまらず、俳優などを特集するエンタメ誌、流行りの服を特集するファッション誌なども世に送り出している。
天くんが言った『エンタメStation』は普段は俳優、アイドル、モデルなどのいわゆる「イケメン」を集めて写真を撮ったり、インタビューをしていて、顔の良さをあまり重視しない声優とは本来は無縁なものなのだが、天くんがそれに呼ばれたということは、それくらい彼の顔が整っているということなんだろう。
「へぇ…すごいねぇ」
「いやいや。きっと、余ったページの穴埋めで呼ばれたんですよ」
天くんはさらっとそう言い放ち、ちらっと腕にはめた時計で時刻を確認すると、ひらひらと手を振った。
「それじゃ」
「あ、うん…またね」
私も手を振り返す。瀬尾さんは45°のお辞儀をしていた。天くんの姿が見えなくなると、瀬尾さんは私に向き合い言った。
「あすか。時間が押してる。急ぎましょ」
「はいっ」
そう言って、私たちは歩くスピードを上げた。そして今回の打ち合わせ場所であるこじんまりとした会議室へノックをして入る。
「失礼します……おはようございます」
「おはようございます」
瀬尾さんに続けて、私も会議室にいらっしゃる会社の方々に挨拶をする。
ここでは昼でも夜でも挨拶は変わらず。「おはようございます」である。その理由は芸能関係者ではなくてもよく知られている話だ。
「おはようございます、立花さんにマネージャーの瀬尾さん。今日はよろしくおねがいします」
部屋の備え付けの椅子に座っていた3人の方のうちの1人が、立ち上がって挨拶をしてくださった。それに「よろしくおねがいします」と返し、誘導されるがまま私と瀬尾さんはパイプ椅子に着席した。
「では。私、『奥山出版』の編集部所属の春田と申します」
そう言って、先ほど挨拶をしたふっくらとした体型の男性スタッフさんが瀬尾さんにむけて名刺を渡した。それを受け取り、瀬尾さんも自らの名刺を取り出してスタッフさん――春田さんに渡す。
「私は『SHINEエンターテイメント』のマネージメント部、瀬尾理恵子と申します」
おごそかな名刺交換が終わると、場の空気を切り替えるように春田さんがパンッと手を叩き、横に控えていた2人のスタッフさんに向かって口を開く。
「じゃあもう、始めちゃいましょうか」
「「はい」」
ふたつの声が重なり、小さな会議室に響く。防音仕様の壁に慣れてしまっているからか、音がかすかに残って反響するこの状態が新鮮に感じる。
「では、まずはこの質問から。……立花さん、『グリムアップル』主人公・モカ役のオーディションに合格した際、どのようなことを思われましたか?」
私は前日考え抜いた回答を思い出しながらそれに答える。
「そうですね…実を言うと、最初は信じられませんでした。大規模なオーディションだったので志願されていた方もたくさんいて。だけど徐々に現実味が湧いてきて……すごく、嬉しかったです」
「そうなんですね」
うんうんと相づちを打ちながらメモを取る春田さん。和やかな雰囲気に感じていた緊張もだんだんほぐれていった。
「では次に………」
次の現場に行くためのタクシーの手配をしている間、会社のエントランスホールでお茶でも買って飲んどいてと瀬尾さんからお金を頂いたので、私はいつかの日のように自動販売機でレモンティーを買った。今日は紙コップではなく、ペットボトルタイプ。
お釣りを回収し、どこか座れそうな場所はないかと辺りを見渡していると。
「また会いましたね、あーすかさんっ」
天くんがどこからかひょこっと現れた。なんなとなく天くんに会いそうな気がしていた私は、その予感が当たって嬉しくなった。
「そうですね、てーんくんっ」
天くんの口調を真似して言ってみる。天くんは「もー!」と怒ったように言うと、突然私の腕を取った。
「真似なんかして…人をバカにするのはダメですよ。お仕置きにこれ、俺が貰います」
そう言うと天くんは私の腕から手を離し、私の手に握られていたお茶のペットボトルを取り上げると、フタを開け、4分の1ほどの量を一気に飲み干した。
「あっ…」
「あーっ、うめぇ!俺、超喉乾いてたんですよ。生き返ったー!!」
勝手に人のお茶を飲むなんて、と叱りたいところだったが、おいしそうに飲む天くんの姿を見ていたら、怒りはどこかに消えてしまっていた。
「もう。ほんとに、天くんは」
「俺が…なんですか?」
私の呟きが聞こえてしまったのか天くんは近づいてきて、そっと私の顔を覗きこんだ。
「あ、もしかして喉乾きすぎて怒ってるんですか?……仕方ないですね」
そう言うと、天くんは持っていたペットボトルを私に差し出してきた。喉が乾いていたのは事実だったので、私はほとんど反射的にそれに口をつけて飲んだ。
喉が潤う。
天くんがにひっと笑う。
「………あ」
―――私は、ことの重大さに気づいた。
天くんと別れたあと、彼の言葉が私の心の中でぐるぐると渦巻いて、家に帰ってからも放心状態だった。
(なんで天くんはあんなこと言ったんだろ……またいつもの冷やかし?それともその場のノリで、とか?うんうん、天くんならありえるよな…)
そうやって、何度も自分に「あれは本気で言われたわけじゃない」と言い聞かせた。
でも、あのとき、天くんの言葉にドキドキしたという事実はかき消せることはできなかった。
その後も私はずっと天くんのことを考えてしまい、夜になってもなかなか眠ることができず、おかけで今、とても眠い。
「あすか、大丈夫?」
なんとかしてあくびを噛み殺そうとしていると、横を歩く私のマネージャー・瀬尾さんが心配そうに私の顔を覗き込んできた。
ちなみにマネージャーといっても私専属の、なんてたいそうなものではなく、瀬尾さんは私の他にあと2人、マネージャーとしてついている。一人のタレントに一人のマネージャーがつくときは、専属でつかないととても仕事の処理ができない場合だけである。
「大丈夫、です…。昨日、作業してたら寝るのが遅くなっちゃって」
「そうなの?」
「はい」
疑り深そうにじっと私を見つめる瀬尾さん。私はそれにあいまいな笑みで返す。
「ま、いいわ。あんまり夜ふかししないように。いいわね?」
「分かりました」
私の返事を聞いて、瀬尾さんは満足そうにほほえんだ。
「くれぐれも、これからの打ち合わせであくびなんかしないように」
「はーいっ」
冗談まじりでそう言う瀬尾さん。その言葉に私も人一倍大きな返事で返す。
「ははっ、でけぇ返事ですね」
「!?」
後ろから、声がした。びっくりして振り向く。するとそこには白い歯を見せて笑う、天くんの姿があった。
「天くん…?」
「おはようございます。あすかさん、瀬尾さん」
かけていたメガネを外して、天くんはぺこっと礼をした。私も慌てて礼を返す。
「あすかさん、なんかの打ち合わせですか?」
「あ、うん…今度、『あにらんど』でインタビューがあって、その打ち合わせ」
『あにらんど』は旬なアニメや声優などを特集するアニメ専門雑誌だ。長年続く人気雑誌で、「流行りのアニメ知りたかったら『あにらんど』読んどけ」と言われるほど影響力がある。
「そうなんですね」
「うん。……天くんは?」
「俺は『エンタメStation』の方っす」
私たちが今いる場所は、主に雑誌の発行を行う出版会社だ。アニメ専門誌にとどまらず、俳優などを特集するエンタメ誌、流行りの服を特集するファッション誌なども世に送り出している。
天くんが言った『エンタメStation』は普段は俳優、アイドル、モデルなどのいわゆる「イケメン」を集めて写真を撮ったり、インタビューをしていて、顔の良さをあまり重視しない声優とは本来は無縁なものなのだが、天くんがそれに呼ばれたということは、それくらい彼の顔が整っているということなんだろう。
「へぇ…すごいねぇ」
「いやいや。きっと、余ったページの穴埋めで呼ばれたんですよ」
天くんはさらっとそう言い放ち、ちらっと腕にはめた時計で時刻を確認すると、ひらひらと手を振った。
「それじゃ」
「あ、うん…またね」
私も手を振り返す。瀬尾さんは45°のお辞儀をしていた。天くんの姿が見えなくなると、瀬尾さんは私に向き合い言った。
「あすか。時間が押してる。急ぎましょ」
「はいっ」
そう言って、私たちは歩くスピードを上げた。そして今回の打ち合わせ場所であるこじんまりとした会議室へノックをして入る。
「失礼します……おはようございます」
「おはようございます」
瀬尾さんに続けて、私も会議室にいらっしゃる会社の方々に挨拶をする。
ここでは昼でも夜でも挨拶は変わらず。「おはようございます」である。その理由は芸能関係者ではなくてもよく知られている話だ。
「おはようございます、立花さんにマネージャーの瀬尾さん。今日はよろしくおねがいします」
部屋の備え付けの椅子に座っていた3人の方のうちの1人が、立ち上がって挨拶をしてくださった。それに「よろしくおねがいします」と返し、誘導されるがまま私と瀬尾さんはパイプ椅子に着席した。
「では。私、『奥山出版』の編集部所属の春田と申します」
そう言って、先ほど挨拶をしたふっくらとした体型の男性スタッフさんが瀬尾さんにむけて名刺を渡した。それを受け取り、瀬尾さんも自らの名刺を取り出してスタッフさん――春田さんに渡す。
「私は『SHINEエンターテイメント』のマネージメント部、瀬尾理恵子と申します」
おごそかな名刺交換が終わると、場の空気を切り替えるように春田さんがパンッと手を叩き、横に控えていた2人のスタッフさんに向かって口を開く。
「じゃあもう、始めちゃいましょうか」
「「はい」」
ふたつの声が重なり、小さな会議室に響く。防音仕様の壁に慣れてしまっているからか、音がかすかに残って反響するこの状態が新鮮に感じる。
「では、まずはこの質問から。……立花さん、『グリムアップル』主人公・モカ役のオーディションに合格した際、どのようなことを思われましたか?」
私は前日考え抜いた回答を思い出しながらそれに答える。
「そうですね…実を言うと、最初は信じられませんでした。大規模なオーディションだったので志願されていた方もたくさんいて。だけど徐々に現実味が湧いてきて……すごく、嬉しかったです」
「そうなんですね」
うんうんと相づちを打ちながらメモを取る春田さん。和やかな雰囲気に感じていた緊張もだんだんほぐれていった。
「では次に………」
次の現場に行くためのタクシーの手配をしている間、会社のエントランスホールでお茶でも買って飲んどいてと瀬尾さんからお金を頂いたので、私はいつかの日のように自動販売機でレモンティーを買った。今日は紙コップではなく、ペットボトルタイプ。
お釣りを回収し、どこか座れそうな場所はないかと辺りを見渡していると。
「また会いましたね、あーすかさんっ」
天くんがどこからかひょこっと現れた。なんなとなく天くんに会いそうな気がしていた私は、その予感が当たって嬉しくなった。
「そうですね、てーんくんっ」
天くんの口調を真似して言ってみる。天くんは「もー!」と怒ったように言うと、突然私の腕を取った。
「真似なんかして…人をバカにするのはダメですよ。お仕置きにこれ、俺が貰います」
そう言うと天くんは私の腕から手を離し、私の手に握られていたお茶のペットボトルを取り上げると、フタを開け、4分の1ほどの量を一気に飲み干した。
「あっ…」
「あーっ、うめぇ!俺、超喉乾いてたんですよ。生き返ったー!!」
勝手に人のお茶を飲むなんて、と叱りたいところだったが、おいしそうに飲む天くんの姿を見ていたら、怒りはどこかに消えてしまっていた。
「もう。ほんとに、天くんは」
「俺が…なんですか?」
私の呟きが聞こえてしまったのか天くんは近づいてきて、そっと私の顔を覗きこんだ。
「あ、もしかして喉乾きすぎて怒ってるんですか?……仕方ないですね」
そう言うと、天くんは持っていたペットボトルを私に差し出してきた。喉が乾いていたのは事実だったので、私はほとんど反射的にそれに口をつけて飲んだ。
喉が潤う。
天くんがにひっと笑う。
「………あ」
―――私は、ことの重大さに気づいた。