人気声優が激甘ボイスを囁くのは私だけ。

端にずらっと並んでいる椅子。目の前に4本ほど立っているスタンドマイク。そしてその奥の壁に取り付けられたテレビのモニター。
私はヘッドホンをつけ、マイクの前に立つ。その右隣に天くん、続いて桜さんが、左隣には美月さんがスタンバイする。小椋さんや町の住民役などで出演する他のキャストさんは椅子に腰を下ろしている。
「あすかさん」
ヘッドホンの反響具合を確認していると、天くんに声をかけられた。いきなりでびくっと肩が震える。
「な、なに?」
「今日も、なにか奢ってくださいね」
白い歯を見せて、きらっと笑う。その姿はいつもの天くんで、なんだか私だけが憤って空回りしてるみたいで、脱力してしまった。
「うん、いいよ」
「えっ…ほんとにいいんすか!?」
あまりにも私があっさり肯定をしたのが意外だったのか、天くんは目を丸くして驚いた表情を見せた。
「えー天くん、立花さんに奢ってもらうの?いいなぁ。…天くん、また仕事が同じになったよしみで奢ってよ〜」
いつの間にか、小椋さんが天くんのすぐそばにいた。天くんは困ったように言う。
「あ、いや……小椋さん。これは…」
「美礼ちゃんのは、私が出すよ?」
ひょこっと、赤ペンを片手に持った美月さんが会話に入ってきた。
「風谷さん……い、いいですよ、そんな」
「気にしないで。あすかちゃんは天くんの出すのでいっぱいだろうから」
ぱちっと美月さんが私にウインクを飛ばしてきた。
(大丈夫、ここは私に任せて。気にしないで)
そんな声が聞こえた気がした。私はペコッと軽く美月さんに礼をする。美月さんは小さく笑ってくれた。
「というか、『StarS』ならそんくらいのお金、出してくれるでしょー!ねぇ、桜?」
「私は『ボイスアーツ』だって。ばりばりライバル事務所」
はははっと、スタジオが温かい空気に包まれる。さすが美月さん……話をうまくまとめてくれたうえに、場をリラックスさせた。
「あ、あはは…『StarS』もそんな出してくれませんよ。田尾くんのポケットマネーからですよ、出たとしたら」
田尾さんとは、小椋さんのマネージャーさんだ。まだ若く、イケイケな見た目をした男性で、噂の域を出ないが小椋さんを狙っているらしいと囁かれている。
「ねー、田尾くん」
「……分かりました。だから、今は目の前のことに集中してください」
田尾さんはため息混じりで言う。
「じゃあ、あすかさんは僕だけに奢るわけだから…ちょー高いの買ってもらおうっと〜」
「え……はい?」
意味が分からなくて曖昧な声が出る。天くんはにかっと笑う。
「高いって言っても200円しませんよ?」
「いや、こう…遠慮するとか…ない、でしょうか…?」
ないです、と頭をふるふると振って天くんは言う。美月さんが「あはっ」と吹き出した。桜さんも、瀬尾さんも、田尾さんも、他のキャストやスタッフの方たちも釣られて笑い出す。
「………」
でも、小椋さんだけは表情が硬かった。こちらを見る視線が、突き刺さるように冷たくて、痛い。
なんとなく感じていた予想が、確信に変わった。
(あぁ、この人、天くんのことが、好きなんだな…)
天くんにたくさん話しかける姿。
天くんと話す私に鋭い視線を送る姿。
全部、全部……天くんへの好意からだ。それとしか、考えられなかった。
(たぶん、もう…『太陽のきみ。』のときから好きなんじゃ、ないのかな)
また、胸の痛みが走る。ぴりっとした、静電気のような。一瞬なのに、目が覚めるような。そんな、痛み。
(もう…何回味わったか分かんないな…)
天くんに出会ってから、幾度となく感じたそれは本当は感じてはいけないものだと私は知っている。だから、知らないふりをする。
「じゃ、収録開始しまーす。よろしくおねがいしまーす」
よろしくおねがいしまーす、とキャスト全員で挨拶を返す。そして、アフレコが始まった。いつも通りの、程よい緊張感を張った現場。音響設備の機械音と、特徴的なトーンの声優たちの声。
「『あなたたち…大丈夫?うち、来なよ。お風呂とご飯くらいは出せるから』」
小椋さんの思春期の声変わり前の少女の声がマイクに吸い込まれる。さっき、彼女は何度もピッチ合わせをしていた。私たちでも分からない微妙な声の高さをしきりに直そうと「んんんっ」と喉を震わせていた。
そのかいあり、彼女の声は完璧だった。収録を見に駆けつけた『グリムアップル』原作者の萌太先生も、うんうんと頷いている。想像通りの声で納得しているのだろう。
(さすが、『StarS』期待の新人声優だな……)
アフレコ中なのに、そんなことを思ってしまう。私は慌ててテレビに視線を移し、モカとなって喋りだす。
「『いえいえそんな…いいですよ。迷惑でしょうし』」
「『えー、でもボク疲れたよぉ。休みたい〜っ』」
ルカがじたばたと体を動かして不満をアピールする。
「『こらルカ。子供っぽいぞ』」
ばちん、と画面のなかでカナトがルカにデコピンをする。ルカはそれに顔をしかめ、べーっと舌を出した。
「『カナトくんみたいな、すぐ暴力ふるう人に言われたくありませーんっ!!』」
「『はぁ!?なに人聞き悪いことを…!!』」
カナトとルカの口げんか。だんだんヒートアップしていくそれを見て、カノンちゃんはくすっと笑い声をあげた。
「『あはは、みなさん面白いですね。仲良さそうで、羨ましいです』」
一瞬、カノンちゃんの顔に影が差す。苦しそうな、辛そうな、負の感情。それに気づいたのは私だけだ。
「『ん…?』」
思わず、声が出る。カノンちゃんは私の反応を見ると、急いで笑顔を作り直した。
「『と、とにかく。あがってください。今夜の泊まるアテ、ないんですよね?だったら決まりです』」
ぱん、と手を叩き、にこっと笑って言うカノンちゃん。
「はい、カット!よしオッケーでーす!」
ふぅっと誰かが息を吐き出す音が聞こえる。ここで1つのシーンが終わったのだ。地上波で流すとき、このあとにはCMが入ることになる。
現場は休憩時間と題した諸々の確認タイムとなり、キャストは落ち着いた表情で羽を伸ばしていた。水分を取る人、話し出す人、きょろきょろとスタジオを興味深そうに見回す人などがいる。
『グリムアップル』の現場は比較的緩く、休憩時間ではかなり自由に動ける。以前、端役として参加した感動ものアニメの収録現場は、休憩のときでもかなりピリピリしていた。
小椋さんは演技指導………業界用語で言うと、ディレクションを受けていた。初めての現場なので、色々スタッフさんと役作りを確認しているのだろう。真剣な顔をしていた。
美月さんはマネージャーさんと今のアフレコの感想をもらっていた。美月さんのマネージャーさんは長い間、彼女の専属なんだそうだ。だから演技のクセも調子の悪いところもなんだって知っていて把握している…と前、美月さん本人から聞いた。
桜さんは小椋さんのディレクションを軽く聞きながら台本をめくっていた。ヘッドホンはつけたまま。外界の音を締め出すためにしているのだろう。クールな桜さんらしいと思った。
天くんはバックから個包装のチョコを取り出し、食べていた。もぐもぐと口にチョコを詰め込む姿が、リスみたいでとてもかわいい。
「ん?なんですか?」
そんな私の視線に気づいたのか、天くんが私に声をかけてきた。
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