契約夫婦のはずが、極上の新婚初夜を教えられました
 大吾さんは私の言葉を遮って勝手なことを言うと、呆然と立ち尽くす私の唇に甘い口づけを落とす。それはほんの数秒だけ重なって、すぐに離れてしまった。

「今日はここまでだ」

 そう言われても突然のことに、何が起こったのかわからない。いや、少し前にそんな雰囲気になったのだからわからないわけじゃないけれど、まさか本当にキスするなんて思ってなかった。
 
 偽装だから、本当の夫婦じゃないから、甘い関係はなし。そう思っていたのに……。
 
 心臓は波打ち、鼓動は痛いほど速い。まさか同居一日目、ふたりの生活が始まるその日にこんなことになるなんて、誰が想像しただろう。
 
 複雑な気持ちでいると、私から目を離した大吾さんが、エスプレッソメーカーのボタンを押した。すぐに機械は動き出し、キッチンにコーヒーの香りが立ちこめる。どこかスパイスにも似た豊かな香りが、私の鼻をくすぐった。

「いい香り……」
 
 ふっと心が落ち着きを取り戻し、穏やかにしてくれる。
 
 人の気持ちは移ろいやすい──そう言うけれど。それがいい方向に向かってくれるのなら、それはそれで悪くない。今は今のままで。

 だから、恋を始める話はしばらく保留。自然の摂理に身を任せるしかなさそうだ。






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