星空とミルクティー
あたしが小学校に上がる前、母親が突然家を出て行った。
幼稚園が終わって珍しく仕事が休みだという父と公園で遊んでから帰ると、3人で住んでいたアパートは家具も家電も何もかもなくなっていた。
唯一、大人用の黒いスーツケースひとつとあたしの遠足用の小さなリュックサックが、かつてリビングだった部屋にぽつんと残されていた。
昨日まで、今日の朝まであった光景が一瞬で消えることを知った。
母の日に幼稚園で描いた絵も、あたしがボロボロになるまで読んだお気に入りの絵本もリュックには入っていなかった。
何枚かの服と下着しかなかった。
父はたぶんこの日、こうなることを知っていた。知っていたけど、ここまでとは思っていなかったのだろう。
なにか呟いた後、スーツケースとあたしのリュックを持って、当時の職場だったここまで歩いてきた。
父がいつものように笑いながら「今日のご飯はなにがいい」と聞くから、あたしは「ハンバーグ」と答えた。
父が笑うから、母親のことはついに聞けなかった。
ここがまだレストランで、その雇われシェフだった父は、住み込みという形でそれこそ朝から晩まで働いた。
オーナーシェフが年齢を理由に引退することになったとき、この3階建てのビルを丸ごと父に格安で譲ったのだという。
レストランはあたしが小学校を卒業する前にカフェとバーに変わって、父はその頃から住居部分の2階に姿を現さなくなった。
朝はラップをかけられたサンドイッチやおにぎりを食べて、夜はカウンターに立つ父から客と同じように何か作ってもらう。
親子なのに親子らしくない日常だった。
あたしが成人して一人で稼げるようになっても、父は朝から晩まで働き続けることを止めなかった。
カフェかバーどちらかにすればいいのに、どちらも「楽しいから」と休まない。