最終列車が出るまで
「晩ご飯、久々にオムライスを作るか」
顎に手を当てながら呟くと、娘達にさっそく話しに行く。
ダンナは最近忙しくて、お休みの日も疲れが見えていた。娘達にオムライスをおねだりされても、「また今度」とあてのない約束をするばかりだった。
いつもはダンナに塩対応な娘達だけど、父さん特製の大好きなオムライスを作ってもらえると聞いて「ヤッター!」なんてはしゃいでいた。
そうなの。ダンナ様は、基本的に優しい人だから。
ちょっと温かい気持ちになりながら、はしゃぐ三人に笑みが溢れた。
振り返れば、去年は何かとタイミングが悪かった。
同級生の飲み会に誘われても、ダンナに飲み会の予定が入っていたり、ダンナの実家に呼び出されていたり。
十二月の祝日の前の日、何とか都合をつけて集まったのに、みんなが風邪気味で体調不良。結局カラオケに行く元気もなく、一軒目の居酒屋で解散となった。
私達には、考えられない出来事だった。いつもはあえて口にしない“年令”を感じて、会話がどんどん暗くなっていった。
きっちりとストレス発散できなかったせいでもないだろうが、私の仕事納めの日に、滅多に出ない高熱が出た。
風邪を引いても高熱で寝込む事もなく、ズルズルと体調の悪さを引きずり続ける私が。
悪い予感がして、正月休み前の病院に駆け込めば、インフルエンザだった。
そのインフルエンザを、ダンナと夏美にも感染させてしまった。看病されて看病をして、正月休みが終わり、娘達の冬休みも終わった。
大掃除におせち料理作り、年始の挨拶等々。その年の年末年始は、本当に何もできなかった。