人気声優が激甘ボイスを囁くのは私だけ。
「あーっ。あすかさぁーん?」
わざとらしい声が響く。天くんのその声が私の羞恥心をさらに煽る。
「あっ、いやっ、その…こっ、これは…!!」
顔が赤くなっているのが自分でも分かる。どうにかして落ち着こうとするけれど、天くんがそれを許してくれない。
「顔、赤いですよ?どうしたんですか?」
白々しい天くんの態度。余裕に満ちた表情。必死に落ち着こうと試みるも、心拍数は上がるばかりだ。
「てっ、天、くん……バカっ」
なんとか口から言葉を絞り出す。必死でそう言い切ったのに、天くんの余裕の笑みは崩れていなかった。
(……?)
―――いや、違う。天くんの耳が、赤く染まっている。
(もしかして、天くんも…?)
この状況に、少なからずドキドキしているのだろうか。
(わ、私だけじゃないってこと…?)
そう考えたら、少しだけ落ち着いた気がする。意識してまばたきを1回してみると、だいぶ気持ちが穏やかになった。けれど、まだ顔の赤みは引いていない。
「………」
「………」
沈黙が私たちを包む。でもそれはどこか心地のよいもので、嫌な気持ちはしなかった。
「あっ、いた…!あすかーっ!タクシー来たから早く乗りなさーい!!」
瀬尾さんが、その静寂を破った。
「はっ、はーいっ」
そう返事をし、私は瀬尾さんのもとへ戻るためくるりと天くんに背を向けた。名残惜しい気持ちをなんとか押し隠す。
(天くんに……迷惑だもんね)
天くんもこれから仕事があるだろう。―――それに。
(それに……今、大人気のイケメン声優さんの隣に、私がいていいわけないし)
天くんだって、こんな大事な時期に週刊誌にでも撮られたら例えそれが記者の誤解でも大変なことになるだろう。ファンが離れてしまう危険性も十分にある。それくらい、人気な芸能人の異性関係というのはデリケートなものなのだ。
「じゃあね、天くん」
振り向かずに、言う。
「はい。あすか………さん」
天くんの言葉にわずかに感じた違和感。しかしそれは気のせいだと考え直し、軽く頭を振ると、私は駆け出した。
なにかから逃げるように。
自分のなかで徐々に膨らんでいく、抱いてはいけない気持ちから目を背けるように。
収録日前日。
事務所に届いた『グリムアップル』の台本を瀬尾さん経由で受け取り、自分なりの演技プランを組み立てた。
そしてまた私は都内の某所にあるスタジオの一室、コピー紙の貼られた出演者控え室のドアを叩いた。
「おはようございます」
「おはようございます〜」
(……?)
いつも一番に声をかけてくださる美月さんの声ではなかった。語尾がゆるりとした喋り方。美月さんより数段トーンが高い。
ドアを開け、声の主の姿を見止めたところで、やっと私はその人が誰なのかを理解した。
「小椋さん……今日からですよね、よろしくおねがいします」
「よろしくねぇ」
小椋美礼さん。ふわふわとした女の子の役を多く演じる声優だ。年は私の1つ上だが、芸歴は同じである。桜さんの所属する『ボイスアーツ』と同じぐらいの影響力を誇る事務所・『StarS』の新人発掘オーディションで審査員特別賞を受賞し、大々的なデビューを飾った。そのおかげか、それとも生まれつきの整った顔立ちのおかげなのか、彼女の知名度は私より遥かに高い。確か、どこかのサイトの『新人女性声優人気ランキング』でもいい数字を残していた気がする。
美礼さんは今回からモカたちのチームのメンバーに加入する新キャラクターとしてアフレコに参加する。名前はカノン。
「あれぇ、天くんはまだなんだ?」
「て、天くんですか?…あぁ。いつも遅いですよ、あの人」
心臓がどくんと大きな音を立てたのが分かった。なんとか平静を装って返答をする。
(なんで……天くんのことを?)
まだ来ていない主要キャストを心配するのは当たり前のことだ。そこになにかあるわけではない。…そう考えて、不自然に鼓動を刻む心臓を落ち着かせようとする。
「そうなんですねぇ〜」
こくこくと頷く小椋さん。その姿はお人形みたいでとてもかわいい。
(あんなかわいい子と比べて、私は……)
顔もよくない。声優としてもまだまだ。一度のミスで動転してしまうほどの気の弱さ。
(勝ち目なんて…ないじゃん…)
「………え?」
ひとりでに、声が出た。
(か、勝ち目って、なに…?なんで私、小椋さんと比べてちゃってるの…?なにを張り合って……)
自分の思考に自分がついていかない。自分の気持ちが、分からない。
「顔、暗いですよあすかさん。おはようございます」
ぽんっと、頭に大きな手が乗せられた。上を見上げると、こちらを見て笑う、天くんの姿があった。全ての不安を溶かすようなその笑みが、私の心をほぐしてくれる。
「お、おはよう……天く」
「おはよ〜、天くん。また仕事一緒だねぇ」
私が言い終わらないうちに、小椋さんが天くんに声をかける。
「あ、小椋さん!そうですね、『太陽のきみ。』以来ですっけ?」
「うんうん」
『太陽のきみ。』は、少女マンガ原作の学園恋愛アニメだ。主人公役が小椋さんで、その主人公が恋い慕う相手役を天くんが演じる。確か、最終的には2人は結ばれるはずだ。
―――ズキッ。
胸に痛みが走る。私はぎゅっと、胸元のシャツを握りしめる。
「――あのときの天くん、すっごい面白かったぁー」
「あはは、よく覚えてますね」
2人の会話はまだ楽しそうに続いている。それは、とても私が混ざれる雰囲気じゃなかった。
私はなんとか気持ちを切り替えようと、バックから台本を取り出す。そして昨日言うのにつっかえてしまったセリフを中心に、アフレコ前の最終チエックを行う。頭のなかで他のキャラクターの声も再生し、テンポを意識しながら文字を追う。
(ミスをしないようにしないと…)
前回のような失敗はしないようにと、入念に確認を行う。滑舌、スピード、イントネーション…気をつけるべきところはたくさんある。特に地方から声優を夢見て上京してきた私にとって、イントネーションのチェックは重要だ。気を抜くとすぐに訛ってしまう。養成所時代でもよく指摘された点だ。
『SHINEエンターテイメント』では新人を養成するための養成所がある。そのなかで年に数回、社内オーディションがあり、それでいい結果を残した者が「養成所の練習生」から「事務所所属のタレント」に昇格できる、という制度がある。私はそれで会社の目に止まり、デビューに至った。
(だから公開オーディションで合格した小椋さんに比べて名前が知られていないのは当然…)
つい、自嘲してしまう。
いや、これは………嫉妬、か。天くんと同じフィールドに立てている小椋さんへの、見苦しい嫉妬。
(はぁ、もう。なんか今日…私、変だ。全然集中できない)
重い息を吐き出す。それをため息だと見たのか、スタッフさんと話をしていた桜さんがこちらに近づいてきた。
「あすかちゃん?大丈夫?」
「あ、はい…大丈夫です」
慌てて笑顔を作り、言葉を返す。そんな私を見て、桜さんは私をなぐさめるように言った。
「美礼ちゃんなら大丈夫。あの子、ちょっと自己中心的かもしれないけど、演技は確かだから」
「え、えぇ、あぁ、はい…ありがとうございます」
私の心中を知ってか知らずか、桜さんはそんなアドバイスをしてくださった。私はお礼を返す。
「では、そろそろ移動をおねがいしまーす」
控え室に、そんな声が割り込んだ。私は小さく深呼吸をする。
(収録開始だ…)
わざとらしい声が響く。天くんのその声が私の羞恥心をさらに煽る。
「あっ、いやっ、その…こっ、これは…!!」
顔が赤くなっているのが自分でも分かる。どうにかして落ち着こうとするけれど、天くんがそれを許してくれない。
「顔、赤いですよ?どうしたんですか?」
白々しい天くんの態度。余裕に満ちた表情。必死に落ち着こうと試みるも、心拍数は上がるばかりだ。
「てっ、天、くん……バカっ」
なんとか口から言葉を絞り出す。必死でそう言い切ったのに、天くんの余裕の笑みは崩れていなかった。
(……?)
―――いや、違う。天くんの耳が、赤く染まっている。
(もしかして、天くんも…?)
この状況に、少なからずドキドキしているのだろうか。
(わ、私だけじゃないってこと…?)
そう考えたら、少しだけ落ち着いた気がする。意識してまばたきを1回してみると、だいぶ気持ちが穏やかになった。けれど、まだ顔の赤みは引いていない。
「………」
「………」
沈黙が私たちを包む。でもそれはどこか心地のよいもので、嫌な気持ちはしなかった。
「あっ、いた…!あすかーっ!タクシー来たから早く乗りなさーい!!」
瀬尾さんが、その静寂を破った。
「はっ、はーいっ」
そう返事をし、私は瀬尾さんのもとへ戻るためくるりと天くんに背を向けた。名残惜しい気持ちをなんとか押し隠す。
(天くんに……迷惑だもんね)
天くんもこれから仕事があるだろう。―――それに。
(それに……今、大人気のイケメン声優さんの隣に、私がいていいわけないし)
天くんだって、こんな大事な時期に週刊誌にでも撮られたら例えそれが記者の誤解でも大変なことになるだろう。ファンが離れてしまう危険性も十分にある。それくらい、人気な芸能人の異性関係というのはデリケートなものなのだ。
「じゃあね、天くん」
振り向かずに、言う。
「はい。あすか………さん」
天くんの言葉にわずかに感じた違和感。しかしそれは気のせいだと考え直し、軽く頭を振ると、私は駆け出した。
なにかから逃げるように。
自分のなかで徐々に膨らんでいく、抱いてはいけない気持ちから目を背けるように。
収録日前日。
事務所に届いた『グリムアップル』の台本を瀬尾さん経由で受け取り、自分なりの演技プランを組み立てた。
そしてまた私は都内の某所にあるスタジオの一室、コピー紙の貼られた出演者控え室のドアを叩いた。
「おはようございます」
「おはようございます〜」
(……?)
いつも一番に声をかけてくださる美月さんの声ではなかった。語尾がゆるりとした喋り方。美月さんより数段トーンが高い。
ドアを開け、声の主の姿を見止めたところで、やっと私はその人が誰なのかを理解した。
「小椋さん……今日からですよね、よろしくおねがいします」
「よろしくねぇ」
小椋美礼さん。ふわふわとした女の子の役を多く演じる声優だ。年は私の1つ上だが、芸歴は同じである。桜さんの所属する『ボイスアーツ』と同じぐらいの影響力を誇る事務所・『StarS』の新人発掘オーディションで審査員特別賞を受賞し、大々的なデビューを飾った。そのおかげか、それとも生まれつきの整った顔立ちのおかげなのか、彼女の知名度は私より遥かに高い。確か、どこかのサイトの『新人女性声優人気ランキング』でもいい数字を残していた気がする。
美礼さんは今回からモカたちのチームのメンバーに加入する新キャラクターとしてアフレコに参加する。名前はカノン。
「あれぇ、天くんはまだなんだ?」
「て、天くんですか?…あぁ。いつも遅いですよ、あの人」
心臓がどくんと大きな音を立てたのが分かった。なんとか平静を装って返答をする。
(なんで……天くんのことを?)
まだ来ていない主要キャストを心配するのは当たり前のことだ。そこになにかあるわけではない。…そう考えて、不自然に鼓動を刻む心臓を落ち着かせようとする。
「そうなんですねぇ〜」
こくこくと頷く小椋さん。その姿はお人形みたいでとてもかわいい。
(あんなかわいい子と比べて、私は……)
顔もよくない。声優としてもまだまだ。一度のミスで動転してしまうほどの気の弱さ。
(勝ち目なんて…ないじゃん…)
「………え?」
ひとりでに、声が出た。
(か、勝ち目って、なに…?なんで私、小椋さんと比べてちゃってるの…?なにを張り合って……)
自分の思考に自分がついていかない。自分の気持ちが、分からない。
「顔、暗いですよあすかさん。おはようございます」
ぽんっと、頭に大きな手が乗せられた。上を見上げると、こちらを見て笑う、天くんの姿があった。全ての不安を溶かすようなその笑みが、私の心をほぐしてくれる。
「お、おはよう……天く」
「おはよ〜、天くん。また仕事一緒だねぇ」
私が言い終わらないうちに、小椋さんが天くんに声をかける。
「あ、小椋さん!そうですね、『太陽のきみ。』以来ですっけ?」
「うんうん」
『太陽のきみ。』は、少女マンガ原作の学園恋愛アニメだ。主人公役が小椋さんで、その主人公が恋い慕う相手役を天くんが演じる。確か、最終的には2人は結ばれるはずだ。
―――ズキッ。
胸に痛みが走る。私はぎゅっと、胸元のシャツを握りしめる。
「――あのときの天くん、すっごい面白かったぁー」
「あはは、よく覚えてますね」
2人の会話はまだ楽しそうに続いている。それは、とても私が混ざれる雰囲気じゃなかった。
私はなんとか気持ちを切り替えようと、バックから台本を取り出す。そして昨日言うのにつっかえてしまったセリフを中心に、アフレコ前の最終チエックを行う。頭のなかで他のキャラクターの声も再生し、テンポを意識しながら文字を追う。
(ミスをしないようにしないと…)
前回のような失敗はしないようにと、入念に確認を行う。滑舌、スピード、イントネーション…気をつけるべきところはたくさんある。特に地方から声優を夢見て上京してきた私にとって、イントネーションのチェックは重要だ。気を抜くとすぐに訛ってしまう。養成所時代でもよく指摘された点だ。
『SHINEエンターテイメント』では新人を養成するための養成所がある。そのなかで年に数回、社内オーディションがあり、それでいい結果を残した者が「養成所の練習生」から「事務所所属のタレント」に昇格できる、という制度がある。私はそれで会社の目に止まり、デビューに至った。
(だから公開オーディションで合格した小椋さんに比べて名前が知られていないのは当然…)
つい、自嘲してしまう。
いや、これは………嫉妬、か。天くんと同じフィールドに立てている小椋さんへの、見苦しい嫉妬。
(はぁ、もう。なんか今日…私、変だ。全然集中できない)
重い息を吐き出す。それをため息だと見たのか、スタッフさんと話をしていた桜さんがこちらに近づいてきた。
「あすかちゃん?大丈夫?」
「あ、はい…大丈夫です」
慌てて笑顔を作り、言葉を返す。そんな私を見て、桜さんは私をなぐさめるように言った。
「美礼ちゃんなら大丈夫。あの子、ちょっと自己中心的かもしれないけど、演技は確かだから」
「え、えぇ、あぁ、はい…ありがとうございます」
私の心中を知ってか知らずか、桜さんはそんなアドバイスをしてくださった。私はお礼を返す。
「では、そろそろ移動をおねがいしまーす」
控え室に、そんな声が割り込んだ。私は小さく深呼吸をする。
(収録開始だ…)