君のブレスが切れるまで
 そう言って雨は脱衣所へ行くのをやめると、シャワーが備え付けてある洗い場の方へと向かっていった。
 私も直に湯船に浸かったりはしない。雨の後を追って、その横にあるもう一つの洗い場へと腰を落とす。


「ねぇ、雨……怒ってる?」


 さっきの言葉は雨とは思えない。怒らせてしまったんじゃないかと不安になる。でも彼女は、


「いえ、怒っているわけではないわ。ただ……自分が今、何を言っていいのか、時々わからなくなるの」


 そう言って蛇口を捻りシャワーを頭から浴び始める。
 その姿は今まで一度も見たことがなくて、少しだけ目を奪われてしまった。私の視線に気づいているだろうに雨は何も言わず、シャンプーをその髪で泡立たせる。


 雨が何を言っていいのかわからなくなる……か。それはやっぱり前に言った寂しいや、心配についての『わからない』と同じ意味なのだろうか。
 そんな彼女ですらわからないことがあるのに、本当にここで私は雨について知ることができるのかな。
 私も蛇口を捻り、頭からシャワーを浴び始める。こうしていると、少しだけ考えが冴えそうになる。
 でも、なるだけで私の頭には何も出てこない。


「……奏は怒っていないの?」


 急に雨から話しかけられる。


「どうして怒るの?」
「覚えているかしら。初めて貴女を家に招待した日のことを」
「……? あ……」


 思い出したよ。そっか、そういうことなんだ。
 私は申し訳なくなり、すぐに謝罪の言葉を述べる。


「あの時はごめん。雨はわかってくれてたんだよね……私が裸を見られたくないって思ってたこと」
「ええ」


 あの頃、私の体は暴力を受けていたせいで痣だらけだった。そんな体を見られたくなかったし、雨に強く当たっていた思い出がある。
 やっぱりそうなんだ、雨の中ではそれが心に残っていたのかな。だから、雨は私の方を見ないし、自分が入っているはずのお風呂に私が入ってくるとは思わなかったのだろう。
 さっき手を後ろに回されたのは、大方私や総一朗さんではない、誰かだと勘違いしたからか。


「……もう大丈夫だよ。ありがとう、雨」
「本当に?」
「うん、平気。雨のおかげだよ」


 笑ってみせると雨はゆっくり私の方を向いてくれる。一つだけ、彼女の心の闇を取り払えたのかもしれない。


「少しだけ楽になった気がする。それとごめんなさい、さっきは酷いこと言ってしまって」
「ううん。雨は本当にもう平気?」
「ええ」
「そっか、えへへ……」


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