料理男子、恋をする
「どうして最初にそう言ってくださらなかったんですか」
好いていたからこそ、婚約が決まった時に失望した。彼も薫子の背負う看板が欲しかったのだと、そう理解した。だから頑として今の会社から離れずに頑張ったのに。
もう遅い。何もかもが、遅いのだ。
「お帰りください。もうお話することはありません」
薫子がソファから立ち上がると、望月は素早く立ち上がって薫子を抱き締めた。懐かしい、爽やかなシトラスの香り。佑と過ごした日々が脳裏に蘇って、その時の感情まで連れてくる。ああ、好きだった。確かにこの人を好きだった。幼馴染に思うような、そう言う思慕を確かに抱いていた。
薫子はふるりとかぶりを振ると、佑から離れようとした。しかし佑の腕の力が強い。
「佑さん……っ、放してくださいっ」
「嫌だ。君に逃げられるのは嫌だ」
この前はあんな場所で技を掛けてくるとは思わなかったから不意打ちを食らったけど、基本的に女性である薫子より鍛えた佑の方が力は勿論強い。
「お願いです……。これ以上、嫌いにさせないで……っ」
薫子の思い出の中の佑を大事にしたい。これ以上自身でその思い出に泥を塗って欲しくなかった。
「そんなにあの男が良いですか……?」
「初めて『私』を好きだと言ってくれた人です……。佑さんは遅かった……」
最後を力なく言うと、望月の腕の力が緩んだ。ほっとして佑から離れる。
「もう、考えを変えることはありませんか……? 本当に……?」
確認のように問う佑に、薫子は俯くことしか出来なかった。
今でも佑のことは大事だ。しかし薫子に寄り添ってくれる佳亮の方がもっと大切だ。
返事のない薫子に望月は、それでも諦めることなく薫子の名を呼んだ。
「薫子さん。それでも僕は貴女を諦めないし、貴女は大瀧の看板を背負うことになると思いますよ」
認めたくなくても、と低く呟く声が聞こえた。
何かを、知っている声だった――――。