君のブレスが切れるまで
第五章 君のいない日々 【2018年6月~2023年4月】
第41話 金色の眼
次の日の朝、私は起き上がるとそこはソファの上だった。
「私、そのまま寝ちゃったんだ……痛っ」
目が痛い。触れてみると、思ったより腫れているみたい。
「今日、学校か……雨は……まだ寝てるのかな?」
リビングを見回しても彼女の姿は見えない。立ち上がると、彼女の部屋へと足を進める。
「雨、起きて……朝だよー」
『んん……おはよう、奏。今朝は早いわね、すぐに朝食を作るわ』
私の頭の中で彼女の声が再生された。馬鹿だな、私。もう雨はいないのに。
彼女の机の上には、赤いカチューシャと止まってしまった赤い腕時計が置かれてあった。それを見てしまうと胸が痛む。
それだけじゃない、この部屋の香りは雨特有のものだ。この香りを嗅いでしまうと、頭がおかしくなりそう。
それほどに彼女がここにいたという証が詰まっている。私はすぐに部屋を飛び出すと扉を締め、しまい込む。彼女の思い出が逃げないように。
もうこの部屋には……入らない、入れない。
「あ……そうだ。私は、今日死ぬ予定だったじゃん。死のうよ、早く。奏、死ぬんだよ」
私は背中を扉につけ、座り込み、彼女が呼んでくれたように自分の名前を呼んだ。
死ぬのは怖くない。感情が焼ききれているせいで、もうそれが楽になる唯一の方法だと心が叫んでいるのだ。思い立ったように私は立ち上がると、キッチンへ包丁を取りに行く。
あった。流し台のすぐ下に包丁入れがある。それを右手で一本引き抜くと、逆手持ちにし高く掲げた。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……!」
高揚感か息が上がってしまう。もうすぐ死ねるんだと、失った感情が出ているのか自分の顔が笑っているような気がした。
左手を台に乗せ、手首を上側へと向ける。
「えへ……えへへ……ひひ……ひひひひ!」
他の誰もいないキッチンに私の狂った声が響き渡る。そして右手に持ったそれを思い切り、私は振り下ろした――
§
ん……あれ、私どうしたんだろ。なんだか、いい匂いがする。
朧気な視線の先、キッチンに立っている黒いセーラー服を来ていた女の子がせっせと料理を作っていた。
「……あ、雨……?」
私の声に気づいたのか、大きな声を出して私に近づいてきた。
「気がついた? あーごめんね、勝手に上がっちゃって」
揺れるサイドテールの黒髪。
違う、雨じゃない。この子は、確か席替えの時に私たちに突っかかってきた――
「私の名前、ちゃんと覚えてないのねぇ……桜田 瑠璃子。ルリって呼んで。宮城さんが亡くなったことを聞いて、心配になって来てみたわけよ。そしたら、キッチンで赤坂が倒れてるじゃない? ほんと、びっくりよ」
そう言われて、左手首を見てみる。傷とかそういうものはない。そもそも、なぜこの子がここに入れるの? ここはオートロックのマンションなはずだ、仮に入れたとしても玄関の鍵は……。
「あっと、お腹減ってるでしょ? 悪いと思ったけど、冷蔵庫のもの勝手に使わせてもらったから……それと、玄関開いてたよ。オートロックでも、入れる時は入れるんだから気をつけなさいね!」
私が思っていたことを連々と説明してくれた。私はお腹を押さえてみると、きゅぅと少しだけ可愛い音がする。
キッチンに立った時は朝だったはずなのに、もう既に夕方だ。
「ありあわせのものしか作れなかったけど、許してね」
そう言って持ってきてくれたのは、卵雑炊。甘い香りが漂っているのは、砂糖の影響だろうか?
「え、えっと……桜田さんはどうして――」
「ルリでいいから。さっきも言ったけど、心配だったから。宮城さんと仲良かったのは知ってるし、ついでに先生から頼まれて、はい」
そう言って渡される何の変哲もないプリント。本当に私のことが心配で来てくれたの? そんな……まさか。
彼女の本心を探る。背に映る黒い闇は人の形をしてないけれど、それは誰にもあるものだ。下心のない人間なんてそうそういるもんじゃない。
「まぁ、ちょっと話があるんだけど先に食べちゃいなさいな」
「あ、うん」
急かされ、雑炊に手を付けた。からっぽの胃にそれは優しくて、甘くてとても美味しい。けど、雨と比べれば天と地の差だ。
「美味しい?」
「まぁまぁかな」
「はっきり言うねぇ、赤坂は……」
そして――
「それで、話って?」
雑炊を食べ終わると、私は先程のことに会話を戻す。
「あーうん、これなんだけどさ……」
そういって彼女が見せてきたビニール袋、中からはジャラジャラと音がしどうやら金属片みたいなものが入ってるようだ。それを受け取ると「開けてみて」と促され、固結びされた袋の口を開く。
「これは……」
「あんたの近くにばらまかれてあったの。掃除するの大変だったわ」
金属片の正体、それは今日、私が手首を切ろうとしたときに使った包丁だった。もう使えないくらい派手に砕けている。
「そんな壊れ方するの見たこともないし。気を失う前、なにがあったか覚えてる?」
「あー……死にたいなって手首切ろうとして、振りかざした時から記憶がなくてわかんないよ」
正直にそういうと彼女は頭を押さえ、首を横へと振っていた。
「そんなこと、平然と言って……赤坂がそう思うのはわからんでもないけど、宮城さんはそれで喜ぶかな」
「雨は喜ぶよ。私が死んだら雨は私と会えるし、私も雨と会えるんだから」
「あのねぇ……死んだ先で会えるかどうかなんてわかんないでしょ!」
「じゃあ死んだ先で会えないって保証はあるの?」
「それを言ったら、あんたが言う会える保証もないでしょ!」
「やってみないとわからないじゃん。私はそれに賭けてみたいし、私なら必ず会えると思う」
そんな根拠がどこに……という顔だ。でも、私にはそれがわかる。だって、祝福の眼の力があるんだから。そうじゃないといけないのだ。
「……まぁ、千歩譲ってそうだしても、宮城さんは赤坂に何か言ってなかったの?」
「それを教える義理は桜田さんにはないでしょ? 散々、私を無視してたんだから」
「それは…………その、悪かったわよ……」
それは一年の時から腫れ物扱いにされていることだ。
でも、それはこの子が悪いわけじゃないのは知っている。みんなが私と話をしなくなったのは、あやかが一枚噛んでいたから。
あの頃は気づかなかったけど、学校でのあの女の評判は良く、私を孤立させるように仕向けていた。評判は虚構の言葉を真実へと変える。私はそうして気づかない内に一人になって、おもちゃにされていたんだ。
まぁ、いっか……言っちゃっても。
「生きてって言われたけど、雨のいない世界では私は生きられない。ここに穴が空いた気分で、笑ったり、怒ったり、泣いたり、楽しんだりできなくなっちゃったみたいなんだ」
「赤坂……」
胸を押さえ、私はそういった。もう本当に何も感じなくなっちゃった、こんな気持ちを雨もずっとずぅっと味わっていたのかな?
今度は私が私を終わらせて、私を貴女の元へ送っていくからね。ベランダを開けると、夕焼けの中、空から雨が降り続いている。
「ちょっと、待って……赤坂……何するつもり?」
「ここは十七階、下はコンクリート。落ちたら即死は免れないでしょ?」
「ちょ、ちょっと待って! 本気⁉ 少しくらい、私の話を聞いてくれても――」
「私は本気だよ。でも、そうだね……桜田さんが今すぐ帰ってくれるなら、止めてあげてもいい」
飛び降りても良かった。けれど、この子を巻き込むのはちょっとだけ気分が悪い。私の運が招き入れてしまったのもあるから、そうじゃないと、この家にまでは入れない。
雨の言ってくれたデメリット、それは私に関わる人を不幸にする。もう既に彼女は不幸なのかもしれないけど、関わりのないものにしたい。
「そんなこと言われて帰れるわけないでしょ⁉ その後、すぐに飛び降りたら寝覚めが悪すぎる!」
「大丈夫。本当に帰ってくれさえすれば、ここから飛び降りたりしないって約束する」
「…………本当ね?」
疑うようにそう言ってくる桜田さん。これが最善の策だ。私はちゃんと約束を守る。そう、『ここから』は飛び降りたりしない。あの雨が助けてくれたビルの上で終わらせよう。
私は頷くと、彼女は諦めてくれたように荷物をまとめ始めた。
「赤坂、あんたって本当に……馬鹿よ」
「ごめんね。でも、言う事聞いてくれてありがと」
それに返答せず、彼女は玄関から出ていってしまった。でも、彼女の言った通り、すぐに飛び降りたりするのはやめておく。
今日は死ぬことができなかった、明日はどうだろう? 明日の夜にでも決行したいな。
「雨……私、正常だよね?」
異常なんかじゃない、私が考えるそれは尊い愛、なのだから。
ああ、死にたいよ。今日も死にたい。雨、私が死んでも許してくれるよね?
しかし、私は次の日も、その次の日も、飛び降り、自傷行為、首吊り、何度繰り返しても死ぬことを許されなかった。それどころか、傷つくことすらも許されない。
雨がかけてくれた祝福の力。運を上げ続けるその力は願われたその日から、下がることを知らない。その日の運の良さを次の日の下限とし、更に上げる。そして、上げられた運は上がり続けていく。
「死ねないだなんて……こんなの、呪いだよ……雨……」
それはまさしく私にとっての呪い。雨がかけた祝福と言う名の呪いだった。
この6月はあらゆる死の方法を模索し、試し、失敗し、いつしか私は自分で死ぬことを諦めていた。
2018年 7月
梅雨は明けない。
引き金を引いたのは私、雨の愛でこの世界を溺れさせちゃおうかと願ったから。
本当に私が影響かまではわからないけど、世界では記録的な大雨が続いていた。
それでも経済は回り続けている。やろうと思えば、この運の力で世界を暗い水の底へと返すことも可能なのかも。でも、そんなことを雨が望んでいるかといえば違う。雨の愛は人を殺すようなものじゃないから。
そういえば私自身にも変化が起こった。それに気づいたのは、久々に鏡を覗いた時。
ずっと目の調子が悪く、なんだろうとは思っていたんだけど、こんなことになっているとは流石の私も思わなかったのだ。
私は白いソファの上で、手鏡を覗く。
疲れた顔、ボサボサの髪は亜麻色が抜けてきて、頭頂部は黒髪に戻っている。その中でも一番変わったと言うならば目だ。
私のブラウンの目は既に影も形もなく、恐らく……桜田さんを帰らせた次の日くらいには変わっていたんだと思う。
「金色の、祝福の眼……」
そう、雨の赤い祝福の眼とは違う金色の眼へと変わっていった。
それに気づいた日から雨が私にかけてくれた祝福の力と、自分の眼がどんな能力を持っているのか深層心理が教えてくれた。
まずは私にかけられた祝福の力。もう私にとって死ねない呪いの一つ、これは雨が言ってくれた説明と同じだから省略するけど、本題はデメリットについてだ。私に関わる人と、私に危害を加える人を無差別に不幸にするというもの。
結論から言えばこのデメリットは既に効果を失っている。それは雨が亡くなった日には、既に消え失せていたようだった。つまりあの日、あやかはこれにより死ぬはずだったのだけど、運良く生き延びたのは副作用がなくなったため、それとあの女自身の強運が成せた技かもしれない。目は覚ませないだろうけど……。
次に私が現在持っている金色の祝福の眼の力だ、これは雨の眼の――
「おじゃまー。奏、入るよー」
「…………桜田さん――」
夏服のセーラーを着た桜田 瑠璃子が家へとやってきた。なんでこう勝手に入ってこれるのかと言うのは、私が今、ズボラな生活を送ってしまっているせい。お腹が減りすぎると、決まってはやってくる。
「ルリね。またカラコン入れちゃって、宮城さんっぽくなりたいーっていうのはわかるけど……ほどほどにしなね?」
カラコンを入れてるわけじゃないんだけど、とは言わない。祝福の眼については雨と私の秘密だから。
デメリットがなくなった今となっては、彼女を……ルリを無理に追い返す必要もなく、好きにしてもらってる。前まで私がやっていたのはただの空回りだったってことだ。
「それにしてもすっごい雨だよね……ずーっと止まないし」
「私が降らせてるからね」
「ふーん……いっつもそれ言ってるけど、じゃあ逆に止めさせることはできるの?」
「できると思うけど、しないよ」
「あっそ。でも、それだけ自信満々に言われると、本当な気がしてくるわ……」
そういってジト目で見てくるルリ、ダイニングテーブルへと弁当を置いてくれる。別に自信満々に言ってるわけではないんだけど。
「んじゃ、私は帰るわね。奏もそろそろ学校へ行かないと、留年するよ?」
「大きなお世話だし、奏って呼んでいいとか一言も――」
「んじゃーね、奏!」
来たらすぐに去っていく、まるで台風のような子だ。
どうしてそう仲良くもなかったはずの私に良くしてくれるのかはわからない。聞いてみてもいいんだけど、聞く機会が掴めないのは私が口下手だからか。
ぐぅっとお腹がなる。ちゃんと食べないと、またあの子から口に詰め込まれる。それだけは嫌だ。
弁当を開けると、いつものように私の大好物ばかりが詰め込まれている。それは雨がよく私に作ってくれていた弁当に似ていた。
特別、何かを感じるわけじゃないけど何かお返しをするべきか。内心そう考えながら、弁当箱をつついていく。
死にたいのに死ねなくて、生きてると何もしなくてもお腹は減る。
生きたいと願った雨は明日を奪われたのに、死にたいと願う私は今日も生き続ける。
本当に理不尽、こんな世界なんか雨の愛で溺れてしまえ。
「私、そのまま寝ちゃったんだ……痛っ」
目が痛い。触れてみると、思ったより腫れているみたい。
「今日、学校か……雨は……まだ寝てるのかな?」
リビングを見回しても彼女の姿は見えない。立ち上がると、彼女の部屋へと足を進める。
「雨、起きて……朝だよー」
『んん……おはよう、奏。今朝は早いわね、すぐに朝食を作るわ』
私の頭の中で彼女の声が再生された。馬鹿だな、私。もう雨はいないのに。
彼女の机の上には、赤いカチューシャと止まってしまった赤い腕時計が置かれてあった。それを見てしまうと胸が痛む。
それだけじゃない、この部屋の香りは雨特有のものだ。この香りを嗅いでしまうと、頭がおかしくなりそう。
それほどに彼女がここにいたという証が詰まっている。私はすぐに部屋を飛び出すと扉を締め、しまい込む。彼女の思い出が逃げないように。
もうこの部屋には……入らない、入れない。
「あ……そうだ。私は、今日死ぬ予定だったじゃん。死のうよ、早く。奏、死ぬんだよ」
私は背中を扉につけ、座り込み、彼女が呼んでくれたように自分の名前を呼んだ。
死ぬのは怖くない。感情が焼ききれているせいで、もうそれが楽になる唯一の方法だと心が叫んでいるのだ。思い立ったように私は立ち上がると、キッチンへ包丁を取りに行く。
あった。流し台のすぐ下に包丁入れがある。それを右手で一本引き抜くと、逆手持ちにし高く掲げた。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……!」
高揚感か息が上がってしまう。もうすぐ死ねるんだと、失った感情が出ているのか自分の顔が笑っているような気がした。
左手を台に乗せ、手首を上側へと向ける。
「えへ……えへへ……ひひ……ひひひひ!」
他の誰もいないキッチンに私の狂った声が響き渡る。そして右手に持ったそれを思い切り、私は振り下ろした――
§
ん……あれ、私どうしたんだろ。なんだか、いい匂いがする。
朧気な視線の先、キッチンに立っている黒いセーラー服を来ていた女の子がせっせと料理を作っていた。
「……あ、雨……?」
私の声に気づいたのか、大きな声を出して私に近づいてきた。
「気がついた? あーごめんね、勝手に上がっちゃって」
揺れるサイドテールの黒髪。
違う、雨じゃない。この子は、確か席替えの時に私たちに突っかかってきた――
「私の名前、ちゃんと覚えてないのねぇ……桜田 瑠璃子。ルリって呼んで。宮城さんが亡くなったことを聞いて、心配になって来てみたわけよ。そしたら、キッチンで赤坂が倒れてるじゃない? ほんと、びっくりよ」
そう言われて、左手首を見てみる。傷とかそういうものはない。そもそも、なぜこの子がここに入れるの? ここはオートロックのマンションなはずだ、仮に入れたとしても玄関の鍵は……。
「あっと、お腹減ってるでしょ? 悪いと思ったけど、冷蔵庫のもの勝手に使わせてもらったから……それと、玄関開いてたよ。オートロックでも、入れる時は入れるんだから気をつけなさいね!」
私が思っていたことを連々と説明してくれた。私はお腹を押さえてみると、きゅぅと少しだけ可愛い音がする。
キッチンに立った時は朝だったはずなのに、もう既に夕方だ。
「ありあわせのものしか作れなかったけど、許してね」
そう言って持ってきてくれたのは、卵雑炊。甘い香りが漂っているのは、砂糖の影響だろうか?
「え、えっと……桜田さんはどうして――」
「ルリでいいから。さっきも言ったけど、心配だったから。宮城さんと仲良かったのは知ってるし、ついでに先生から頼まれて、はい」
そう言って渡される何の変哲もないプリント。本当に私のことが心配で来てくれたの? そんな……まさか。
彼女の本心を探る。背に映る黒い闇は人の形をしてないけれど、それは誰にもあるものだ。下心のない人間なんてそうそういるもんじゃない。
「まぁ、ちょっと話があるんだけど先に食べちゃいなさいな」
「あ、うん」
急かされ、雑炊に手を付けた。からっぽの胃にそれは優しくて、甘くてとても美味しい。けど、雨と比べれば天と地の差だ。
「美味しい?」
「まぁまぁかな」
「はっきり言うねぇ、赤坂は……」
そして――
「それで、話って?」
雑炊を食べ終わると、私は先程のことに会話を戻す。
「あーうん、これなんだけどさ……」
そういって彼女が見せてきたビニール袋、中からはジャラジャラと音がしどうやら金属片みたいなものが入ってるようだ。それを受け取ると「開けてみて」と促され、固結びされた袋の口を開く。
「これは……」
「あんたの近くにばらまかれてあったの。掃除するの大変だったわ」
金属片の正体、それは今日、私が手首を切ろうとしたときに使った包丁だった。もう使えないくらい派手に砕けている。
「そんな壊れ方するの見たこともないし。気を失う前、なにがあったか覚えてる?」
「あー……死にたいなって手首切ろうとして、振りかざした時から記憶がなくてわかんないよ」
正直にそういうと彼女は頭を押さえ、首を横へと振っていた。
「そんなこと、平然と言って……赤坂がそう思うのはわからんでもないけど、宮城さんはそれで喜ぶかな」
「雨は喜ぶよ。私が死んだら雨は私と会えるし、私も雨と会えるんだから」
「あのねぇ……死んだ先で会えるかどうかなんてわかんないでしょ!」
「じゃあ死んだ先で会えないって保証はあるの?」
「それを言ったら、あんたが言う会える保証もないでしょ!」
「やってみないとわからないじゃん。私はそれに賭けてみたいし、私なら必ず会えると思う」
そんな根拠がどこに……という顔だ。でも、私にはそれがわかる。だって、祝福の眼の力があるんだから。そうじゃないといけないのだ。
「……まぁ、千歩譲ってそうだしても、宮城さんは赤坂に何か言ってなかったの?」
「それを教える義理は桜田さんにはないでしょ? 散々、私を無視してたんだから」
「それは…………その、悪かったわよ……」
それは一年の時から腫れ物扱いにされていることだ。
でも、それはこの子が悪いわけじゃないのは知っている。みんなが私と話をしなくなったのは、あやかが一枚噛んでいたから。
あの頃は気づかなかったけど、学校でのあの女の評判は良く、私を孤立させるように仕向けていた。評判は虚構の言葉を真実へと変える。私はそうして気づかない内に一人になって、おもちゃにされていたんだ。
まぁ、いっか……言っちゃっても。
「生きてって言われたけど、雨のいない世界では私は生きられない。ここに穴が空いた気分で、笑ったり、怒ったり、泣いたり、楽しんだりできなくなっちゃったみたいなんだ」
「赤坂……」
胸を押さえ、私はそういった。もう本当に何も感じなくなっちゃった、こんな気持ちを雨もずっとずぅっと味わっていたのかな?
今度は私が私を終わらせて、私を貴女の元へ送っていくからね。ベランダを開けると、夕焼けの中、空から雨が降り続いている。
「ちょっと、待って……赤坂……何するつもり?」
「ここは十七階、下はコンクリート。落ちたら即死は免れないでしょ?」
「ちょ、ちょっと待って! 本気⁉ 少しくらい、私の話を聞いてくれても――」
「私は本気だよ。でも、そうだね……桜田さんが今すぐ帰ってくれるなら、止めてあげてもいい」
飛び降りても良かった。けれど、この子を巻き込むのはちょっとだけ気分が悪い。私の運が招き入れてしまったのもあるから、そうじゃないと、この家にまでは入れない。
雨の言ってくれたデメリット、それは私に関わる人を不幸にする。もう既に彼女は不幸なのかもしれないけど、関わりのないものにしたい。
「そんなこと言われて帰れるわけないでしょ⁉ その後、すぐに飛び降りたら寝覚めが悪すぎる!」
「大丈夫。本当に帰ってくれさえすれば、ここから飛び降りたりしないって約束する」
「…………本当ね?」
疑うようにそう言ってくる桜田さん。これが最善の策だ。私はちゃんと約束を守る。そう、『ここから』は飛び降りたりしない。あの雨が助けてくれたビルの上で終わらせよう。
私は頷くと、彼女は諦めてくれたように荷物をまとめ始めた。
「赤坂、あんたって本当に……馬鹿よ」
「ごめんね。でも、言う事聞いてくれてありがと」
それに返答せず、彼女は玄関から出ていってしまった。でも、彼女の言った通り、すぐに飛び降りたりするのはやめておく。
今日は死ぬことができなかった、明日はどうだろう? 明日の夜にでも決行したいな。
「雨……私、正常だよね?」
異常なんかじゃない、私が考えるそれは尊い愛、なのだから。
ああ、死にたいよ。今日も死にたい。雨、私が死んでも許してくれるよね?
しかし、私は次の日も、その次の日も、飛び降り、自傷行為、首吊り、何度繰り返しても死ぬことを許されなかった。それどころか、傷つくことすらも許されない。
雨がかけてくれた祝福の力。運を上げ続けるその力は願われたその日から、下がることを知らない。その日の運の良さを次の日の下限とし、更に上げる。そして、上げられた運は上がり続けていく。
「死ねないだなんて……こんなの、呪いだよ……雨……」
それはまさしく私にとっての呪い。雨がかけた祝福と言う名の呪いだった。
この6月はあらゆる死の方法を模索し、試し、失敗し、いつしか私は自分で死ぬことを諦めていた。
2018年 7月
梅雨は明けない。
引き金を引いたのは私、雨の愛でこの世界を溺れさせちゃおうかと願ったから。
本当に私が影響かまではわからないけど、世界では記録的な大雨が続いていた。
それでも経済は回り続けている。やろうと思えば、この運の力で世界を暗い水の底へと返すことも可能なのかも。でも、そんなことを雨が望んでいるかといえば違う。雨の愛は人を殺すようなものじゃないから。
そういえば私自身にも変化が起こった。それに気づいたのは、久々に鏡を覗いた時。
ずっと目の調子が悪く、なんだろうとは思っていたんだけど、こんなことになっているとは流石の私も思わなかったのだ。
私は白いソファの上で、手鏡を覗く。
疲れた顔、ボサボサの髪は亜麻色が抜けてきて、頭頂部は黒髪に戻っている。その中でも一番変わったと言うならば目だ。
私のブラウンの目は既に影も形もなく、恐らく……桜田さんを帰らせた次の日くらいには変わっていたんだと思う。
「金色の、祝福の眼……」
そう、雨の赤い祝福の眼とは違う金色の眼へと変わっていった。
それに気づいた日から雨が私にかけてくれた祝福の力と、自分の眼がどんな能力を持っているのか深層心理が教えてくれた。
まずは私にかけられた祝福の力。もう私にとって死ねない呪いの一つ、これは雨が言ってくれた説明と同じだから省略するけど、本題はデメリットについてだ。私に関わる人と、私に危害を加える人を無差別に不幸にするというもの。
結論から言えばこのデメリットは既に効果を失っている。それは雨が亡くなった日には、既に消え失せていたようだった。つまりあの日、あやかはこれにより死ぬはずだったのだけど、運良く生き延びたのは副作用がなくなったため、それとあの女自身の強運が成せた技かもしれない。目は覚ませないだろうけど……。
次に私が現在持っている金色の祝福の眼の力だ、これは雨の眼の――
「おじゃまー。奏、入るよー」
「…………桜田さん――」
夏服のセーラーを着た桜田 瑠璃子が家へとやってきた。なんでこう勝手に入ってこれるのかと言うのは、私が今、ズボラな生活を送ってしまっているせい。お腹が減りすぎると、決まってはやってくる。
「ルリね。またカラコン入れちゃって、宮城さんっぽくなりたいーっていうのはわかるけど……ほどほどにしなね?」
カラコンを入れてるわけじゃないんだけど、とは言わない。祝福の眼については雨と私の秘密だから。
デメリットがなくなった今となっては、彼女を……ルリを無理に追い返す必要もなく、好きにしてもらってる。前まで私がやっていたのはただの空回りだったってことだ。
「それにしてもすっごい雨だよね……ずーっと止まないし」
「私が降らせてるからね」
「ふーん……いっつもそれ言ってるけど、じゃあ逆に止めさせることはできるの?」
「できると思うけど、しないよ」
「あっそ。でも、それだけ自信満々に言われると、本当な気がしてくるわ……」
そういってジト目で見てくるルリ、ダイニングテーブルへと弁当を置いてくれる。別に自信満々に言ってるわけではないんだけど。
「んじゃ、私は帰るわね。奏もそろそろ学校へ行かないと、留年するよ?」
「大きなお世話だし、奏って呼んでいいとか一言も――」
「んじゃーね、奏!」
来たらすぐに去っていく、まるで台風のような子だ。
どうしてそう仲良くもなかったはずの私に良くしてくれるのかはわからない。聞いてみてもいいんだけど、聞く機会が掴めないのは私が口下手だからか。
ぐぅっとお腹がなる。ちゃんと食べないと、またあの子から口に詰め込まれる。それだけは嫌だ。
弁当を開けると、いつものように私の大好物ばかりが詰め込まれている。それは雨がよく私に作ってくれていた弁当に似ていた。
特別、何かを感じるわけじゃないけど何かお返しをするべきか。内心そう考えながら、弁当箱をつついていく。
死にたいのに死ねなくて、生きてると何もしなくてもお腹は減る。
生きたいと願った雨は明日を奪われたのに、死にたいと願う私は今日も生き続ける。
本当に理不尽、こんな世界なんか雨の愛で溺れてしまえ。