君のブレスが切れるまで
第37話 ずっと一緒に
深夜、私はちょっとお手洗いへと行きたくなって目が覚める。
寝相が悪いわけじゃないのにカピバラのぬいぐるみ、カッピーは私の腕から離れ、足元に移動していた。
「ふふ、私の腕が苦しかったのかな? でも、勝手に動くのはダメだよー?」
私は足元にあるカッピーを両手で持つと、枕元に寝かせる。
そういえば小さい頃もぬいぐるみを抱いて寝ていたけど、その子も足元へと移動していたり私の腕の中にいなかったりしていた。
あれ? 悪くないと思ってたけど、これは……つまり、私は寝相が悪かったりする?
なんて自問自答して勝手に自分でショックを受けてしまう。私は当初の目的の為、自室の扉を開き、リビングへと移動した。
もうすぐ雨の誕生日。あの日、雨と学校帰りに寄った小物屋さんで私は雨のプレゼントを決めることができた。
正直、彼女と一緒に行ってよかったと思う。サプライズもいいけど、やっぱり雨が気になったと思うものを買いたいから。
だけど、あの腕時計をまだ買えてはいない。
やっぱり雨に買ってるのがバレちゃ恥ずかしい気がして。まぁ……最終的に渡すものだからバレてしまっても問題はないはずなんだけど、そこはわずかながらサプライズにしたい。
それにちゃんと取り置きもしてもらっている。誰かに買われたりする心配もない、鈍臭い私でも雨の為なら抜かりないのだ。
眠気眼で「ふふん」と得意げに笑う。
明日の学校帰りに誕生日ケーキと共に取りにいこう。実はケーキも既に予約済み。だって、盛大に祝うって言ったから、この日の為にすごく気合を入れたのだから。
私はトイレを済ますとまたリビングへと戻ってくる。夜中のリビングは明かりがついてなくて暗い。深夜に起きたりするのは稀だから、とても新鮮な気分。
それに深夜はとても静か……、静か?
私は雨の部屋の方を見てみると、扉の隙間から光が若干漏れているのを発見する。そして部屋の中からは微かに声が。
雨、まだ起きてるんだ。何を言ってるのかな?
自分自身、趣味が悪いなぁとは思いつつも、雨は一人の時、どんなことをしているのか気になり部屋に近づいてみる。
「――――……生きて」
「……?」
生きて。たったそれだけしか聞こえなくて、その後に続く言葉は聞こえなかった。誰かと話してた? もしかしたら、今も……もっと小さな声で話しているのかもしれない。
聞いていいのかな? ……ううん、人としてあまり良くないよね。こんなことして、もし雨に見つかりでもしたら。
でも人の欲望は罪深い、私は罪悪感を抱きながらも扉へと耳をくっつけ聞き耳を立てる。
途端、部屋の扉が開いた。
「わっ、わぁ……⁉」
「っと……部屋の外から気配がすると思ったら、起きてたのね」
扉に体重をかけてたせいでバランスを崩した私を雨が支えてくれた。その代わり、ではないけど彼女から呆れたように言われてしまう。
「まったく、盗み聞きなんてレディのすることではないわよ?」
「あ……あはは……やっぱりバレてた?」
雨から離れ、てへへと苦笑する。
けど、せっかく話をする機会だ。さっきのこと、教えてくれたりするかな?
「ね、ねぇ……雨……誰かと話してた?」
「……そうね。話してたかも」
「誰……とか聞いてもいい?」
「私の友人よ。遠い所にいるの」
へ、へぇ……友人かぁ。外国の子かな?
ちょっとだけ嫉妬心を感じてしまうのは、雨には私以外にもそういう子がいると思ってしまったからか。でも『生きて』なんて言うくらいだから、もしかしたらその子も私と同じような境遇なのかも。
そう思えば、なんだか胸が痛くなる。
「奏は優しいわね。いつまでも、その気持ちを大切にして」
「あ、雨……?」
「今日はもう寝るべき、明日辛くなるわ」
「う……うん。そう、だね……」
歯切れの悪い返答をする。
なんだか、もしかしたら雨が明日にはいなくなったりしないか不安だった。
「あ、雨……あのね……一つわがままを聞いてくれるかな?」
「ええ、どんなこと?」
「今日は、雨の隣で寝たいなーって……」
はっきりと、そう言う。
朝起きたら雨がいなくなっていたなんてことがないように、それが私は怖いから。そうならないように今日は一緒にいたい。
雨は少しだけ悩んでいたみたいだけど、すぐに私の方を見てくれて返答してくれる。
「一つのベッドじゃ狭いけれど、それでもいい?」
「う、うん!」
そして私は雨の部屋へと招待してもらう。招待というか、私が無理やり押し入ったような形だけど。
雨が暖色のデスクライトを消すと、真っ暗な闇が部屋を包む。
私は促されるまま先にベッドへと入り、雨もすぐに入る。隣で寝たいとは言ったけど恥ずかしくて私は背を向けたままだ。
優しい香り。去年の夏、雨が寝込んだ後に私も寝かされていたんだっけ。
あの日と変わらない優しい匂いが、私を包んでくれる。
雨と私はシャンプーもボディソープも何もかも同じものを使っているはずなのに、こんなにも香りが違うのは、やっぱり私と雨が違う人間だからなのかも。
……雨はきっと特別な存在で私は違う。雨に救える人はいても、私では残念ながら救えない。でも、そんな私でも特別なものはあった。
小さい頃の雨を絶望から救い出したこと、これだけは私が雨にとって特別である証。
それからやるべきことを見つけて、生まれ変わろうと髪色を変え、雨から教わったお化粧も上手くなってきたのに、私は何も成せてない。変われてもいない。
未だに雨の笑顔を取り戻せないのが何よりの証拠だろう。
私だけしかできないはずと思っているそれは、本当に私にだけしかできないものなの? と不安に陥ることもある。
でも、わかってる。私が自分を信じなきゃ、雨の笑顔を見ることは叶わない。
あれからもうすぐ一年が経つ。
ビルの屋上で雨が助けてくれたあの日、彼女は私の生きる理由になると言ってくれた。そして確かに微笑んでくれたんだ。そのおかげで私は今も生きてる、そしてこれからも生きていたいって思うようになった。それは雨が私の生きる意味になってくれているから。
……困ったな、眠いはずなのに眠れない。考えれば考える程、眠れなくなる。
そんなことを内心思っていると、背中側から雨の声が聞こえた。
「奏、起きてる?」
「……うん、起きてるよ」
私は寝返りをして、雨の方へと顔を向ける。いろいろと考え込んでいたら、恥ずかしさもなくなってしまったようだ。
カーテンの隙間から照らす月明かりで、赤く光る雨の眼。猫のようなその瞳は本当に不思議で、すごく綺麗。初めて見た時から変わらない。まるで吸い込まれそうになるくらいに綺麗な眼は、私の視線を釘付けにしてしまう。
しばらくしても雨は語りださない。
時計の針だけがカチカチと暗闇の中で鳴り響き、一秒ずつ、時が過ぎていく。
「黙っちゃって、どうしたの?」
「いえ……奏、ありがとう」
「改まって、一体どうし――」
雨から『ありがとう』って言われるのはすごく新鮮。これまでも言われたことはあったけど、雨はどちらかというと『ごめんなさい』と言う方が多かった。
なんだかありがとうって言葉が嬉しくなって、さっきの言葉を訂正……上書きする。
「……いいよ。どう致しまして」
何の『ありがとう』なの? なんて無粋なことは聞かない。
ただこの時はこれが正解な気がして、私は微笑んだ。
「えへへ……少し眠いね」
「そうね……瞼が重いわ」
雨もジト目のようになってきている。
そんな顔を見るのも新鮮だ。眠そうな雨を見るのはほとんどなかったから。
「雨……」
名残惜しかったけど、眠いものは眠かったみたい。目が勝手に閉じていく。
明日も明後日も、こんな日が続いてほしい。
「ずっと一緒にいてね……喧嘩しちゃっても、いつか結婚しても、ずっと友達で、親友でいて……ね」
その言葉を最後に私は意識を闇に沈めていく。その中でかすかに雨の声が聞こえていた。
「ふふ……約束するわ、いつまでも親友でいることを。私の祝福が切れるまで、何があっても奏を守り続けるわ」
闇へと誘われる私の意識は夢を見ることもなく、時を早回しするように過ぎ去っていく。
眠っている間だけは嫌なことを忘れられる。そう、私は思っていた。だけど、それと引き換えにいいことだって忘れているんだね。
今日、雨が見せてくれた笑顔だって、気づかないままなんだ。
§
次の日、私が目を覚ますとベッドの上には私だけが取り残され、雨の姿はなかった。
「え……あ……め、雨⁉」
ベッドから飛び起きる。そして扉を開け、この部屋を飛び出した。
だけど、この焦燥感はすぐに消えることとなる。
「あら、奏、おはよう。血相変えて、どうかしたの?」
「っ――もぉぉ! 心配して損した!」
「えっ? 一体、何の話かしら……」
「こっちの話! もう……もう!」
私は牛のようにモウモウいいながら、セーラー服へと着替えるために自分の部屋へと戻っていく。
でも、よかった。雨は別にいなくなったりしなかった。なんだか妙に焦っていただけで、私が空回りしていただけだったみたい。考え過ぎはよくないな。
小さな鏡を見ながらセーラー服のスカーフを整えていると。
「奏、朝食ができたわ」
「うん、今行く! これでよし……っと」
先程の不機嫌を上機嫌へと転換させ、扉からリビングへ。
「えっへへ、雨。お待たせ!」
「今度は機嫌がいいみたいだけど、熱でもあるのかしら?」
「し、失敬だなー! 君はー!」
「その口調……奏らしくないけど、本当にどうしてしまったの?」
不思議そうに首を傾げる雨に笑顔で「いいからいいから」と、誤魔化していく私。
だって、一つ、些細な幸せを思い出したんだから。
そう、一緒にいるのが当たり前じゃない。雨がいて、私がいる。それはきっと幸せなことだから。
「雨、今日はちょっと寄るところがあるから、先に帰ってて」
「わかったわ。でも、あまり遅くならないうちに帰ってきて? 今日は天気が崩れそうなの」
「はい! 天気予言士さんの予言は絶対なので!」
「その設定、まだ残っていたのね」
そんな話をしながらパンにバターを塗って、朝食を済ませていく。
うーん、やっぱり梅雨の季節だから天気が崩れやすいかぁ。とりあえず、プレゼントとケーキを買ったらさっさと帰ろう。
「あ、雨! やっぱり、早めに言わせておいて! 帰ってきてからも言うけど!」
「ん? 何かしら?」
そう、今日は特別な日。雨が産まれた日だから。私は大きく息を吸って、これ以上ないくらいに笑顔を浮かべる。
「雨、誕生日、おめでと!」
「……! ええ、ありがとう。奏、とても嬉しいわ」
「えー? 本当かなぁ?」
「本当よ、本当に本当」
そういって顔をマッサージしながら変な顔をする雨。その顔で私はまた吹き出してしまった。
「あは、あはははは! 雨、へ、変だってその顔は!」
「む、難しいわね、笑顔を作るのは。どうすれば自然に作れるのかしら?」
「もー! 作るんじゃなくて出すんだよ。雨、私に見られて緊張とかしてない?」
「それは……少しあるかもしれないわね」
「それが原因だ!」
「お、おかしいわね……昨日は確かに……」
なにかブツブツと言葉を零しながら、未だに頬をマッサージしていた。なんだかそんな雨を見るのは新鮮で、更に笑いが込み上げてくる。
「だ、段々と雨の顔が険しくなってる気がする……ぷっ、あはは!」
そんな雨は慌てて鏡を覗くけど。
「ふ……普通なのだけど! か、奏、そんなに笑うことはないでしょう!」
「あ、あれぇ……そうだっけ? あ、でも無表情だし、そんな気もする?」
「ふん……もうこのままで行くから。奏、後悔しても遅いわよ」
「わ、わ! ごめんなさい!」
雨がいじけるなんて初めてかもしれない。
これはこれで可愛いけど、私の目標が達成できなくなるのはやっぱり良くないから。
「冗談よ。いつもとは違う感じを出したのだけど……どうだったかしら?」
「え、えぇぇ! 冗談だったのー? もう、酷いよ雨ー……」
こんな風に結局は私が手のひらの上で踊らされていたみたい。でも、新しい一面を見れてよかった。
また一つ、いい傾向だなって私は思うのでした。
寝相が悪いわけじゃないのにカピバラのぬいぐるみ、カッピーは私の腕から離れ、足元に移動していた。
「ふふ、私の腕が苦しかったのかな? でも、勝手に動くのはダメだよー?」
私は足元にあるカッピーを両手で持つと、枕元に寝かせる。
そういえば小さい頃もぬいぐるみを抱いて寝ていたけど、その子も足元へと移動していたり私の腕の中にいなかったりしていた。
あれ? 悪くないと思ってたけど、これは……つまり、私は寝相が悪かったりする?
なんて自問自答して勝手に自分でショックを受けてしまう。私は当初の目的の為、自室の扉を開き、リビングへと移動した。
もうすぐ雨の誕生日。あの日、雨と学校帰りに寄った小物屋さんで私は雨のプレゼントを決めることができた。
正直、彼女と一緒に行ってよかったと思う。サプライズもいいけど、やっぱり雨が気になったと思うものを買いたいから。
だけど、あの腕時計をまだ買えてはいない。
やっぱり雨に買ってるのがバレちゃ恥ずかしい気がして。まぁ……最終的に渡すものだからバレてしまっても問題はないはずなんだけど、そこはわずかながらサプライズにしたい。
それにちゃんと取り置きもしてもらっている。誰かに買われたりする心配もない、鈍臭い私でも雨の為なら抜かりないのだ。
眠気眼で「ふふん」と得意げに笑う。
明日の学校帰りに誕生日ケーキと共に取りにいこう。実はケーキも既に予約済み。だって、盛大に祝うって言ったから、この日の為にすごく気合を入れたのだから。
私はトイレを済ますとまたリビングへと戻ってくる。夜中のリビングは明かりがついてなくて暗い。深夜に起きたりするのは稀だから、とても新鮮な気分。
それに深夜はとても静か……、静か?
私は雨の部屋の方を見てみると、扉の隙間から光が若干漏れているのを発見する。そして部屋の中からは微かに声が。
雨、まだ起きてるんだ。何を言ってるのかな?
自分自身、趣味が悪いなぁとは思いつつも、雨は一人の時、どんなことをしているのか気になり部屋に近づいてみる。
「――――……生きて」
「……?」
生きて。たったそれだけしか聞こえなくて、その後に続く言葉は聞こえなかった。誰かと話してた? もしかしたら、今も……もっと小さな声で話しているのかもしれない。
聞いていいのかな? ……ううん、人としてあまり良くないよね。こんなことして、もし雨に見つかりでもしたら。
でも人の欲望は罪深い、私は罪悪感を抱きながらも扉へと耳をくっつけ聞き耳を立てる。
途端、部屋の扉が開いた。
「わっ、わぁ……⁉」
「っと……部屋の外から気配がすると思ったら、起きてたのね」
扉に体重をかけてたせいでバランスを崩した私を雨が支えてくれた。その代わり、ではないけど彼女から呆れたように言われてしまう。
「まったく、盗み聞きなんてレディのすることではないわよ?」
「あ……あはは……やっぱりバレてた?」
雨から離れ、てへへと苦笑する。
けど、せっかく話をする機会だ。さっきのこと、教えてくれたりするかな?
「ね、ねぇ……雨……誰かと話してた?」
「……そうね。話してたかも」
「誰……とか聞いてもいい?」
「私の友人よ。遠い所にいるの」
へ、へぇ……友人かぁ。外国の子かな?
ちょっとだけ嫉妬心を感じてしまうのは、雨には私以外にもそういう子がいると思ってしまったからか。でも『生きて』なんて言うくらいだから、もしかしたらその子も私と同じような境遇なのかも。
そう思えば、なんだか胸が痛くなる。
「奏は優しいわね。いつまでも、その気持ちを大切にして」
「あ、雨……?」
「今日はもう寝るべき、明日辛くなるわ」
「う……うん。そう、だね……」
歯切れの悪い返答をする。
なんだか、もしかしたら雨が明日にはいなくなったりしないか不安だった。
「あ、雨……あのね……一つわがままを聞いてくれるかな?」
「ええ、どんなこと?」
「今日は、雨の隣で寝たいなーって……」
はっきりと、そう言う。
朝起きたら雨がいなくなっていたなんてことがないように、それが私は怖いから。そうならないように今日は一緒にいたい。
雨は少しだけ悩んでいたみたいだけど、すぐに私の方を見てくれて返答してくれる。
「一つのベッドじゃ狭いけれど、それでもいい?」
「う、うん!」
そして私は雨の部屋へと招待してもらう。招待というか、私が無理やり押し入ったような形だけど。
雨が暖色のデスクライトを消すと、真っ暗な闇が部屋を包む。
私は促されるまま先にベッドへと入り、雨もすぐに入る。隣で寝たいとは言ったけど恥ずかしくて私は背を向けたままだ。
優しい香り。去年の夏、雨が寝込んだ後に私も寝かされていたんだっけ。
あの日と変わらない優しい匂いが、私を包んでくれる。
雨と私はシャンプーもボディソープも何もかも同じものを使っているはずなのに、こんなにも香りが違うのは、やっぱり私と雨が違う人間だからなのかも。
……雨はきっと特別な存在で私は違う。雨に救える人はいても、私では残念ながら救えない。でも、そんな私でも特別なものはあった。
小さい頃の雨を絶望から救い出したこと、これだけは私が雨にとって特別である証。
それからやるべきことを見つけて、生まれ変わろうと髪色を変え、雨から教わったお化粧も上手くなってきたのに、私は何も成せてない。変われてもいない。
未だに雨の笑顔を取り戻せないのが何よりの証拠だろう。
私だけしかできないはずと思っているそれは、本当に私にだけしかできないものなの? と不安に陥ることもある。
でも、わかってる。私が自分を信じなきゃ、雨の笑顔を見ることは叶わない。
あれからもうすぐ一年が経つ。
ビルの屋上で雨が助けてくれたあの日、彼女は私の生きる理由になると言ってくれた。そして確かに微笑んでくれたんだ。そのおかげで私は今も生きてる、そしてこれからも生きていたいって思うようになった。それは雨が私の生きる意味になってくれているから。
……困ったな、眠いはずなのに眠れない。考えれば考える程、眠れなくなる。
そんなことを内心思っていると、背中側から雨の声が聞こえた。
「奏、起きてる?」
「……うん、起きてるよ」
私は寝返りをして、雨の方へと顔を向ける。いろいろと考え込んでいたら、恥ずかしさもなくなってしまったようだ。
カーテンの隙間から照らす月明かりで、赤く光る雨の眼。猫のようなその瞳は本当に不思議で、すごく綺麗。初めて見た時から変わらない。まるで吸い込まれそうになるくらいに綺麗な眼は、私の視線を釘付けにしてしまう。
しばらくしても雨は語りださない。
時計の針だけがカチカチと暗闇の中で鳴り響き、一秒ずつ、時が過ぎていく。
「黙っちゃって、どうしたの?」
「いえ……奏、ありがとう」
「改まって、一体どうし――」
雨から『ありがとう』って言われるのはすごく新鮮。これまでも言われたことはあったけど、雨はどちらかというと『ごめんなさい』と言う方が多かった。
なんだかありがとうって言葉が嬉しくなって、さっきの言葉を訂正……上書きする。
「……いいよ。どう致しまして」
何の『ありがとう』なの? なんて無粋なことは聞かない。
ただこの時はこれが正解な気がして、私は微笑んだ。
「えへへ……少し眠いね」
「そうね……瞼が重いわ」
雨もジト目のようになってきている。
そんな顔を見るのも新鮮だ。眠そうな雨を見るのはほとんどなかったから。
「雨……」
名残惜しかったけど、眠いものは眠かったみたい。目が勝手に閉じていく。
明日も明後日も、こんな日が続いてほしい。
「ずっと一緒にいてね……喧嘩しちゃっても、いつか結婚しても、ずっと友達で、親友でいて……ね」
その言葉を最後に私は意識を闇に沈めていく。その中でかすかに雨の声が聞こえていた。
「ふふ……約束するわ、いつまでも親友でいることを。私の祝福が切れるまで、何があっても奏を守り続けるわ」
闇へと誘われる私の意識は夢を見ることもなく、時を早回しするように過ぎ去っていく。
眠っている間だけは嫌なことを忘れられる。そう、私は思っていた。だけど、それと引き換えにいいことだって忘れているんだね。
今日、雨が見せてくれた笑顔だって、気づかないままなんだ。
§
次の日、私が目を覚ますとベッドの上には私だけが取り残され、雨の姿はなかった。
「え……あ……め、雨⁉」
ベッドから飛び起きる。そして扉を開け、この部屋を飛び出した。
だけど、この焦燥感はすぐに消えることとなる。
「あら、奏、おはよう。血相変えて、どうかしたの?」
「っ――もぉぉ! 心配して損した!」
「えっ? 一体、何の話かしら……」
「こっちの話! もう……もう!」
私は牛のようにモウモウいいながら、セーラー服へと着替えるために自分の部屋へと戻っていく。
でも、よかった。雨は別にいなくなったりしなかった。なんだか妙に焦っていただけで、私が空回りしていただけだったみたい。考え過ぎはよくないな。
小さな鏡を見ながらセーラー服のスカーフを整えていると。
「奏、朝食ができたわ」
「うん、今行く! これでよし……っと」
先程の不機嫌を上機嫌へと転換させ、扉からリビングへ。
「えっへへ、雨。お待たせ!」
「今度は機嫌がいいみたいだけど、熱でもあるのかしら?」
「し、失敬だなー! 君はー!」
「その口調……奏らしくないけど、本当にどうしてしまったの?」
不思議そうに首を傾げる雨に笑顔で「いいからいいから」と、誤魔化していく私。
だって、一つ、些細な幸せを思い出したんだから。
そう、一緒にいるのが当たり前じゃない。雨がいて、私がいる。それはきっと幸せなことだから。
「雨、今日はちょっと寄るところがあるから、先に帰ってて」
「わかったわ。でも、あまり遅くならないうちに帰ってきて? 今日は天気が崩れそうなの」
「はい! 天気予言士さんの予言は絶対なので!」
「その設定、まだ残っていたのね」
そんな話をしながらパンにバターを塗って、朝食を済ませていく。
うーん、やっぱり梅雨の季節だから天気が崩れやすいかぁ。とりあえず、プレゼントとケーキを買ったらさっさと帰ろう。
「あ、雨! やっぱり、早めに言わせておいて! 帰ってきてからも言うけど!」
「ん? 何かしら?」
そう、今日は特別な日。雨が産まれた日だから。私は大きく息を吸って、これ以上ないくらいに笑顔を浮かべる。
「雨、誕生日、おめでと!」
「……! ええ、ありがとう。奏、とても嬉しいわ」
「えー? 本当かなぁ?」
「本当よ、本当に本当」
そういって顔をマッサージしながら変な顔をする雨。その顔で私はまた吹き出してしまった。
「あは、あはははは! 雨、へ、変だってその顔は!」
「む、難しいわね、笑顔を作るのは。どうすれば自然に作れるのかしら?」
「もー! 作るんじゃなくて出すんだよ。雨、私に見られて緊張とかしてない?」
「それは……少しあるかもしれないわね」
「それが原因だ!」
「お、おかしいわね……昨日は確かに……」
なにかブツブツと言葉を零しながら、未だに頬をマッサージしていた。なんだかそんな雨を見るのは新鮮で、更に笑いが込み上げてくる。
「だ、段々と雨の顔が険しくなってる気がする……ぷっ、あはは!」
そんな雨は慌てて鏡を覗くけど。
「ふ……普通なのだけど! か、奏、そんなに笑うことはないでしょう!」
「あ、あれぇ……そうだっけ? あ、でも無表情だし、そんな気もする?」
「ふん……もうこのままで行くから。奏、後悔しても遅いわよ」
「わ、わ! ごめんなさい!」
雨がいじけるなんて初めてかもしれない。
これはこれで可愛いけど、私の目標が達成できなくなるのはやっぱり良くないから。
「冗談よ。いつもとは違う感じを出したのだけど……どうだったかしら?」
「え、えぇぇ! 冗談だったのー? もう、酷いよ雨ー……」
こんな風に結局は私が手のひらの上で踊らされていたみたい。でも、新しい一面を見れてよかった。
また一つ、いい傾向だなって私は思うのでした。