君のブレスが切れるまで

第42話 記憶

 次の日、私は久々の学校へ行くことにする。もうすぐ期末テストがあるため、このままだと本当に留年してしまう。
 金色へと変化した私の眼は、雨の時もだったし校則に違反がないためそのままだ。つまり、カラコンだと言い張っておけば、問題はないはず。
 まぁ、雨とは違って私には何かと文句が付けやすいだろうから、何か言われるかもしれないけど……。


 学校の最寄り駅を出ると、あいにくの空模様に私は赤い傘を広げた。
 雨が大切にしていたこの傘は、もう私一人しか入ることはない。隣を見ても、赤い眼の女の子はいないんだ。
 彼女の赤い眼、それとは違う私の持つ金色の眼は、恐らく雨の完全上位互換といっても過言ではない力を秘めている。
 雨の眼の効果は『運を上げ続ける』こととデメリットである『対象者に関わるものへの不幸』の二つだ。それに加え、前提条件は『ある一定の対象者のみ』と決まっている。その対象者は多分、愛する人のみ。彼女が愛してくれた私だけだった。


 私の眼の効果は『運を上げ続けることも可能で、それを打ち切ることもできる』。つまり、一度力を行使して運を上げたとしても、効果を取り下げることが可能だということ。
 そして明確なデメリットという副作用がない。あるとすれば運を上げたことによって、その人物が悪いことをしようとした場合か。それを言うならば、打ち切ることのできなかった雨の眼のメリットだってデメリットとなりうる。
 最後に前提条件だ。私がその人を想う気持ち、慈しむ心さえあれば誰であろうがこの眼の対象者となる。


 雨は知ることのなかった愛を私に見て効果を発動できたけど、私にもそういう心がないと発動はできないみたい。こんな特殊な能力はアニメの世界だけだと思っていたのに、まさか自分にこんな力が備わるなんて思ってもみなかった。
 とはいえ、世界を呪い、感情が欠落してしまっている私には発動すらできない上、秘密ができてしまうという無用の長物だけど。


「でも、雨が私にくれたんだよね……だったら、私は秘密を守るよ」


 空を見上げても、雲の切れ端は見えない。このままずっと雨が降り続けるのだろうか、私が願い続けていれば……。


 §


 教室に入ると、気づいたルリが私の元へ歩いてきた。


「奏、来たんだ……って、カラコンつけたまんまなの? 目、悪くなるよ」
「ほっといて、というか話があるんだけど……」
「何?」


 チラチラと教室中からの視線を感じる。誰もが何かを知りたがってるような黒い何かが見える。ルリが先に話をかけてこなかったら、みんな来そうな勢いだ。


「ここじゃなんだから、ちょっと――」


 雨の席に目を向けると、そこには白い花が供えられていた。
 日が経っているわけじゃない。多分、今日供えられた新しい花だ。一体、誰が雨の為に……。


「ここじゃダメなのよね? じゃ、屋上でも行こっか」
「あ、うん」


 私はそう言われると、ルリと共に屋上へと向かっていった。


「これで一ヶ月は連続で雨ねぇ……」


 外には出られず、ドア付近でそう呟くルリ。聞いてみよう、どうして私に良くしてくれるのか。


「あのさ、桜田さん……」
「ルリ。名字呼びよりそっちの方が好きだから、で何?」


 胸の辺りで腕を組むと、不機嫌そうにそう言った。どちらでもいいじゃんとは思うけど、こう言ってくるってことはどうしても譲れないんだろう。私はそれでも呼ばないけど。


「どうして私に良くしてくれるのか聞きたくて、なんで?」


 なぜか、それが私には読めない。他の黒い部分は読めるのに、何を考えてるのかが読めないのだ。普通は読めなくて当たり前のことなのに、読めない部分があると少しだけモヤモヤする。
 ただ、この子が今『いいこと思いついた』ってことだけは読めた。私にとっては悪いことなんだろうけど。


「ルリって呼んだら教えてあげてもいーよ?」
「は? 馬鹿なこと言ってないで、教えてほしいんだけど……」


 気持ちのままそう返したら、ルリは大きなため息をついた。


「……あんたさ、疲れない? 人の裏側ばかり見てさ」
「何のこと?」
「そのまんまの意味よ。あんたに対して宮城さんがどんな人だったかまでは知らないけど、私は人の裏側とか読めないし、あんたみたいに達観してるわけでもない。ただ、奏には人の嫌な部分とかなんとなくわかるんでしょ? 教室に入った時、すごく嫌そうな顔してたし……」
「…………」


 ぐうの音も出ない。人が人の形として見えなくなってから、私はずっとそればかりを見ていた。多分、あの日、総一朗さんと別れ、雨の屋敷からどうやって帰ったのか覚えていないのは、それが嫌で頭の中からシャットアウトしたのだろう。
 今後、この最低な世界で生きていくための課題かもしれない。


「ごめん、気をつける」
「……そう言われると調子狂うわね。で、どうして私が奏に良くするのか、だっけ?」


 本題へと話を進めてくれるルリ。少しだけ悩んだ素振りを見せて「まぁいっか」とだけ、呟くと話をしてくれる。


「宮城さんに頼まれたのよ。『もし、私になにかあったら奏のことを見守ってくれないか』って」
「え……雨が……?」


 思いもよらない人物の名前が出てきて唖然としてしまう。
 どうして、雨がルリとそんな話を? 私、そんなの聞いてない。


「あんたの家、元々宮城さんのなんでしょ? 私の親が税理士なんだけど税のこととかで彼女、親に相談に来たのよ。私は学生だから直接その話に関わったわけじゃないけど、不動産の名義変更とか、相続、贈与のこととかで」
「え、え……? 何の話なの、そんなの雨から一言も……」


 一言も聞いていなかった。
 私を一生養えるほどのお金はあるとは言っていたけど、そんなことをしていたなんて。雨は自分がいなくなることを予見していたんだ。じゃないとそんなことはしない。
 私の表情を見て、ルリは悟ったように話を続けてくれる。


「あー……やっぱり聞いてないんだ。宮城さん秘密裏に進めてたみたいだし、無理もないわね」
「……ねぇ、雨が何やってたとか、どこまで知ってるの? ねぇ、ねぇ、ねぇ?」


 私は彼女の胸倉を掴むと、雨の情報について聞き出そうと彼女の体を前後へと振った。


「っ……知らないわよっ! それくらいしか! そもそも宮城さんの話、私も最初は突っぱねたんだから! ただ……そしたら、あんなことになって……」


 私の手を振り払うと、そういって顔を俯けた。ルリの言ってることが雨の亡くなったこと差しているのはわかる。


「…………部屋には何か残されたりしてないの?」
「よく見てない。雨がいた事実が、思い出がなくなっていきそうで怖くて部屋を開けられないの」
「そんなこと言ってちゃわかるものもわからないでしょうに……私は奏じゃないから強くは言えないけど」


 沈む気分、私はあの部屋を今の状態じゃ開けられない。きっと、もう少し調べていればさっきルリが言ってくれた、私への財産の譲渡の件とかもわかっていたはずなのに。
 重い沈黙。しとしとと雨音だけが私の耳に響く。
 そんな空気の中、しばらくしてルリは体裁が悪そうに沈黙を破ってくれた。


「……まぁ、宮城さんはそれほど奏のことを想ってたんじゃない? いなくなった後のことも考えてさ、普通できないわよ。私もそれに惹かれて、あんたの力になろうと思ったんだし……」


 優しい言葉だ。私はこんなにも自分勝手なのに、ルリは私のことを励ましてくれてる。雨は私を思ってのことをしてくれていた。もしも私が知っていたら、どうしてそんなことをするのかって雨に何度も問い詰めていただろうから。自分が死ぬかもなんて言えるはずがない、雨も困ってしまうよね。


「そう……だったんだ。ありがと、ルリ……」


 本心でそう言うと呆れたような顔をして、ルリが階段を降りていく。


「はいはい、もういいから……ホームルーム始まるし、教室に戻ろ……って今、私の名前呼んだ?」
「あ、うん。悪かったかな?」
「い、いや……別に? まぁ、そういう経緯だから、よろしくね。奏」
「うん、ありがと……その、こちらこそよろしく」


 たったそれだけの会話。漫画とかでやる握手なんていうのはない。ただ、それでも私は雨以外の友達を……ルリと友達になることができた。それと共に、誰が雨に花を供えてくれたのかもわかった気がする。
 教室に戻った後は私の元へクラスメートが押しかけ、雨のことについて、私を心配する声をたくさんもらった。ルリが言ってくれたように、私は人の裏側を気にしすぎていたのかもしれない。私はいいように解釈していく、今だけは本当に私のことを心配してくれているって。


 まだまだ死にたいって気持ちはなくならない。むしろずっと死にたいけど、知らなかった雨の話を聞くことができて、今日だけは生きてもいいかなって思えてしまった。
 その日の帰りから、降り続いた雨は止んで本格的な夏が来る。
 雨と行った夏祭り、文化祭の秋、そして修学旅行のある冬と季節は流れていく。ルリ自身はクラスの人気者で、私ばかりと付き合うわけじゃない。付かず離れずの普通の友人、雨とは違う。


 それからまた春が来て、高校三年生になると私の誕生日。けれど、私が自分の誕生日を思い出したのは6月の梅雨の時期。雨の誕生日だった。
 私はまだ気持ちの整理がつかなくて、次の日の彼女の命日にはお墓参りへ行くことはできなかった。


 感情を失って一年。楽しいと思うことも、悲しいと思う気持ちも、怒りも、喜びもないまま月日は過ぎていく。
 伸びきった髪は揃えてもらい、色のついた場所は切り落としてもらった。何も変わらない、何もできない。私はあの日から、雨の部屋を開けることができないまま、髪の色は真っ黒へと戻ってしまった。
 開けてしまえば思い出が逃げてしまう。心の痛みが消えてしまえば、雨のことをいつか忘れてしまうんじゃないかとずっとずっと怖かったから。


 2019年 6月


「奏は進路決めたのー?」


 机に座ったままの私の背中にルリが抱きついてくる。一年も経てばこれくらいのスキンシップは許容できる範囲だ。かといって、彼女は普通に友人としての立場を弁えている。
 進路の方だが、私は何も決めてない。大学に行くのもいいけど、仕事をしてみてもいい。そんな曖昧な選択ができてしまうのは、去年の年末、ルリを含めた数人の友達と運試しで宝くじを買ってしまったせいだ。
 当たったかどうかなんて言うまでもない。ただ、次は買わないようにしようと思っただけ。無闇に運を使えば、どこで誰が見てるかわからないんだから。


「ううん、ルリは?」
「私かぁ、親を見習って税理士になるっていうのもいいけど、あんまり儲からないらしいし……。せっかく人生一度きりなんだしお前の好きなようにやれって言われてるから、美容師とかいいかもね!」


 笑いながら、指でちょきちょきと鋏のジェスチャーをする。
 彼女には一度、髪を切り揃えてもらったことがある。かなり器用で素人にしては上手だった。雨ほどじゃなかったけど……。


「そういえば、ルリに髪の毛を切ってもらったんだっけ」
「あーそうだったね。そうそう、それで今更思い出したんだけど! 一年の冬休み後だっけ? 髪染めて、奏が学校へ来たの!」
「あー、うん」


 雨の笑顔を取り戻すと、私が掲げた目標。そして、自分が変わりたいという気持ちでイメージチェンジをしたのだ。結果的には変われてないけれど。


「化粧と髪色のマッチング、すっごい可愛くて嫉妬したの! それから二年になってだっけ……私、奏に突っかかっちゃって、悪かったなって思ってたんだ」
「そんな可愛いってわけじゃなかったけど、でもそう言うってことはずっと心に引っかかってたんだよね? 私は大丈夫だよ」


 そう気にしてない旨を伝える。けれど、ルリは少しだけ顔に影を作り、抱きしめる腕が強くなる。


「……奏は優しいよね」
「そうかな。私は結構酷いと思うけど……」


 そりゃそうだわと、笑いながら言われる。さっきは優しいって言ってたのに間逆なことを言われてる気がするけど。
 きっと、以前の私だったなら少しだけムッとなったのかな。今じゃ何も感じない。


「奏って看護師さんとか似合いそうだね」
「どうして?」
「優しくて酷いからかな? 注射とか躊躇なく刺してきそうだし」
「躊躇はするんじゃないかなぁ」


 なんて言うけど、やるべきことはやるし、その時になれば躊躇なんてしないだろう。躊躇なんてすれば人は死ぬ。躊躇しなくても死んじゃったりするのだから。
 そんなことを考えていると肩にかかる体重がなくなり、


「……ごめん、奏。変な事考えさせた?」
「え?」
「いや、怖い顔してたから。私の思い違いならいいけど……」


 そう言ってルリは隣の自分の席に座ると困ったように笑った。
 もうこの教室には白い花も雨の机もない、まるで雨は最初からいなかったような感じになってしまった。クラスでは雨の話題もないし、一年も経てば人は慣れてしまう。
 そもそも、一年も経たずにみんなはもう慣れてしまっていた。私を除いて。
 雨の記憶はまだ私の中に強く残っている。その私すらも、雨の顔を段々と思い出せなくなっているのだ。夢で出会うことだってあるのに、その夢の中でも雨の顔がぼやけてしまう。


「ルリ、ありがと。看護師さんになりたいか……どうかはわからないけど、そういう道もいいかもしれないね」
「前を見据えられたなら良かったけど、あんま無理しないようにね」


 私はその言葉に頷きで返す。でも見つからない、本当に私のやりたいことは。それはもう雨を失ってしまったからか、新しいことを見つけるのを諦めてるからか。
 未来。雨が言ってくれていた未来の話は的確で、いじめといういじめはもうなくなっていた。
 でも、こんな調子でいつか雨が言った素敵な女性になることはできるのだろうか? 雨の笑顔を取り戻すことができなかったこんな私に。
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