君のブレスが切れるまで
第四章 笑顔のために 【2018年3月~2018年6月】

第29話 冗談の言い方

 2018年 3月末


 厳しかった冬の寒さもようやく和らいで、季節は春。三年生は卒業してしまった後だ。
 雨と出会ってからもうすぐ一年が経つ。
 私たちも後一ヶ月もしない内に高校二年生。雨の出席日数も余裕で足り、二年生に上がれるのは確実だ。
 問題なのは学年末テストでそれなりの成績しか収められなかった私。雨は学年トップ近くなのに対して、私は下から数えた方が早い。
 そんな春休みの中、私は雨と遊ぶはずだったのに彼女の部屋で勉強会が開かれることになった。


「ぐ……ぬぅぅ……英語はダメなんだって……日本にしかいないんだから、英語はいらないでしょー……」
「海外に旅行へ行きたいと言ってなかったかしら? ほら、そこスペルが間違ってるわよ」
「うっ! もー! 勉強はおしまい! 幸運の力でどうにかならないのかなぁー?」
「幸運も実力の内とは言うけれど、実力がなければついてこないのが幸運よ」
「雨ってば、この頃私に酷くない⁉」
「さぁ、どうかしら?」


 雨は立ち上がり、飲み物を入れてくれるようでリビングの方へと行ってしまう。
 一人残された私は、その場に寝そべりながらため息をついていた。


「はぁあ……しばらく勉強してなかったからテストの点が下がるのはわかるけど、つまんないな。英語以外はそれなりにいけるのに……雨には勝てないけど」


 部屋を見上げていると、ふと目の端に映る本棚が気になった。


「やっぱり雨は難しい本ばっかり読んでるのかなぁ……」


 私は立ち上がると、その本棚を物色し始める。悪いなーとは思うけど、雨のことを知るためだと正論っぽいことを押し付け、私の心にある罪悪感を吹き飛ばす。


「っ……うそっ! 雨……こんなの読んで……ぷっ……あははっ!」


 私が手に取ったのは『冗談の言い方』という本だ。他にも『ダジャレの言い方』や『笑わせ方教本』というものがある。
 しばらくすると、部屋の扉が開く音が聞こえた。


「奏、何をやって――あっ……もう、それで勉強していたのよ……」


 雨が顔を逸して、どことなくシュンとする感じに私の罪悪感が戻ってくる。無表情なのだけど、もう私にはそれがほとんど掴めていた。


「わ……わっ! ごめん、悪気はないの! でも……そっかぁ、雨が冗談上手いのはこれの影響だったんだね」


 私は本棚にそれを片付け、机の近くへと腰を下ろす。


「どうしたら奏と仲良くなれるのかと思って、試行錯誤を重ねていたわ。でも、難しいものね。奏を笑わせてあげることはできなかった」
「去年の6月は私も刺々しかったよ。雨に酷いことばかり言ったりして……あ、ココアありがと」


 カップを雨から貰うと、それを啜る。
 ちょうどいい温度で、猫舌の私にもすぐに飲めるココア。雨の気配りはすごいけど、どうやって溶かし込んだんだろう。


「企業秘密よ」
「まだ何も言ってないから! もーピンポイントで読んでくる時あるよね……雨って……」


 でも、そんな雨と話をするのは楽で好きだ。それはずっと変わらない、欲しい言葉をピンポイントでくれる人なんて世界中で雨だけかもしれないし。


「あ、そうだ。雨の祝福の眼の力って、誰にでも使えたりするものなの?」


 そう言ってなんだか違和感を覚えるけど、言っていることは間違ってはいないはず。特殊能力的なのを話すのはアニメのような世界だけだと思っていたから、違和感が出てるだけだ。
 それについて雨はコーヒーを一口飲んで、話し始めてくれる。


「残念ながら無理だと思うわ。それの影響で普通の目と変わらないと判断されたんだもの」
「じゃあ、どうして私には使えたの?」
「その人を大切だと想う、願う力が働いてからようやく具現するようなの。それを知ったのは深層心理、無意識の領域で感じることができたからだと思うわ」
「無意識の内に……私にならということ?」
「ええ、小さい頃に出会った時は感じることができなかったけど……奏と出会った二度目、駅でぶつかった時にそれを感じたわ」
「じゃあ……あの時、少しだけ驚いてるように見えたのは」
「奏に会えたことの喜びと、戸惑い。そして無意識に眼の力を感じ取ったからでしょうね」
「……そっか」


 雨は自分の眼の力のことではなく、ちゃんと私への感情も伝えてくれる。そこがすごく嬉しかった。
 でも、残念なこともある。それは雨から聞く限り、祝福の眼の力は私にしか使うことができないということだ。


「もし他の誰かに使うことができれば、不幸な人を救う手立てにも使えたかもしれないのに」
「奏の優しさには脱帽するばかりだけど、こんな力を持っていることが世間に知られれば私は実験動物にされてしまうわ」
「……ごめん、そうだよね」


 失言だった。もし雨が捕まってしまえばこの考えに意味なんてない。きっと、祝福の眼をどうにか使えるようにされて、本当に雨は道具にされてしまう。
 そもそも雨自身がその祝福の眼の研究をされていた。あれ? でも、それはどこから出た情報なのだろうか。
 ココアを飲まずに、それを考えていると雨は私の疑問に答えるように言ってくれた。


「産まれた時に変な色の眼を持っていたから研究材料にされただけよ。すぐに両親は見捨てたみたいだけど……それからはただの検査だけ」


 それが去年の二ヶ月の空白、それを期に研究は打ち切られた。
 私にしか使えない祝福の眼の力。それは何もない目と判断されたみたいだけど、もし……そう、もしも。


「……私に使うことができるって知られたりしたら」
「私は二度と研究施設から出られなくされて、薬漬けにされるでしょうね」


 自分の体が震えるのがわかる。そんなことになってしまえば、雨はもう人間としては生きられなくなってしまう。そんなのは嫌だ。


「でも大丈夫。科学では証明できないものを誰かの手で使うことはできないわ。言うなればこれは神様の贈り物。私の意思でしか使うことは許されない」


 そう。科学では証明できないけど、雨はそれを実現してくれているのだ。自分の危険を顧みず、私の為だけに。


「さっきはあんなこと言ったけど、もう使っちゃダメだよ……」
「奏にしか使えないもの。それに……」


 雨はそこまで言うと、その先を続けなかった。


「それに?」
「もう奏に使っても効果はないわ」


 含みがあるようで無いようなセリフ。私は首を傾げるが、雨の表情は変わらず無表情のままで心の中まではまだまだ読めなかった。


「今、私の心を読もうとしていたわね?」
「し、仕方ないじゃん⁉ 何かあるのかなーって思っただけ!」
「そうね。奏に好きな人ができたら使おうかしら」
「あーめー? 私の話を聞いてたかなぁ?」
「冗談よ。ブラックすぎたかしら?」


 そういって雨は肩を上げ、コーヒーカップを見せてくる。
 ブラックコーヒーとブラックジョークをかけてるの⁉
 なんか妙に上手いダジャレをされて、笑ってしまう自分に腹が立ってしまうのであった。


 2018年 4月


 雨と出会ってから一年と少し、春休みが終わりを告げ私たちは二年生となった。
 新しい教室に移るのかと思いきや、外の表札が一年から二年に変わっただけであり、他は変わらないという感慨を微塵も感じさせない二年生の教室。
 だからといって不機嫌になったりすることはないんだけど、妙にしっくりくる自分の机に二年に上がったんだという気持ちの高ぶりは起こらない。
 それとは別にただ一つ、一年生の時に一度だけあった席替えだけが起こることになった。


「席替えはくじ引きで決めまーす。えっとまずは……赤坂さん……から」


 私の名前を呼ぶのに覇気は感じられない。
 それもそうだ、二年に上がってもクラスが変わるようなことなんてない。全員は同じだし、留年したような人もいない。一年からそのまま二年に上がっただけで腫れ物扱いされるのも変わらないんだから。


 私は無言のまま立ち上がると、教卓に置かれてあるクジ用の箱へと手を入れる。
 雨の秘密を知ってから初めての運試し。できればこのくじ引きで雨と隣同士の席になりたい。信じてないわけじゃないけど、もしそうなれば祝福の眼の力は本当なのだろう。
 一枚だけ紙を手に取ると箱から手を抜き、自分の席へと戻っていく。次の人の名前が呼ばれ、次々とわいわい騒ぎながら引いていくクラスのみんな。
 私の引いたくじに書かれている番号は出席番号と同じ1番。
 これだけでも運がいい、テストの時に座るのは自分の席となるからだ。何か言われる心配もなくなる。


「次……えーっと……宮城、さん」


 まるで怯えるように雨の偽名を呼ぶ男子生徒。
 次は雨なんだ、私の隣となるのは後ろの席の2番か左の6番だけど……本当に上手くいくのだろうか?
 雨が引く時だけ教室が静まり返るのがわかる、誰も雨の隣になりたくないのだろう。それに私は腹が立つ。
 雨はすごくいい子なのに、誰も雨のこと知らないくせに。
 そして一枚、彼女が紙を取り出すと、一人の女生徒が雨からそれを奪い取り番号を読み上げる。


「6番だって! きゃあああ、大丈夫だった!」
「マジかよ……俺、7番なんだけど」
「ねぇ……赤坂は何番なの……」
「さっき見たよ、1番だった……」
「じゃあつまり、教室に入る度、あの暗いオーラ感じなきゃなの……⁉」


 落胆と喜びの声、ヒソヒソと話をする声に私の感情がどす黒く染まっていく。女生徒はそのクジをすぐに雨へと返すと、雨は何も言わずに自分の机へと戻っていった。
 それからもガヤガヤとうるさい声が教室でざわめいていて、私の頭がどうにかなりそうだった時だ。


「うるさいわ、早く進めてくれないかしら?」


 雨の怒りを宿した静かな声に、教室のどよめきが一瞬で消え失せる。
 それもそうだ。雨がこんな大勢の場所でそういったのは初めてだったから、私も息を飲んでしまうくらい。
 先程の騒がしい声はなく淡々と続いていく席替えのくじ引き。そしてようやく全てのくじが引き終わると席替えが始まる。
 少しずつクラス内で喋り声が戻ってくる。私は右端一番前に机を持ってくると、雨もまた私の隣へと机を運んできていた。


「隣同士ね、よろしく」
「雨……うん、よろしく」


 言葉だけじゃわからないけど、雨もまた喜んでくれているみたい。
 そこでやっと自分の運のことを思い出して、雨が言ってくれた祝福の眼についての話は本当なんだって改めて感じる。


「雨、さっきはびっくりしたよ……どうなるかと思った」
「奏のことを悪く言われたのが少し頭に来たみたい」
「それを言うなら私もだよ……雨のくじを無理やり奪うなんて――」
「何? それって私のこと言ってんのー?」


 先程、雨からくじを奪った女生徒が私たちの元へと歩いてくる。その顔から見るに、機嫌が悪そうだ。


「あ……いや……別に」


 臆病な私はそう言って口籠ってしまう。雨の為に何か言わないといけないのは私のはずなのに、こうやって威圧されるとどうしても変われていない自分が嫌になる。


「っていうか、思ってたんだけどその髪何? 黒髪で大人しい感じだったくせに、急に明るくして……援交でもやってんの?」


 その言葉に私の胸がえぐられていく。
 言い返すことができない、他の生徒もそういってコソコソ話していたのは知っている。髪の色を変えたのはそれが理由じゃないのに。
 私が顔を歪めていると、ふいに立ち上がる雨の姿が目に入る。そしてその子の前に立ち塞がった。


「ねぇ、貴女。今、奏に謝るなら許してあげてもいいけれど……どうする?」
「は……あ、謝らなかったらどうするっていうの?」


 雨からそう告げられて、明らかにこの女生徒は怯えている。雨自身も相当怒っているのが私の目には手に取るようにわかった。
 感情が増えればトラブルが起きやすくなるのは知っていたのに、私はそれを雨に教えていない。
 私は雨の袖を引き、静かに告げる。


「雨……いいよ、私は大丈夫だから……」
「奏……」
「どうするかって聞いてるの私なんだけど! あんたは邪魔しないでくれない?」


 教室がまた静まり返る。
 なんでこうなってしまったのかは、口を滑らせた原因は私にある。だから雨をこのままにしておくわけにはいかない。
 私がなんとか、なんとかしないと。
 なんて言おうか倦ねていると、雨は私の言葉を待たずに驚愕の一言を放つ。


「……そうね。貴女たちの言うように呪ってあげましょうか?」


 じょ、冗談でしょ⁉ という言葉が私の頭の上に浮かぶ。
 けれど雨のその言葉はドスが効いていて、噂もまだ健在な為かこの女生徒を恐怖へ陥れるのは容易だった。
 女生徒は顔面を蒼白に変え、足をすくませながら私へと謝ってくれる。


「う……っ……ご、ごめん……」
「わかればいいのよ。奏、これで気が済んだかしら」


 あ……うん、もう私は怒ってないよ。そう、怒ってない。そもそも自分のことで私は怒ったりしないんだよ。
 だけどね、雨……私はね。
 目を瞑り、肺に大きく息を吸い込む。


「…………そんなわけ、ないでしょっ!」


 私は学校で出したことがないほどの大きな声を張り上げた。雨はその声に無表情ながらも困惑し、慌てている様子。
 私はそんな雨を椅子の上に正座させる。


「いい? 雨は冗談がすぎるの。これじゃ雨の噂が本当になってしまうかもしれないじゃん? そういうのは私的には嫌だから、ダメなの」
「……悪かったわ、反省してます」
「そういえばいいと思ってるでしょ? 反省の表情が見えないもん」
「そんな、無茶よ、奏。ど、どうすればいいのかしら……」
「はい、目ー逸したー! やっぱり反省してない!」
「べ、弁論を要求するわ。目を逸らしたのは事実だけど……それだけじゃ余りにも非道よ!」


 わかってる、こんなのは暴論だ。しかし私の為だといっても譲ることはできない。
 これは雨の反省を促すためにも必要な行動、私は雨の噂がこれ以上悪い形で広まってほしくないのだ。こう言っておけば雨は絶対に自己犠牲な方法は取らなくなるはず。
 それが私の目的だったんだけど。
 そんな私たちの姿を見て、先程の女生徒がなぜかしら笑っていた。


「ふふっ! 何なのあんたたち、へ、変なの」
「私はそうかもしれないけど、奏は変ではないわ」
「あ、雨も変じゃないから!」
「そういうところが変なんだって! ぷっ、あはは!」


 私と雨はお互いの顔を見合わせるが、雨は意味がわからないといった具合に首を傾げる。でも、考えてみればこの女生徒が言うように私たち……いや私は、普段、学校ではしないことをしていた。
 回りへ目を向けてみると、クラスの他の人たちも奇異の目を向けている。いつの間にか回りが見えなくなっていたことに恥ずかしくなってしまう。
 女生徒は笑いが収まったのか、私たちに向き直ると改めて謝ってくれた。


「まぁ、いいや。宮城さんに赤坂さん、さっきのことは謝る。ごめんね」
「ええ、これからは気をつけてくれると助かるわ」
「私は別にいいんだけど……うん」


 なんとなく一歩だけ前進した気がする。
 これがきっかけ……にはならないとは思うけど、いつか雨が言ってくれたようにいじめがなくなっていくのだろうか? ううん、流石に夢を見過ぎだ。
 少しだけ変化はあったけど、やっぱり次の日もその次の日も大きく変わることなんてない。話しかけられることもないし、腫れ物扱いは変わらない。
 そして数日も経てば冬休みの前と同じになる。何も変わらない毎日だけど、そんな毎日がすごく楽しくて世界に鮮やかな色がついたようだった。
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