君のブレスが切れるまで
第36話 小さな腕時計
2018年 6月 上旬
着てきていい制服が夏服も含まれる時期、それと同時に来るのがこのジメジメとした梅雨の季節。去年、私はずっと冬服だったけど、今年は一足先に夏服へと変身を遂げる。
それはやっぱり暴力を受けなくなったから、肌を出しても大丈夫というのが大きい。雨はいつものように冬服のまま。そういえば、去年も冬服のままだったっけ……。
「奏、もうすぐ放課後だけど……今日もどこかへ行くの?」
「あ、うん。ちょっと……」
「私のプレゼントを選んでくれているのでしょう? でも、そんなに悩まなくても大丈夫よ。気持ちだけでも嬉しいのだから」
この通り、雨は自分の誕生日に私がプレゼントを贈るというのを既に知っている。流石にサプライズプレゼントというのはできそうになかった。私の誕生日からたった二ヶ月、雨が自分の誕生日を忘れるわけがない。
去年の6月、残念ながら雨に誕生日プレゼントを渡せなかった。その影響もあって、今年の誕生日プレゼントは気合を入れている。だって、雨の誕生日を祝うのは私が初めてだと思うから。
でも、プレゼントは未だに決まっていない。いろいろな雑貨屋さんに立ち入ったけれど、どうしてもこれだっていうものを決められなかった。
雨にどれが欲しいかと聞いても、恐らく返ってくる言葉は同じ。気持ちだけでもいいと言ってくれるだろう。それがどうしてかは私には何となくわかる。
クリスマスにあげた赤い傘とカチューシャをすごく大切にしている雨。それがもし壊れたらと聞いたことがあるけど、その時はすごく悲しそうな目をして「もう一度、買って欲しい」と言ってくれた。
だから今、雨が心の底から欲しいと思うのはそれしかない……のかもしれない。
私が何かをプレゼントをすれば、その分、雨には怖いものが増えてしまう。壊したくない、失いたくないという物が。
永遠に残るようなものがあればいいのに。ふいにそう思ってしまう。そんなもの、あるはずがないのに。
特に考えは浮かばない。この所、プレゼントを探す毎日で雨と一緒にいる時間が少なくなっていた。これじゃ本末転倒だ。
「……ね、雨。今日、付き合ってくれない?」
「奏がいいと言うのなら、もちろん一緒に行くわ」
二つ返事で了承を得る。それと同時に先生が教室へと入ってきて、本日最後の授業が始まる。
退屈な授業は聞いてて眠くなる。先生から聞くよりも雨から教わったほうがわかりやすくて、耳に内容が入ってこない。
プレゼントのことも頭から離れず、私はチョークで書きなぞられる黒板をぼーっと見つめていた。
§
放課後になると約束通り、雨と一緒に買い物へと出かける。
できればクリスマスプレゼントを買った小物屋さんがよかったけど、あそこは潰れてしまった。今思えばあのお姉さんは丁寧でいい人だったな。
私がもう行かないと思ったから潰れてしまったのだろうか? そうだとするならば、罪悪感が湧いてしまう。
散々街を歩き回って、いいお店を見つけられなかった私は雨におすすめのお店を教えてもらうことになった。
今日行くのは雨が私の誕生日プレゼントを買った……正確に言えばその素材を買った小物屋さんらしい。場所は学校の最寄り駅から、私たちの家とは二駅逆方向にあるという。
私たちはその駅で電車から降りると少し歩き、路地に入ったところ、小さな家へと辿り着いた。
「着いたわ」
「え? ここ?」
まるでおとぎ話に出てくるようなメルヘンチックな木の家。小物屋さんっぽいといえばそうだけど。
私たちはそこへ入ると、中は外観から見た通り小さかった。だけど、豊富な小物が揃っている。
「いらっしゃい、雨ちゃん。あら――」
「あれ――」
レジにいた店員さんと目が合うと、随分前に見たことのある人物と対面することになる。間違いない、この人は。
「びっくりした! 髪色変えたのね。お久しぶり、覚えてるかな?」
「は、はい……いつぞやは、その……あの……」
急なことで口が回らなくなってしまう。自分が何を言っているのかまったくわからなくなっていると雨がフォローを入れてくれた。
「夏美さん、奏は口下手なの。けれど、やっぱり奏も夏美さんと知り合いだったのね?」
「え……あ、うん。雨の傘とカチューシャを買った時、話したくらいだったけど……でもどうしてここに」
「それはね、移転したの。こんなメルヘンチックなところでお仕事したかったから」
「そ、そうなんですか……」
私の思ったせいで潰れたんじゃなかったと知ってホッとする。
「それで、今日はどんなご用件?」
うっ、流石にいきなりフレンドリーにされるのは苦手。ニコニコと笑ってはくれているけど、どうしても身構えてしまう。
「雨に連れられてここに……」
「そうなんだ。それじゃ、じっくり見ていってね! お友達同士の時間に水を差しちゃうのは悪いし、私は陳列作業に入るから!」
そういってバックヤードの方へと消えていく店員さん。
「奏は苦手そうね」
「悪い人じゃないっていうのはわかるけど、グイグイ来られると困っちゃうね」
苦笑いでそう返す。
雨は本当に空気を読んでくれる。プレゼントを買いに来たというのは雨も知っているはずだけど、それについて彼女は一切口に出さなかった。
誰かにプレゼントを買うと知られるのはちょっと恥ずかしいから。でも、それ以上に私が今したいこともわかってくれる雨には脱帽するばかり。
「少し二階を見てくるわ。奏、また後で」
「あ、う、うん!」
そう、こう言ってくれるのだ。実は雨と一緒に彼女の為のプレゼントを探すというのは恥ずかしかったりする。一人でじっくりと吟味したい。
店内を歩くと、いろいろな小物に目移りしてしまう。入った時は小さなところだなと思っていたけど、謎の奥行きがあってそれなりに広い。
「……いくらなんでも広すぎる気がするけど」
横から見たりしたら横長だったりして。
一人でクスクスと笑いながら、雨に合うプレゼントを探す。永遠に使えるもの、というものは残念だけどない。辺りを見回していると、さっきの店員さん……夏美さんと言ったかな? 彼女が商品を陳列していた。
まるで十二月の頃と同じだ。そんな私の視線に気がついたのか、こちらを見て微笑んでくれる。
「何か気になることでもある? なんでも言ってね?」
「は、はい……けど、大丈夫……です」
「ふふふ、それならいいけれど」
鼻歌混じりに陳列作業へと戻る夏美さん。前はこんな人だっただろうか? でも、雰囲気自体は悪くなかった。
ありえないことかもしれない。でも少し、聞いてみようかな。
「あ、あの……」
「ん? どうかした?」
「永遠に壊れないもの……とかって、ないでしょうか?」
「永遠に壊れないもの? んー……ごめんなさい。うちでは取り扱ってないかな」
すぐにそう答えが返ってくる。それもそうだ、どんなものも永遠に壊れないなんて保証はないのだから。当たり前の反応だ。
「けれど、永遠に近いくらい続くもの……というのなら、時計とかいいかもしれないよ? とは言っても時間が続くだけであって、時計その物は壊れる可能性があるんだけどね」
それじゃ意味ないか、なんて言って苦笑いする夏美さんだったけど、時計か……悪くないかも。
私の中でなんだかそれがいいと思ってしまった時だった。
「あの、それじゃ腕時計とか……ここに置いてますか?」
「うん、あるよ。とってもいいのが」
とってもいい。その言葉を聞くだけで、高いんじゃないかと思ってしまう。けれど、見るだけならタダだ。私は夏美さんに時計のある場所、二階へと案内される。
二階は小物とは違い、リュックやカバン、傘などが置いてある。あちこちに目を移していると、雨の姿を見かけた。
「実は私の夫が時計職人なの。もし気に入って、買いたいってなったらすごく割引してあげるね?」
「あ、ありがとうございます……」
普通、そう言われると買わなくちゃいけない雰囲気になってしまうのが嫌だけど、どうも押し売りをする様子もなかった。
時計のある場所はあそこだよ、と雨のいる場所を指差すだけでそこまでは案内してくれなかった。どうやら気を遣ってくれているみたい。
ガラスケースの中を覗く雨。私は彼女の隣へと歩いていき、同じように中を覗いた。
女性用として作られたであろうとても綺麗で小さくて可愛い腕時計、ベルトは赤であしらわれ、まるで雨の為に用意されたかのような……。
腕時計に興味がなかった私でもどうしてか息を呑んだ。
「素敵な腕時計ね……」
「うん、すごく可愛いかも」
隣にいる雨の横顔を、少しだけ覗く。
夢中でそれを見つめる雨の顔はいつものように無表情で変わりがないけど、赤い眼はキラキラと輝くようにその腕時計を映している。
ああ、もう……。
私は頬を緩ませ、心の中でそう呟く。雨の一言、そして表情で私の気持ちは決まった。
誕生日プレゼントはこの腕時計にしよう、と。
着てきていい制服が夏服も含まれる時期、それと同時に来るのがこのジメジメとした梅雨の季節。去年、私はずっと冬服だったけど、今年は一足先に夏服へと変身を遂げる。
それはやっぱり暴力を受けなくなったから、肌を出しても大丈夫というのが大きい。雨はいつものように冬服のまま。そういえば、去年も冬服のままだったっけ……。
「奏、もうすぐ放課後だけど……今日もどこかへ行くの?」
「あ、うん。ちょっと……」
「私のプレゼントを選んでくれているのでしょう? でも、そんなに悩まなくても大丈夫よ。気持ちだけでも嬉しいのだから」
この通り、雨は自分の誕生日に私がプレゼントを贈るというのを既に知っている。流石にサプライズプレゼントというのはできそうになかった。私の誕生日からたった二ヶ月、雨が自分の誕生日を忘れるわけがない。
去年の6月、残念ながら雨に誕生日プレゼントを渡せなかった。その影響もあって、今年の誕生日プレゼントは気合を入れている。だって、雨の誕生日を祝うのは私が初めてだと思うから。
でも、プレゼントは未だに決まっていない。いろいろな雑貨屋さんに立ち入ったけれど、どうしてもこれだっていうものを決められなかった。
雨にどれが欲しいかと聞いても、恐らく返ってくる言葉は同じ。気持ちだけでもいいと言ってくれるだろう。それがどうしてかは私には何となくわかる。
クリスマスにあげた赤い傘とカチューシャをすごく大切にしている雨。それがもし壊れたらと聞いたことがあるけど、その時はすごく悲しそうな目をして「もう一度、買って欲しい」と言ってくれた。
だから今、雨が心の底から欲しいと思うのはそれしかない……のかもしれない。
私が何かをプレゼントをすれば、その分、雨には怖いものが増えてしまう。壊したくない、失いたくないという物が。
永遠に残るようなものがあればいいのに。ふいにそう思ってしまう。そんなもの、あるはずがないのに。
特に考えは浮かばない。この所、プレゼントを探す毎日で雨と一緒にいる時間が少なくなっていた。これじゃ本末転倒だ。
「……ね、雨。今日、付き合ってくれない?」
「奏がいいと言うのなら、もちろん一緒に行くわ」
二つ返事で了承を得る。それと同時に先生が教室へと入ってきて、本日最後の授業が始まる。
退屈な授業は聞いてて眠くなる。先生から聞くよりも雨から教わったほうがわかりやすくて、耳に内容が入ってこない。
プレゼントのことも頭から離れず、私はチョークで書きなぞられる黒板をぼーっと見つめていた。
§
放課後になると約束通り、雨と一緒に買い物へと出かける。
できればクリスマスプレゼントを買った小物屋さんがよかったけど、あそこは潰れてしまった。今思えばあのお姉さんは丁寧でいい人だったな。
私がもう行かないと思ったから潰れてしまったのだろうか? そうだとするならば、罪悪感が湧いてしまう。
散々街を歩き回って、いいお店を見つけられなかった私は雨におすすめのお店を教えてもらうことになった。
今日行くのは雨が私の誕生日プレゼントを買った……正確に言えばその素材を買った小物屋さんらしい。場所は学校の最寄り駅から、私たちの家とは二駅逆方向にあるという。
私たちはその駅で電車から降りると少し歩き、路地に入ったところ、小さな家へと辿り着いた。
「着いたわ」
「え? ここ?」
まるでおとぎ話に出てくるようなメルヘンチックな木の家。小物屋さんっぽいといえばそうだけど。
私たちはそこへ入ると、中は外観から見た通り小さかった。だけど、豊富な小物が揃っている。
「いらっしゃい、雨ちゃん。あら――」
「あれ――」
レジにいた店員さんと目が合うと、随分前に見たことのある人物と対面することになる。間違いない、この人は。
「びっくりした! 髪色変えたのね。お久しぶり、覚えてるかな?」
「は、はい……いつぞやは、その……あの……」
急なことで口が回らなくなってしまう。自分が何を言っているのかまったくわからなくなっていると雨がフォローを入れてくれた。
「夏美さん、奏は口下手なの。けれど、やっぱり奏も夏美さんと知り合いだったのね?」
「え……あ、うん。雨の傘とカチューシャを買った時、話したくらいだったけど……でもどうしてここに」
「それはね、移転したの。こんなメルヘンチックなところでお仕事したかったから」
「そ、そうなんですか……」
私の思ったせいで潰れたんじゃなかったと知ってホッとする。
「それで、今日はどんなご用件?」
うっ、流石にいきなりフレンドリーにされるのは苦手。ニコニコと笑ってはくれているけど、どうしても身構えてしまう。
「雨に連れられてここに……」
「そうなんだ。それじゃ、じっくり見ていってね! お友達同士の時間に水を差しちゃうのは悪いし、私は陳列作業に入るから!」
そういってバックヤードの方へと消えていく店員さん。
「奏は苦手そうね」
「悪い人じゃないっていうのはわかるけど、グイグイ来られると困っちゃうね」
苦笑いでそう返す。
雨は本当に空気を読んでくれる。プレゼントを買いに来たというのは雨も知っているはずだけど、それについて彼女は一切口に出さなかった。
誰かにプレゼントを買うと知られるのはちょっと恥ずかしいから。でも、それ以上に私が今したいこともわかってくれる雨には脱帽するばかり。
「少し二階を見てくるわ。奏、また後で」
「あ、う、うん!」
そう、こう言ってくれるのだ。実は雨と一緒に彼女の為のプレゼントを探すというのは恥ずかしかったりする。一人でじっくりと吟味したい。
店内を歩くと、いろいろな小物に目移りしてしまう。入った時は小さなところだなと思っていたけど、謎の奥行きがあってそれなりに広い。
「……いくらなんでも広すぎる気がするけど」
横から見たりしたら横長だったりして。
一人でクスクスと笑いながら、雨に合うプレゼントを探す。永遠に使えるもの、というものは残念だけどない。辺りを見回していると、さっきの店員さん……夏美さんと言ったかな? 彼女が商品を陳列していた。
まるで十二月の頃と同じだ。そんな私の視線に気がついたのか、こちらを見て微笑んでくれる。
「何か気になることでもある? なんでも言ってね?」
「は、はい……けど、大丈夫……です」
「ふふふ、それならいいけれど」
鼻歌混じりに陳列作業へと戻る夏美さん。前はこんな人だっただろうか? でも、雰囲気自体は悪くなかった。
ありえないことかもしれない。でも少し、聞いてみようかな。
「あ、あの……」
「ん? どうかした?」
「永遠に壊れないもの……とかって、ないでしょうか?」
「永遠に壊れないもの? んー……ごめんなさい。うちでは取り扱ってないかな」
すぐにそう答えが返ってくる。それもそうだ、どんなものも永遠に壊れないなんて保証はないのだから。当たり前の反応だ。
「けれど、永遠に近いくらい続くもの……というのなら、時計とかいいかもしれないよ? とは言っても時間が続くだけであって、時計その物は壊れる可能性があるんだけどね」
それじゃ意味ないか、なんて言って苦笑いする夏美さんだったけど、時計か……悪くないかも。
私の中でなんだかそれがいいと思ってしまった時だった。
「あの、それじゃ腕時計とか……ここに置いてますか?」
「うん、あるよ。とってもいいのが」
とってもいい。その言葉を聞くだけで、高いんじゃないかと思ってしまう。けれど、見るだけならタダだ。私は夏美さんに時計のある場所、二階へと案内される。
二階は小物とは違い、リュックやカバン、傘などが置いてある。あちこちに目を移していると、雨の姿を見かけた。
「実は私の夫が時計職人なの。もし気に入って、買いたいってなったらすごく割引してあげるね?」
「あ、ありがとうございます……」
普通、そう言われると買わなくちゃいけない雰囲気になってしまうのが嫌だけど、どうも押し売りをする様子もなかった。
時計のある場所はあそこだよ、と雨のいる場所を指差すだけでそこまでは案内してくれなかった。どうやら気を遣ってくれているみたい。
ガラスケースの中を覗く雨。私は彼女の隣へと歩いていき、同じように中を覗いた。
女性用として作られたであろうとても綺麗で小さくて可愛い腕時計、ベルトは赤であしらわれ、まるで雨の為に用意されたかのような……。
腕時計に興味がなかった私でもどうしてか息を呑んだ。
「素敵な腕時計ね……」
「うん、すごく可愛いかも」
隣にいる雨の横顔を、少しだけ覗く。
夢中でそれを見つめる雨の顔はいつものように無表情で変わりがないけど、赤い眼はキラキラと輝くようにその腕時計を映している。
ああ、もう……。
私は頬を緩ませ、心の中でそう呟く。雨の一言、そして表情で私の気持ちは決まった。
誕生日プレゼントはこの腕時計にしよう、と。